きみのマフラーになりたい

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 ランドセルを背負い、校章入りのコートを着こんで、マスクをした小学生が店の前を通り過ぎていく。寒いのか、落ちこむことがあったのか、背中を丸めて足早に立ち去った。  濃紺のコートも、下に着ているプリーツスカートの制服も、僕が年末にアイロンをかけたものだ。入学した時から何度もサイズが変わって、いまでは大人と変わらないくらいになった。子どもの服を手にしていると、成長の早さに軽くめまいがする。大人は退化していく一方だと突きつけられている気持ちになる。  店に来る母親のほうは、どちらかと言えば感じのいいタイプではないが、旦那さんのシャツやスーツも持ち込んでくれるので、この店にとっては上得意の一人である。  その後も、客足はいま一つだった。  降りだしそうな曇天と襲来中の寒波のせいだろう。いつもなら、仕上がったクリーニングをすぐに受け取りに来るはずのお客さんも、この空模様では足が遠のくのだろう。  クリーニング店での困りごとの一つに、預かった衣服をなかなか引き取ってもらえない場合がある。  仕上がりを急かす客は面倒だけれど、仕上がってもなかなか取りに来ない客も厄介なのだ。  店側から受け取りの催促をするのも、一度はともかく、二度目は言いづらい。なかには半年以上そのままになっていて、さすがに忘れているんじゃないかという客もいるが、勝手に処分するわけにもいかない。クリーニング屋を自宅のクローゼット代わりにするのは勘弁して欲しい。  もっとも、うちの店は限られた近隣の客がほとんどなので、大手チェーンと違って、大概は気をきかせて早々に取りに来てくれる。  僕がアイロンに没頭している間に、商店街の名前が書かれた街灯が明るくなっていた。  仕事帰りらしき若い女性、初老の男性、連れ立って歩く学生風の若い男たち。しばらくすれば、ほろ酔いの人々も通るだろう。  今夜はもう店じまいにしよう。  僕はガラス扉を押して、通りへ出る。いまどき自動ドアでないのは、もはや骨董品みたいなものだ。 「さっむ……」  日当たりが悪く、隙間風の入る古い店舗だが、店の中は暖かかった。外は冷蔵庫のように冷えていた。  看板をしまおうとして、雪の華がはらはらと降ってきたことに気づく。粉雪は僕の手の甲に落ちて、すぐに水になった。黒いシャツの袖に落ちた白いものはフケにも見えたが、じんわりと溶けて染みになる。  このあたりの冬は冷えこみはしても、雪が積もることは滅多にない。そういえば、初雪ではないだろうか。 「すみません。もう、閉店ですか」  うしろから声がして振り返ると、傘をさしたスーツの男が立っていた。  とっさに話しかけられたことよりも、暗がりの中で、男が誰だかわからないことにとまどった。  雪のせいか、寒さのせいか、鼻がきかない。普段の僕なら、この距離にいれば、匂いで相手がわかるのだが。 「中へお入りください。お受け取りですか?」 「はい。引換証は、これです」  ガラス扉を開けて、あたたかな店内へ客を招き入れる。  大きな手で器用に傘を畳む男を見て、僕は息を飲んだ。引換証なんか見なくてもわかる。  腰をかがめて古いドア框をくぐる男なんて、間違いようもない。
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