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東京の夜をみまわして、きみに何が見える?
僕には光しか見えない。――M
****
優美なシャンデリアが目の前で燦然と輝いている。
カットされたガラスが照明の光に虹色のきらめきを散らしている。
細工はていねい、贅沢だった。台座部には蔦と薔薇の飾り、ガラスの装飾には特注のこまやかな白鳥があしらわれる。
どこへ出しても高く売れるだろう完璧なデザイン――俺が設計した至高のシャンデリアだ。
取材に来ていた新聞記者に、俺は白鳥のくちばしをそっと指でなぞりながら、悠々と語ってやった。
「そうですね……うちの芸大の卒業制作で、俺のシャンデリアが一番美しいと言われても否定できません。おっと、遠慮なさらず。率直な感想を言ってくださって構いませんよ。この完成度を見てもらえれば、まあどんな賛辞の言葉が飛んできても驚きませんが」
メモを取っていた禿頭の記者は「はあ」と苦笑する。
「それで、終夜さん。この作品のコンセプトは何です?」
「ご覧のとおりBeautyです。わかりやすいでしょう? ははっ」
俺のシャンデリアの前には、記者の他にも物見高いギャラリーができていた。
今日はわが芸大の卒業制作・展示会の最終日だ。
美術館のホールを貸し切りにして行われる展示会は、一般客も多く混雑している。
絵や彫刻、日用品のデザインといった親しみやすいものも展示され、それぞれ説明パネルと一緒にライトアップされている。
多目的ホールは美術館にしては明るめの照明で、隅々までオレンジの光にくるまれている。
俺の作品は日常生活で使われる道具コーナーに設置されていた。周囲には家庭用ランプや大型の据え置き投光器、斬新な食器、カスタマイズ専用の自転車なんかもある。
(うちの学生は全員、プロに近いからな)
そういう意味でこの展示会は作品を売りこむ最大のチャンスだ。
一般の観覧者だけでなく業界関係者やプレスの姿もあり、展示する側にもきりとした緊張感がある。
けれど俺は余裕だった。
記者の禿頭を見てうすく笑みを浮かべたくらいだ。
夕刊の「輝く若者コーナー」を書くというこの記者は、俺の作品を記事に載せたいと言ってきた。これはまたとない好機、俺の実力を鑑みればまあ相応のことだが。
「えっと」
記者は言葉をつまらせ、冴えない顔で汗をぬぐった。どうやら作品の美麗さに胸うたれ、言葉をなくしてしまったらしい。
ふと目をやった先で、後輩の女子たちが遠巻きにこちらを見ていた。俺がたわむれにすこし微笑んでやると、即座に黄色い声がかえってくる。かわいいものだ。
すぐ左隣のブースにいた九谷が、だるそうに近寄ってきた。
「つぐちゃん、相変わらずもてもてやなぁ。でも、ええ加減にせんといつか刺されるで」
「ははっ、なんだよそれ。俺がもてるのは仕方ないだろ。努力家で格好いいんだから」
「それ。そゆとこ」
ずれてきた眼鏡を直した九谷は、小学生からの幼なじみだ。
俺と同じく芸大のデザイン科に属し、ともに照明デザイナーを志している。
常に怠そうに斜にかまえ話し方もどぎつい関西なまりだが、非常に頭がきれて優秀だ。
九谷は昔からなんでも器用にこなすオールラウンダーで、俺の友として実にふさわしい。
黒髪をいつも肩までぼさぼさにのばし、服だって適当に選んだことが丸わかりのやぼったいポロシャツにジーンズ。見た目にもう少し気をつかえばいいのにと進言したこともあるが、本人からは「面倒くさい」と一蹴されている。
とにかく面倒くさがりでやる気のない九谷だが、こいつは万事に器用でどんなことでもそつなくこなす。事実、大学の試験や照明デザインのコンペでトップを飾るのはいつも九谷で、俺はいまのところ勝てたためしがない。俺はひそかにこいつのことをずっとうらやみ、ライバル視している。
