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ずっと詰めていた息を、はあっと吐き出した。
痕跡を残さないよう、飲まず食わずでここまで走った。村の雌たちがおいしいお店がたくさんあると言っていたから、町に入ればなにか食えると思っていた。けれど臭いにやられた。腹は減っているけど食う気分になれない。
「どうしよう」
呟いて、頭をくしゃくしゃ乱す。
こんな臭いところで、これからやっていけるだろうか。けれどここなら“あいつ”に見つかることはないだろう。いや、優れた“狩り”が来たって大丈夫だ。町じゅうがこんな匂いじゃ、俺を見つけるなんてできるわけがない。隠れるならここが良い。
「……そうだ。思い出せ」
気配を消す訓練をした時、感覚を抑えるやり方は学んだ。
狩りに出たとき見つけた獣に察知されないように、感覚を殺して存在を薄める。もし郷を脅かすものがいたなら、気配を薄めて郷へ知らせる。それも“狩り”の大切な役目だと教えられた。
それを思い出してみる。
……まず感覚を薄める。気配が薄まる感じ。自分を薄める感じ。耳を閉ざし、鼻も閉ざして。
やってみたら少し楽になった。ホッと息を吐いたら感覚が戻ってきて、ウッとなる。
(失敗した。けど……なんとかなるかな……)
ふと水の方から気配が近づいてくるのに気づいた。ひと族の声も。顔を上げると舟が近づいてきていた。
郷にも川を渡る舟はあるけど、船を操る人狼の他に二匹しか乗れない。それと比べるとずいぶん立派な舟だ。馬車といい、家といい、ひと族はこういうのを作るのが上手い。
川岸にある板に舟を着けたひと族の雄何人かが板の上に荷を上げ始め、ぷんと魚の匂いがした。
魚の匂いが鼻を癒す。肩の力が少し抜ける。
荷揚げしてるひと族からも魚の匂いがしていて、なんだかホッとした。魚はあまり食べないけど、川縁も臭くないわけじゃないけど、さっきまでよりずっと良い。町にもこういう場所があるんだ。
うん、頑張ればやっていけるかもしれない。
夜になって、少し元気が出たので魚を捕って食べ、そっと川で水浴びをして臭さを紛らわせた。村で貰った服も臭くなっているような気がして洗った。
次の日も、そのまた次の日も川縁にいた。少しずつ身体を慣らそうと町に入る。感覚を閉ざす訓練だ。疲れたり耐えられなくなったら、また川縁に戻る。
月が痩せて鼻が鈍くなってくると、だいぶ楽になった。
なので町を歩く時間を増やす。
歩いているとあちこちで雌たちが発情していて、飲み物や食い物をくれた。ときどき雄も発情していたのが不思議だったけどメシは貰った。
俺は学んだ。
発情しているひと族は、頼みを聞いてくれる。
発情に付き合うつもりは無い、けど利用はできる。これで生きていけるかも知れない。
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