35.過ち

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 アルファとオメガのいない郷で、ようやく運命とまみえた。  運命は変わらず美しかった。  鼻を擦りあうことはしなかった。指先で触れ合うことすら避け、それでも距離を置いて見つめあうだけで、身の奥から歓びが湧き上がった。  アルファが、この身を蔑ろにした郷の雄ほとんどが失われたと知ったとき、湧きあがったのは歓喜だった。  さんざん侮られた。しかし残ったのは俺だ。それこそが運命(さだめ)。勝者は……俺だ!  この身がアルファとなり、この郷を牛耳るのだ────!  アルファは郷を統べる者。  この身こそがこの郷を、森を、保つのだ。運命には安らかに過ごしてもらおうと、そう思った。  だが知った。  オメガたる運命があってこその、この身なのだということを。  運命がオメガとなり、この身も精霊に呼ばれアルファとして言祝ぎを受けた。しかし与えられた祝福は、多くなかった。  雄のほとんどいない郷は見向きされず、いずれ精霊にも見放されると、近隣の郷との交流は少なくなった。  まず減ってしまった人狼を増やさねばならない。  子狼を増やすことが何より先だと考え、若狼と雌にイプシロンの作った薬を使うよう命じた。番以外の匂いで発情せぬ身体に薬を使い、交合するよう命じたのだ。  イプシロンもこの身も例外とはせずに、何匹かの雌と交合した。だが我が仔を孕んだのは我が運命のみ。時はかかったが、二匹の雄を産んでくれた。  しかし二匹目を産んだ後、我が運命は一気に衰えた。輝くばかりだった肌はかさつき、毛艶は失せ、声は小さく気配も匂いも薄まって、すぐに眠ってしまう。  無理を強いた若狼や雌は精霊に見放され、アルファの影響力から離れていった。統率できないまま、郷には荒れた棲まいがあふれ、森も荒れていく。  かつて森で最も大きいとされた郷は寂れ、精霊の力も及ばなくなっていた。  言うことを聞かぬ若狼に期待することはとうにやめていた。なんとか郷を保とうと考え、自ら動いて森を保つべく働いて働いて、働きぬく。  賢い我が運命(つがい)に助言を求めようかという思いは過ぎった。しかし消耗して存在まで薄まっている運命に無理をさせたくはなかった。運命が失われたなら、この身も正気ではいられまい。  だが講じた策は(ことごと)く裏目の結果をもたらすばかり。このまま郷は滅びるのかと、衰える我が運命と共に暗澹たる心持ちになった。  子狼たちには正しい郷の在り方を教えようと、老いたものが頑張ってくれていた。我がオメガのもとには、お話を強請る子狼がよく来ていた。  やがて、十を超えたばかりの子狼から、厳しい助言を受けた。  藁にもすがる思いで助言を容れ、子狼たちに協力させながら、なんとか郷は保たれた。  だが、無理を強いた若狼が郷を放逐されることになる。あれらはアルファたるこの身の命に従ったのみ。罰を受けるならこの身であるべき。そう慟哭すると、運命ははかなく笑った。 『罪を負うなら、わたしも同じ。おねがいだから、儚くならないで』  運命の望みを叶えるためなら、なんでもしよう。永らえろと言うなら、生き恥をさらそう。  だが、己の失策で前途のあった若狼が荒れていくのを見るのは辛かった。商人に彼らの手助けを頼んだが、職分ではないと断られた。  何もしてやることができなかった。   ◆ ◇ ◆  往年の輝きの失われた郷。  この責はすべて、不相応な望みを持ったこの身にある。  我が運命に、我がオメガに罪は無い。  そのオメガも失われた。  焦がれるのはこの身を塵に帰すそのときのみ。  ようやく頼もしい人狼が育った。郷は新たな時代を迎えようとしている。  紛い物のこの身とはまったく違う、確かな力を持った新たなアルファの遠吠えを耳にして、安堵の息と共に体から力が失われていく。  そのときを指折り待つ必要が、ようやく無くなるのだ。  それは老いた者にとって救いであった。
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