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「おい、なに。怒ってんの?」
園部が伺うように、覗き込んでいる。
そうだ、馬鹿部に話しかけられていたんだった。
「まーでも、ふしだら君って感じじゃないよな、お前は。悪かったよ」
「……じゃあ、どういう感じですか?」
史人がやっと口を開くと、園部の三白眼がやや丸くなった。
無口な後輩から珍しく質問が返ってきたのが嬉しいのか、園部は椅子をゆらゆらと揺らしながら、史人の頭のてっぺんからつま先までを――にやけながら見ている。
そして、嬉々として言った。
「ガリでヒョロのメガネって感じかな」
――――クソ部。
ふたたび見積りに視線を戻した。
あと1時間後に外出するから、その前に上長の印を貰わなくてはならない。
「なあ、おい。話終わってないんだけど」
数字に間違いがないか、電卓を叩いていて確認している横で、クソ部が口を挟んでくる。
史人は舌打ちがこぼれそうになるのを、息を吐くことで抑制しながら、ふたたび手を止めた。
「A社の泉さん、異動らしいよ」
「……え?」
——少しの間、体が固まってしまったかのようだった。
「課長が聞いたんだって。お前もまだ知らなかったんだ」
―――A社の泉亮平は、史人の営業先の担当者だ。
年はたぶん、30をいくかいかないか。
日用雑貨などを扱う大手メーカーであるA社は、もともと園部のもつクライアントだったのだが、史人が入社するとともに、担当変更になった。
泉は——新卒で、右も左もわからなかった史人に優しく接してくれた恩人だ。
こちらからのたどたどしい提案を頷きながら聞いてくれて、終わった後には「頑張ってね」と励ましてくれた。
その温かな対応に、史人は何度助けられたかわからない。
――――そんな泉が、異動になる。
「ふしだら、もしかしてショックなの?」
園部のからかうような声がした。
史人は口角をきゅっと締めてから園部を一瞥し、
「いえ、別に」
ふたたび机に向かった。
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