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「あ」
瞬く間に眼鏡がくもり、一切の視界を遮断した。
——やばい。
「設楽君、眼鏡が真っ白だよ」
鍋を挟んだ向こうで泉が笑っている。
史人はどうにかして眼鏡を外さずに曇りを取れないかと、指を差し入れて試行錯誤したが——結局、挙動不審になっただけで終わった。
「眼鏡、はずしなよ」
ゆっくりと、泉が言う。
穏やかだが、やや命令じみた——強い口調だった。
フレームをもつ手が微かに震える。
外すと、真っ先に泉の視線が絡まってきた。
先ほどのアルコールに浮かされた表情とは違う——ギラリとした一片を、そこに見たような気がした。
眼鏡を拭くためにうつむいている間も、ずっと視線は絡みついてきた。
蜘蛛の糸のように優しく、美しく——史人を追い込み、捕らえてしまう。
やばい。
本気でやばい。
もがけなくなるくらいに、その視線に支配されてしまいそうで——
「おそいね、園部君」
眼鏡を持ったまま、かけられないでいると、泉が言った。
しかし、声はどこか機械的で——気持ちが入っていないように思えた。
「すみません。トラブルがあったようで……。もうすぐ来ると思います」
「ふたりのままでも、別にいいけどね」
思わず顔を上げると、泉と目が合った。
しばらく、視線で互いをなぞり合ううちに——史人はもう、泉を美しく清廉な思い出のひとつとして心に閉まっておくことはできなくなった。
発情してしまったのだ。
こうなるともう、コントロールはできなくなる。
泉とやりたい。
泉に抱かれたい。
泉のアレを突っ込まれたい————
またそれが、視線を通して相手に伝わってしまうらしい。
泉はテーブルの下でひっそりと、脚をくっつけてきた。
このままだったら、あと2分ともたなかっただろう。
「遅れてすみません!」
——空気を滅多斬りにするようなテンションで、園部が入ってこなければ。
史人は即座に眼鏡をかけ直し、泉は脚を元に戻した。
「泉さん、お久しぶりっすね!」
静かな店内に、園部の声が響いて、史人はややげんなりした。
一度沸騰したはずの鍋は、冷めかけていた。
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