(まあ、俺だって負けてない。九谷と釣り合うのはこの俺くらいだからな)
ふふ……と笑むと「つぐちゃんが何考えてるんか、大体分かるん、つらいわぁ」と九谷はなぜか呆れ顔だ。
冴えない記者が意を決したように顔をあげた。
「それで」と続くはずだった言葉は、けれど後ろから「失礼」とスーツの男が割りこんできて遮られた。
「君が終夜つぐみくん? で、君が九谷羊くんかな」
いかにもやり手といった風体のビジネスマンが立っていた。
歳は三十なかば、髪をきっちりとオールバックにし、高そうなシルクの灰色スーツを嫌味なく着こなしている。
気の強そうな眉、きりと笑む口もと。優しげな面立ちなのになぜか緊張してしまうのは、油断なく鋭い目つきのせいかもしれない。野心を隠さず瞳に滲ませ獲物を狩る準備をしている――そんな人物に話しかけられたら嫌が応でも構えてしまう。
男は切れ長の目でふうんと、俺と九谷の作品を冷たく眺めた。品定めする視線と上からものを見る態度に俺はちょっとむっとする。
(なんだこいつ)
九谷がひそひそ声になる。
「鍛代社長や。ほら、アルテミス・コーポレーションの」
なんと。
屈指の大企業、アルテミス・コーポレーション。
国内ほとんどの照明に関わり、多くの有名デザイナーを抱える一大ブランドだ。
なかでも社長の鍛代コウは有名で、彼に引き抜かれた学生は必ずや大成するという噂もある。
(別名『夜の帝王』。こんな顔だったんだな)
まだ若い。業界での噂と手腕から、俺はもっと老成した人物を想像していた。
鍛代コウはうすい笑みで満足げに俺のシャンデリアを検分し、それからすぐ隣にあった九谷の家庭用自動照明をとっくり見て、流麗な所作で白い名刺をそれぞれに差し出した。
「終夜くん、九谷くん。君たちには非凡な才がある。卒業後に照明デザインの職につく気があるのなら、ぜひともうちへ来てほしい」
周りで見ていたギャラリーからどよめきが上がった。この名刺にはそれだけの価値があるのだ。
「ありがとうございます。鍛代社長とお話できるなんて、光栄です」
俺はにっこり猫かぶり愛想よくかえしたが、九谷はしばらく戸惑った顔で名刺を見て、ようやく渋々とそれを受け取っていた。
「どうも」
お礼の言葉もあっけない、いっそ嫌がっている風にも見える。
俺は横で見ていてはらはらしたが、鍛代社長は構わず俺の作品のタイトルを指さした。
「ところで、終夜くんの作品。『夜を支配する』って名づけてあるの。これ、とてもいいね」
「はあ」
俺は笑顔を崩さないまでも、内心首をかしげていた。作品はともかく、タイトルは適当につけたものだ。
(深い意味なんてないんだけど)
鍛代社長はいたくお気にめしたらしく、ニコニコと頷いている。
「『夜を支配する』――君はこの照明で人の心や世界、つまり夜という暗さ自体を支配したかったってこと? だとしたら、とてもいいね。その意気やよしだ」
「……はあ」
俺の笑みはじゃっかん引きつったかもしれない。言われた意味がまったくわからない。
鍛代社長はそうして勝手に解釈すると満足げに頷き、余裕の笑みだけを置き残して去って行った。去り際に隣にあった九谷の照明をしげと見て、後ろに控えていたつんとした女性秘書に何事か記させている。九谷の作品も実用的なデザインが人気なので、気になる部分があったのかもしれない。今こそアピールしろと俺が目くばせするも、九谷は「ええて」と肩をすくめていた。面倒くさがりの幼なじみは何事にもひどく無頓着だ。
「えらいもんもろたな」
