きみのマフラーになりたい

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 布団に入っても寝つけなかった僕は案の定、寝坊した。  慌てて着替えて、顔を洗って、髭が伸びていないことを確かめる。店に駆けこんだのが、開店時間ちょうどだった。扉の鍵を開けようとしたところで、昨晩、放置していた浅葱色の紙袋が目に入る。 「あ……」  このまま置いていて、別の客にもっていかれるのは困る。とりあえず、レジ下の貴重品をまとめてあるカゴに、目立つ紙袋を放りこんでおく。着服したわけじゃない。忘れ物を預かっているだけ。電話番号がわからなくて、連絡できなかっただけ。  自分に言い訳する自分が嫌になる。  中二病のような青臭いことを考えて鬱々とする。  シャッターをノックする音に気づく。慌てて、鍵を開けた。  派手に軋むシャッターを上げると、刺すような朝の日差しに目がくらむ。昨日の雪は積もらなかったらしい。地面はすっかり乾いていた。 「ごめんなさいねえ。急かすようなことしちゃって。ちょっと、急いでいたものだから」 「いえ。こちらこそ、すみません。おはようございます。どうぞ、お入りください」  朝一番にやってきたナガノさんは、白髪混じりのグレイヘアをすっかり整えてある。僕は反射的に後頭部に手を当てて、寝癖がついていないか気にしてしまう。 「この、主人の帽子とマフラー、明日までに仕上げることって、できるかしら」 「明日、何時に取りに来られますか」  急な依頼ではあるが、受け取った二点はどちらも小物で、いま抱えている急ぎのものはなかったはずだと預かり品を思い浮かべる。 「ええと、明日の午後、いえ正午でもいいかしら」 「承りました。正午までに仕上げておきます。お出かけですか」  深緑色の帽子とマフラーは、よく使いこまれてはいるが、少し樟脳の匂いがする。長くしまわれていたものかもしれない。 「ええ。主人はずっと寝たきりで、この冬は外へ出られなかったから。明日のお葬式に、きれいになったものを一緒に持たせてあげたくて」  ナガノさんの思いがけない言葉を聞いて、とっさに喉を詰まらせてしまう。 「ごめんなさいね。年寄りのおかしな感傷だと思ったでしょう」 「いえ。あの、改めて、お悔やみを申し上げます。お忙しい時に、足を運んでくださって恐縮です。心をこめて、洗わせていただきますので」 「ありがとう。お気持ち、嬉しいわ」  慌てていたので気づかなかったが、ナガノさんの目の下には濃いクマができている。白目も充血しているのが見て取れる。  僕は襟を正し、背筋を伸ばした。ひと回り小さくなったような気がするナガノさんのうしろ姿を見送る。両手で頬を叩き、遅ればせながら開店準備を進めた。  昨日とはうってかわって、来店客の多い日だった。めまぐるしい営業時間を終えたが、コウサカさんが忘れ物を取りに来ることはなかった。  僕は疲れきった体を引きずって、二階へあがった。紙袋のことは気にかかっていたが、どうしていいかわからなかった。
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