517人が本棚に入れています
本棚に追加
トイレは小綺麗で、洗面所の奥にひとつ、個室があった。
男子用なのに小便器はなく、洋式しかないらしい。
個室と洗面所、両方の扉に内鍵が付いていたが、用を足すつもりはなかったので、施錠はせずに洗面台へと直行した。
——だいぶ、顔が赤いな。
ついでに、自分の顔をまじまじと眺めてみる。
鼻筋は通っているが、特にこれといった特徴はない。
泉は自分のなにを見て、モテそうだと言ったのだろう。
ため息をついてから水栓のコックをひねった。
ネクタイを洗う水の音と、アルコールでぼんやりとした頭のせいで、背後の気配に全く気づかなかった。
洗い終えて顔を上げると——いつのまにか後ろに泉が立っていた。
思わず声を上げそうになったが、泉の熱っぽい目線を鏡越しに受け止めたせいか、喉の奥に引っ込んでしまった。
「あ、すみません」
個室のドアに干渉しないよう端に寄ったが、泉は動かない。
もっとも、彼がトイレを使いたいわけではないことくらい、わかっていたけれど。
「泉さん……?」
そして、内鍵を回す音だけが静かに鳴った時——史人は抗うのを止めた。
所詮、自分に綺麗な思い出など似合わないのだ。
今までの人生で、そっとしまっておきたい美しき記憶など、果たしてあっただろうか。
思い浮かばない。
ならば——欲望に忠実になることだ。
目の前には死ぬほどタイプの男がいて、自分は友人に牽制されて禁欲中で。
つまり、渇望しているのだ。
泉のカラダを————
最初のコメントを投稿しよう!