鍛代社長が去ってから、九谷がもらったばかりの白い名刺を見てぼやく。目を細め憮然と眺めているので、名刺に因縁をつけているようだった。
名刺には社名と鍛代コウの名前、住所や電話、HPアドレスなどがよくある形式で並んでいる。上質な白の厚紙、黒くつやめくインクで箔押しされた字が、天井のオレンジの光で自慢げに照りかえっている。
「これが噂の引き抜き名刺なんかあ?」
「当然だろ。なにしろこの俺! だしな」
「ふうん」
九谷は俺の対応にも慣れたものだ。適当にかえす態度には呆れと、つきあってられないという含みがあるが、まあいい。
なにせ俺には自信があった。
(俺は誰よりすばらしい)
勉強、スポーツ、そしてもちろん芸大に入ってからはデザインの美的センスや制作物だって、幼なじみの九谷をのぞけば他の誰にも負けたことはない。
俺が一番努力をしているからだ。成功とは努力で成り立つものだと、俺は常々信じている。
(どんな天才だって、その本質は天賦の才なんかじゃない)
『天才には一パーセントの閃きが必要だ』と過去に誰かがぬかしていたが、それすら必要ないと思うのだ。すべては努力。その積み重ねと払う犠牲、理想を追い求める精神により一瞬のチャンスは訪れる。それこそが俺の大元たる理念だ。
俺の将来は安泰だろう。ありとあらゆる学生コンテストを九谷とともに総なめにしてきた俺の名は業界紙でも取り上げられるくらいに有名だ。
大学を卒業したらヨーロッパのデザイン会社に就職し、貯金しながら実地訓練を積もうと考えていたが、そこへきて鍛代社長からの誘いだった。
(国内で人脈づくりも悪くないな。海外へはそれから向かえばいい)
顔がにやついていたのだろう、「つぐちゃん、顔かお」と九谷に指摘されるが、俺の注意は天井からつるした自作のシャンデリアへと引き戻されていた。傾きと位置がわずかにずれている。
懐から愛用の物差しをとりだし、垂直位置へと作品をていねいに調整する。
完璧さとは細かな修正と配慮、几帳面さから成り立つものだと、俺はそう自戒してもいる。
「物好きな」
横からくさす九谷の言はいつもどおり無視しておいた。たかが数ミリの調整をこいつはひどく面倒くさがるたちだ。
「お前の方はどうなんだ」
放っておいていいのかと、隣の作品ブースを見ると、鍛代社長が帰ったあともけっこうにぎわっている。業界関係者も来ているのに、本人がそこにいないのではせっかくのチャンスを逃してしまう。
「ええねん。それより」
言いかけた九谷の言葉は不自然に途切れた。
心なしか場がざわめき、あたりがしんとする。
ホールの人垣が真ん中から割れ、後ろからやってくる誰かを全員が怖々と見ていた。
カツ、カツ、床を叩く音がして、その動きをみんな視線で追っている。
人波をモーセのように割って現れたのは、男爵とでも呼ばれそうな格好の男だった。
歳は三十半ばほど、燕尾に似た服を着ている。
シルクハットをかぶり、よたつく足取りで杖をついていた。
硬質な音は彼がもつ杖が鳴らしていた。鼈甲のカーブした持ち手を遊ばせて不規則に床へ振り下ろしている。
酩酊したような足取りで、人波をわけホールの作品を順番に眺め歩いてくる。
「なんだあれ」
ぼそりと呟いた声に反応して、男はシルクハットを軽くあげて俺を見た。まずい、目が合ってしまった。
「ふうむ」
俺のシャンデリアの前で足を止めた男は、茶色いサングラスを押し上げた。
よく見れば長い髪をシルクハットの中へ隠すようにまとめている。
目深な帽子のつばが顔の上半分に影を落とし、すらりとした鼻とすべらかな頬だけが光にあたって、白く浮き出て見える。サングラスの奥の瞳が強く細められた気がした。
「なんてぎらつく明かりだ。駄作、眩しい《グレア》」
「は……?」
(ダサク?)
