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俺の行動は早かった。
卒業制作の展示から二日後、俺は美南しのぶの自宅へ向かった。
名刺の番号にいくらかけてみても反応がなかったからだ。
「これ、なんかおかしない?」
名刺をもらった日にその場で電話していると、九谷が横から言った。
「なにが?」
「普通こうゆうん固定の番号やろ。なんで携帯のみなん? メアドも書いてないし」
たしかに。いくら業界に変人が多いといっても、そこは社会人の名刺なのだから連絡のつく電話番号と代替手段としてのメールアドレスは必須だ。でなければクライアントだって連絡のしようがない。
しかし名刺の番号にいくらかけてもコール音が延々鳴るだけだった。いい加減迷惑なのではというほど鳴らしてみたが留守電にもならない。留守電をつけない方も悪いと開き直り五分ほど粘って、俺はようやく電話を切った。
「仕方ない、諦めよう」
「お、つぐちゃん諦めるん、珍しいな」
「ああ。アポ取りを諦め、直接家に向かう」
「うはぁ、せやと思ったわ」
土産くらい持って行った方がいいと、なぜか愉快そうな九谷の言をうけ、俺は適当に雑誌『後悔しないおもたせ百選』から選んだ夏の銘菓・甘夏ゼリーを手に、名刺の住所を目指した。
(着いた……)
蝉しぐれがうるさい夕焼けどき、むっとまとわりつく夏の熱射の名残が空気にまだ含まれている。
俺は目黒の住宅地に立っていた。
あたりは美しい茜色に染まり、アスファルトからのぼる昼間の熱がサウナのように風景を揺らしている。
汗だくでスマホの地図と建物を見比べ、時計を確認すればちょうど五時だった。
手持ちのペットボトルはとっくに空になっている。げんなり見下ろした先に「Mina」と書かれた表札があった。
間違いなくここはかの有名デザイナー、美南しのぶの事務所だ。
前庭に鬱蒼と木々が生い茂り、入り口からでは家の様子が窺えない。なぜかここだけ周りの家より暗い。
両側の家には陽のあるうちから煌々と明かりがともされ、車庫や門扉が必要もないのに照らされているが、美南しのぶの自宅からは光というものが一切感じられなかった。手入れされてない庭木のせいかもしれない、暗黒を閉じこめたブラックホールみたいで不気味だ。
さらに気づいてしまったが、この敷地の前だけ道路を照らす常夜灯がない。
常夜灯のポールはあるのに、ここだけ電球が抜かれている。他の家の前にはちゃんと白い光がともっているので、理由をつい勘ぐってしまう。
ゴゲーッとカラスが思ったより近くで鳴いて、思わず大げさに身がすくんだ。
(気持ち悪っ!)
逢魔が時、閑静な住宅街に人通りはない。
覚悟をきめて、インターホンを押した。ここまで来て引くわけにもいかない。
(俺の作品を認めさせ、先の言葉を撤回させる)
先日のようにちら見しただけで作品の真価がわかるはずもない。そう思い今日は自作のデザイン例と経歴書まで持参した。これを見せ、いかほど俺が優秀かを知らしめる。あるいは百歩譲ってそうでないと言うのなら、納得のいく説明をきちんとしてもらおうじゃないか。
(覚悟しろ、美南しのぶ)
しかしインターホンを押しても返事はなかった。まさかともう一度押しても反応なし。
「くっ、ここまで来て!」
留守か。だが絶対に帰らないぞ、ミイナ本人を捕まえるまでは何日だって粘ってやる。
腹立ちまぎれにインターホンを連打してやった。ここまで来て留守なのもむかつくし、いい加減に夏の暑さも頭にきている。
(全部あいつのせいだ、くそったれ!)
ピンポーン、ピンポピポ、ピピピピピ、と連打すると、ミイナの家の背の高い木が不自然に揺れた。
生き物の大きな影だ、木の上になにかいる!
「っ!?」
「あ」
風切り音がして、俺は避ける暇もなく飛んできた物体をこめかみで受けていた。
ゴガッと鈍い音がし、肩からアスファルトに倒れこむ。
意識を失う寸前、自身の目がとらえた物体の意味がわからなかった。
(水入りの、ペットボトル?)
それが三つ、勢いよくなぜか俺めがけて吹っ飛んできたのだ。
「どうしよう……アンコと間違えた」
鉄板のように熱されたアスファルトに倒れ、視界が暗くなる一瞬、俺は金色のきらめきを見た気がした。
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