35.過ち

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 紫の瞳、銀に近いほど淡い金の毛。ひどく美しく、まだ若い……雄。  運命を見出した強い喜びの一瞬後、激しい怒りに襲われ、森の奥へと走った。  どうあっても運命とは番えないと気づいたからだ。  ―――ずっと、運命を、求めていた。  育った郷で、番なしは精霊に言祝がれぬカタワだと言われたことがある。運命は精霊が定めるものだと。  ―――求めていた。運命の番を。  この郷に我が身を導いたのが精霊だとするなら―――なぜ運命が雄なのだ?  雄と番うのはアルファのみ。  この身がアルファとなるなど、……あり得ないではないか。  精霊は、いかほどの辛酸を与えるのか。  まして棲まいには子を成した雌が居る。 はたから見れば紛れもない番が。  なぜ。 なぜ! なぜだ!!  獣しかいない森の奥で慟哭した。  ―――精霊よ!  ―――それほどまでにこの身は不要か!  育った郷を、この郷を、精霊を呪い、いっそこの身を塵に帰してくれと願う。  しかし見出した運命から離れるなど、どんな人狼にもできるわけがない。  ましてこの身は―――ずっと、運命を、求めていた。  それまでは、至らぬまでも務めを果たさねばと努めていた。  しかし、その気力も削がれた。この身も含めすべてが厭わしくなった。  離れて、陰ながら、番を目にすることのみに喜びを感じる。  何より厭わしかったのは、子を成した雌だ。すり寄ってくると激しい嫌悪を覚える。運命以外の匂いが身近にあるのが嘔吐を誘う。触れるなど論外。寄るな触れるなと威嚇し、寄ってくれば殴り、甘えた声を出せば蹴り飛ばす。子狼もこの身に近寄らなくなった。  ひどく醜い気持ちを抱えながら過ごす。  ひと族の王都で学んでいたという運命は、優しく美しいだけでなく、賢い。  あるとき他の人狼のいない場で二匹だけになった。  その声を聴くだけで手足がしびれた。  応えれば微笑みをくれた。  手を触れあっただけで歓喜が全身を走る。それは運命も同じだったようだ。  なんと美しい。その匂い、気配、風に流れる毛一筋、仕草、運命は歓びしか齎さない。  人狼の寄りつかぬガンマの森近く。  いつしかそこで忍び会うようになった。  鼻を擦り合い、互いの匂いを堪能し、心の赴くまま、手を、頬を、……触れ合う。それだけで、深い歓びがこの身を奮い立たせる。  すぐに夢中になった。何度も忍びあう。  鼻を擦りあう、手を握り合う、抱きしめ合う。……至福のときを過ごせた。 「匂いを移すわけにはいかないからね」  賢い我が運命は、匂い消しを持参していた。  曲がりなりにも番の居る己、そして雄同士。このような時を持つことを、精霊は許すまい。そう分かっていても、わが身も運命もやめようとは言わなかった。  そうして春、運命と共に発情する。  森の奥、草の中で、番となった。  運命は雄の形のまま、この身を受け入れてくれた。互いの匂いで高まる情欲はなんど熱を吐き出しても収まらず、互いの匂いを互いに染め合う。  これこそが本当の歓び。  知られたなら、郷から放逐されるだろう。だからどうした。そうしたいならすれば良い。運命さえいればいい。他のなにも望まない。  己を律する? そんな必要がどこにある。  運命と出会い、この時を過ごすために今までのときがあったのだとしたら、再度生まれても同じときを過ごそう。  今まで厭い、羨み、惨めに感じていたすべてが必要だったのなら、そうでなければ運命と出会えないのだとしたら、ここまでのときすべてが必要だったのなら。  この身のさだめを、受け入れよう。  アルファは郷の人狼を掌握する。  この身はともかく、我が番の動向に気づかぬはずもなかった。  運命が拘束されたことを知ったのは、アルファの前に呼び出されたときだ。  当時のオメガは守り(ミュウ)筆頭。  オメガは穢れを嫌うという。つまり穢れと断じたから、この身をミュウに任じなかったのかと納得したのは、いつだったか。  郷とアルファを守る者であるミュウは、アルファのそばに汚らわしい身を寄せるなと怒った。  運命とまみえることも許されず、子を成した雌は棲まいから一歩も出ぬよう見張る役目となった。おそらく、憎しみをもって。  運命がどうなったかは知らされなかった。  郷に何が起こっているかも知らされず、厭わしい匂いを発する雌と共に狭い棲まいに押し込められる。この身を滅することも考えた。しかし運命が悲しむだろうと思えばできなかった。  やがて、雄すべてが郷の命運を決する戦いにおもむくと聞かされた。  老いたもの、病んだもの、戦えないものは置いていく。アルファはこの身が共に行くことを禁じた。 『年寄りと雌と子狼を守るくらいはできるだろう。郷に残って、せいぜい励め』
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