素で聞き返すと、男は酩酊するように上半身をゆらし、サングラスを外した。眼鏡を持った手でくるくると、俺の白鳥のシャンデリアを指さしている。現れた顔は皮肉げに笑っていた。
「この失敗作、きみの?」
俺はあんぐりと口を開けていた。
男が指揮者のように揺らしている手を見て、その指に握られているのが色のかなり濃いサングラスだと確認し、さらに唖然とする。濃いサングラス越しでは光の明るさなどとうてい判別できないはずなのに。
「なんです。俺の作品になにか?」
とりあえず困惑する無力な学生を装うことにした。周囲のただならぬ様子を見るに、こいつは不審者かもしれないし。
(なんかすごく酒臭い)
明らかにこの男、多量の酒を飲んでいる。下手に刺激して暴れられても困る。
視界に警備員の姿を探していると「ふうむ」と男は俺のシャンデリアへ指を伸ばした。その指が、繊細な白鳥のガラス細工にふれた。
「あ」と九谷。
ガラス製の細い白鳥の首が、瞬間にぽきりと折れた。
「なっ」
取り囲むギャラリーがぎょっとするなか、男は軽く肩をすくめた。
「おっと失礼。まあ別にいいだろう? これ以上有害な光を町へ拡散するわけにはいかないからね。ゴミがひとつ消えてちょうど良いさ」
「ごッ、!?」
(いいわけないだろ! なんだ、どうしてくれるんだこの)
頭が真っ白になったところへ、九谷がとっさにおさえにきていた。
「どうどう、落ちつきぃや」
「っ、放せ! あいつ俺の作品をっ」
「落ちつきって、な? でないと自分、えらい後悔するで」
九谷は何かを伝えようとしていた。目は真剣で笑ってない。
ふうふう息をつき、なんとか気を鎮めた俺の前で男は鼻で笑っていた。
「そんなに怒らなくても。こんなゴミくらいで。まあ、弁償はする。後で連絡してくれたまえ」
「どうも」
俺へと差し出された名刺を、なぜか九谷が横から受け取る。
いまにも俺がそれを――というか、その辺にあるものをぜんぶ男に投げつけんばかりの形相だったからかもしれない。
ゆうゆうと歩き去る男が視界から完全に消えてから、九谷はようやく俺をおさえていた手をどけた。
「何だよあれ!? 非常識にもほどがある、なんでお前止めて」
「いや。逆に感謝してほしいくらいやで」
見て、と示されたのは男に手渡された名刺だった。
夜空より黒い紙に金のインクで細い文字がつづられている。
『 Mina 』
表にあるのはこれだけだ。ひっくり返せば、裏に小さく住所と電話番号がある。
金色で形作られた字はホールの光を反射しきらりと、一瞬だけ細やかに輝いた。
「ミナ?」
「ミイナやな。お前も知ってるはずやで」
「誰を、――ちょっと待ておい」
まさかとは思うが……俺は黒い名刺を凝視する。ひっくり返してもたいした情報はない。けれどこの業界でミイナと言えばひとりだけだ。
九谷が淡々と答えた。
「世界のミイナや。美南しのぶ。いつも俺、話してるやろ?」
生けるレジェンド。照明界の草分け的存在で、いかな素材であっても彼の手が加わればうるわしく、必ずものの見事に輝くといわれる天才デザイナー。
「なんでそんな人、ここに。てかあれ、あれ本当に世界のミイナか!?」
なんだかものすごく酒臭かった。それにシルクハットにサングラスなんかかけて、とてもまともな人には思えない。
「俺も最初は気ぃつかんかってん。けどほら」
九谷はスマホを取り出し、検索した画面を見せてくれた。そこには美南しのぶのインタビューと間違いなく先ほどの男の写真がある。
「嘘だろ……」
俺は間抜けな顔になっていたかもしれない。だってあいつ、俺の作品を見てなんと言った?
――『なんてぎらつく明かりだ。駄作。眩しい《グレア》』
――『この失敗作、きみの?』
ぐしゃぁ! と手のなかでけっこうな厚みの名刺がつぶれた。
九谷がもの言いたげな瞳でそれを見たが、構うものか。
「あの野郎ォ」
先ほどまで俺の作品を称えていたギャラリーも一連のやり取りを見て「なんかこれ駄目らしいよ」「え、そうなの?」「有名な人が駄目出ししたんだって」と散り散りに去っていく。
ミイナの酷評はすぐに業界全体へ広まるだろう。そうしたら俺の輝かしい未来はどうなる!?
「いや、鍛代社長からは評価されてたやん。べつにええやん」
「良くない!」
九谷が面倒そうにフォローしたが、こんなこと絶対に許せない。
「あいつに撤回させる。ろくに見もしないで、俺の努力と作品を否定するなんて許せん、あり得ん!」
「え、それ本気? まあ、おもろいけど。ほどほどにしぃやぁ」
九谷は怠そうに生欠伸をし、ミイナの去った方をぼんやりと眺めていた。なにか気になることでもあったのか、こいつにしては珍しく考えこんでいる。
俺はいまや燃え上がる火柱のように決意を固めていた。
(なにが『ほどほど』!? 俺はそのお前のやる気のなさが昔から大嫌いなんだよ!)
美南(みいな)しのぶ。
世界のミイナだろうがなんだろうが、奴を絶対に俺の作品の前に屈服させてやる!
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