517人が本棚に入れています
本棚に追加
「試してくれて、いいですよ」
「……なにが」
「泉さんは、奥さんとすれ違いで欲求不満なだけかも。俺に欲情するのは、ほんの気の迷いかもしれない。だから……」
手のひらで、ゆっくりと胸を撫でた。
「本気で言ってるの?」
頷くと、鼻っ柱が当たるくらいにまで顔を近づけた。
「味見してください」
泉の目の色が変わった。
理性が欲望の黒い靄に——完全に支配されてしまったかのように。
「ん……」
唇を勢いよくぶつけられて、歯が当たった。
まるで高校生のような、不器用なキスが——逆に史人を煽った。
背中に手を回し、自ら舌を差し入れる。
それを受け取った泉は、今度はとびきり優しく、絶妙な力加減で史人を操った。
荒々しさと、大人の余裕が交互に訪れるような口付けだった。
「ん、ッン」
洗面台の上に座らされ、目線の高さが合う。
舌を吸われ、下唇を喰まれて——史人の脳はもう、くたくたに煮詰められていた。
「あっ」
シャツのボタンを外され、下着をまくられる。
露出した平らな胸を見て、泉の動きが一瞬だけ止まった。
しかし——ひと呼吸もつかないうちに、胸の突起に口づけられて、史人は体をそらした。
「あっ……」
泉の後頭部にしがみつき、体を震わせた。
舌で転がされ、ときに強く吸われて——次第にわけがわからなくなってくる。
「は、ぁ……っンッ」
「胸、感じるんだ」
「ん、うんっ」
返事なのか、はたまた嬌声なのかわからない言葉が漏れた。
やがて、膝に泉の興奮を感じ取り——そっと圧迫すると、泉が息を飲んだ。
「泉さ、ん……」
名を呼ぶと、泉は顔を上げてふたたび口づけてきた。
意識ごと吸い取られてしまいそうな——上手な、大人のキスだった。
「もう、俺……」
たまらなくなって、史人は泉自身にふれようとした。
——しかしそれは、機械的なノック音で中断させられた。
コン、コン、コン。
3回ゆっくりと叩かれ、2人はしばらく声を潜めた。
少しの間を開けて、また3回。
今度はやや、苛立ったような叩き方だった。
泉は夢から覚めたようにはっとして、体を離した。
「ごめん……」
「謝らないでください」
まるで、取り返しのつかない大罪を犯してしまったかのような反応だった。
しかし、史人はこういった反応にも慣れていた。
なんせ相手はストレートなのだ。
まずは、凝り固まった価値観を、ゆっくりと解すところから始めなくてはならない。
史人はシャツのボタンを直して洗面所から降りると、うなだれる泉にそっと耳打ちした。
「味見、どうでしたか」
「設楽く……」
「あとは、泉さんが判断してください」
言い投げてから、先に出た。
眼鏡をかけてから席に戻ると、馬鹿部が馬鹿面で待っていた。
「おせーよ、ふしだら」
キャンキャンとうるさいその声も、艶めいた余韻のなかでは、心地よいBGMのように思えた。
最初のコメントを投稿しよう!