取引先のあの人

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泉との飲みの席をセッティングしたのは、声をかけられてから2週間ほど経った後だった。 安全策として、不本意ではあったが——園部を誘った。 ふたりきりだと、酔ってしまった時に自信がないからだ。 それに、泉とは清いまま——新卒時代のよい思い出として、心にしまっておきたかったというのもある。 「なに飲む?」 「生でいいです」 メニューを手に取ったときの筋張った甲に見惚れながら、史人はぼんやりと答えた。 店で落ち合ってから20分経つのに、園部はまだやってこない。 どうやらなにかトラブルがあったようで、ずっと電話をしていた。 園部を待っていたら約束の時間に遅れるので、史人だけ先に出てきたのだ。 馬鹿部はやっぱりあてにならない———— 史人はあのアホ面を思い浮かべて、心のなかで舌打ちをした。 「なんか、不思議な感じだね。夜に会うの」 しかし、泉の穏やかな声で、そんなささいな苛立ちはかき消えてしまう。 薄暗い照明の下で見る泉は、自然光に照らされているときとはまた違った印象だ。 彫りの深さが目立ち、どこか色っぽい。 やばい。 アルコールの量を意識的にセーブしなくては。 運ばれてきたビールを前に、史人は思った。 ジョッキを軽くぶつけてから定型の挨拶を交わし、それぞれに煽った。 「設楽君、ビール飲むんだね」 「なんでですか?」 「いや、なんかイメージと違うから」 ——つまり、子どもっぽいということだろう。 童顔の史人は、未だに居酒屋で年齢確認をされることがよくあった。 「同居人には、クリームソーダじゃなくていいの?って、よくからかわれます」 泉は少し笑った。 「同居人って、恋人?」 まだ酒も進まぬうちから踏み込んだ質問をされて、史人はビールを吹き出しそうになってしまった。 「違いますよ。高校時代からの友達とルームシェアしてるだけです」 「そうなんだ」 泉は短く返事をしてから、運ばれてきたもずく酢をつついた。 箸の持ち方も綺麗だ。 初めて見る彼の動作にいちいち感動して、史人はジョッキの持ち手を握り締めた。 見つめていると、泉がそれに気付いて、にっこりと笑ってくれる。 やっぱり、笑顔は穏やかで、上品で———— ああ、やばい。 馬鹿部のやつ、早く来い。
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