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35.過ち
響き渡る遠吠え。
それを耳にして、老いたアルファは己の役目がようよう終わるのだと知る。
漏れるのは、安堵の吐息。
自分がアルファの器ではなかったことは承知していた。
しかし愚かさは、あのとき他の選択を示さなかった────
◆ ◇ ◆
幼い頃より見知った郷とは違う、大きな郷。
番探しに出てから冬を一つ越えて訪れたここで、旅を終えることにした。番を見つけたからではない。
命じられたからだ。
『でかいし頑丈そうだな。その厳つい顔も気に入った。番の居ない雌を宛がおう。留まれ』
そう尊大に命じたアルファは、いかにも傲慢で覇気があり、強さと豪毅さで郷を率いている様子だった。
己が郷のアルファはもっと穏やかだった。けれど図体しか取り柄の無いこの身を欲するアルファがいるのならば、このアルファのために働こう。少し気になった尊大さも、大きな郷のアルファとはこういうものかと無理やり己を納得させた。
―――ずっと、運命を求めていた。
いや、運命は見つからないのだ。
そう諦めがついた。
産まれ育った郷にて、精霊より与えられた階位は守りだった。
だが、精霊よりの恵みはさほど多くなかった。
若狼から見事な成獣に変わり、重要な務めを与えられた同輩に羨む気持ちを持たなかったとは言わないが、幼い頃から優れた同輩に侮られて育ったこの身は、侮られることに慣れていた。
身体は大きく力も強いが、走りは遅く頭も巡らぬ愚鈍。しかし精霊は見捨てることなくこの身を呼んだ。恵みを与えられた。図体を生かして楯となれと、そう精霊が諭したのだと納得していた。
『恵みが少ないのは、精霊に好かれていないのだ』
ガンマがそう言ったとき、衝撃と共に郷への愛着は薄れた。好かれていない相手を、なぜ好かなければならない。
―――ずっと運命を求めていた。
精霊に好かれていなくても、せめて運命がそばにいればと何度も思った。日々侮られようとも番がいたなら慰められるだろうに。その思いが募り、決心した。
探しに行こう。運命と番う歓びを求めよう。
運命を見つけたら戻ってきて、守りの務めを果たすつもりだった。だから郷を出ることへの迷いはなかった。希望を持ち、それでも却下されまいかと思いながらアルファへ番探しの旅に出たいと伝える。
すぐに許可は下りた。だが、同時に告げられた。
『番を見出したなら、その郷に根を下ろすが良い。戻ってこなくて良いぞ』
郷には不要だと宣告されたのだ。しかし衝撃は少なかった。
さもあろうと納得するばかりのこの身に、アルファは柔和な笑みで言った。
『その覇気の無さよ。そなたを欲するアルファが居ようか』
それがこの郷に来て覆る。
この郷のアルファは、よそ者であるこの身にベータの階位を与えたのだ。よく分からない衝動に身が震えた。とはいえこの郷の精霊に呼ばれてはいない。アルファがそう決めたのだ。
精霊に呼ばれなくとも階位を得ることができるとは知らなかったが、なんとベータだ。期待に応えたい。アルファの為に身を粉にして働こう。この郷のために尽くそう。
しかし求められたのは、ひたすらそばに侍ることのみ。これでは前の郷、守りの務めと変わらない。
ベータとしての務めは他の雄が担っていた。おそらく俺の能力が足りないゆえに。
ならば、なぜミュウに任じなかったのか。
疑問は感じたが流した。問うて階位を剥奪されたら元も子もない。
そして
―――この郷でも、侮られた。
『厳つい外見にそぐわぬ中身』
『図体だけの能なし』
侮られるのは、慣れている。
―――ずっと、運命を、求めていた。
番と共に生きるのだと疑いなく考え、旅をしてきた。だが……ここで、諦めた。
いや、旅に意味はあったのだ。この身にベータの階位を授けた郷に身を捧げるのだ。これが我が身の丈に合う幸福なのだ。
日々、己に言い聞かせる。
番の無い雌と棲まいを構えた。これこそがいつか手に入れたいと願っていた生活なのだ。旅で疲弊した身と心を、ゆっくりと癒やしていこう。
次の春。発情した雌のためにイプシロンから薬をもらい、子を成した。
これで、れっきとしたこの郷の成獣となれたのだ。
冬を二つ超えた。
だいぶこの郷に慣れ、老いたものの中に親しく語る相手もできた。
成した仔は無事育って他の子狼と遊ぶようになり、いろいろ学んでいるようだ。
そんな、穏やかなある日。
長く郷を離れていたという語り部が戻ったと報せが入り、アルファから傍に侍るよう言われ共に向かった。
冬を三度超えるほどの間、ひと里にて学ぶ務めを終えて戻ってきたシグマ。
その匂い。気配を感じ、姿を見て息が止まり、動けなくなった。雷に打たれたかような衝撃。
一瞬で悟ったのだ。――――運命の番だと。
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