498人が本棚に入れています
本棚に追加
/149ページ
36.新生
いつしか身に纏っていたものは取り払われていた。
互いに上になり下になり、甘噛みを繰り返し、ときに牙をたて、歓喜の余り一方が遠吠えすれば、もう一方も吠え声を重ねる。
遠吠えは爽快。それが人狼だけれど、二匹で吠え声を重ね合わせると、心の奥底まで洗われる清々しさがあった。
睦み合いは、互いに吐き出すものが無くなり、寝床となっていた枯れ葉がしっとりとしても止まらない。
身の内に注ぎ込まれた新たな命の種は、精霊に言祝がれている。
愛しい金の瞳には確かな喜びとみなぎる力が見える。
我が運命に正しい導きを与えたのだ。そう知って、喜びが、熱が、おさまらない。
いつしか闇が追い払われていた。
葉の無い枝ごしに落ちる陽の光が、愛しい番をキラキラと照らしていた。
そうと気づいて互いに目を合わせ、いかに夢中だったのかと互いに笑みを交わす。
明るくなっても精霊たちは辺りを漂い、祝福するかのように瞬いている。
毛先や手足の先に陽の光を受け眩しさに目を細めつつ、番の毛先を引っ張って悪戯している精霊を見つけ、笑ってしまいながら銅色の毛先を指先で払う。毛についていた枯れ葉と一緒に精霊が飛んで、嬉しそうに瞬く。
どちらからともなく鼻を擦りつけ合い、微笑み合った。
「……俺の、アルファ」
「我が、オメガ……」
なんて胸に響く声。金色に輝く瞳も、鼻も髭も逞しい顎も、照れくさそうに笑んでいるくちもとも、毛の一筋すら愛おしい。
逞しい腕が引き寄せる力にに抗わず、胸に抱かれる。銅色の毛に覆われた胸板に頬を寄せる。
ああ、鼓動すら愛おしい。
胸元にほおずりしながら、胸に置いた手を、逞しい腹へと撫で下ろしていく。この肌の触れ心地。さらに下は、もう全てを放出し、だらりとした雄の印……
「おい」
大きな手が俺の手を優しく止める。
「よせ。もう空っぽだ」
「だって、ぜんぶ愛しいもの。何度だっていい。絞りだそうか?」
クスクス笑いながら鼻を擦りつけると、俺のアルファも苦笑しながら擦りつけてくる。
「馬鹿者が」
「馬鹿なのはあんただ」
何も知らなかったんだから仕方ないけれど。
「あんたはひたすら俺を可愛がれば良かった。ほんの子狼の頃からそうされていたら、俺はなんの不安も抱かずに、あんたがアルファになる日をただ待ったのに」
過去のオメガから得た知識だ。
かつて、ここが最も強大な郷と呼ばれていた頃。
見出した番が雄だった者は、アルファになる資質を備えた者として特別な教えを受けていた。幼いうちから番とあることはプラスに働く。精神は安定し、精霊は歓び、さらなる強い成長を促され……。
むしろ番と触れ合うことを阻害されると精神が歪みがちだった。性質がアルファに向かぬと判断され、番とまみえることを禁じられて気狂いの病になり、郷を出奔する者もあったという。
「なのにずっとずっと我慢していたなんて。あんたはまったく……」
共に時を過ごした番同士は、オメガとなる準備が始まると接触を絶ち、穏やかな変化を待つ。この時期は引き金たる番が近寄ることは禁じられる。
十五歳の頃、ガンマが近寄ることを禁じたのは、そのとき獣欲と食欲の区別がつかなくなっていたから、なのかもしれない。あのときは頭から俺を食いたいと思ったらしい。けどその後のケアは……まあガンマだからね。
いつも寝てるし、言葉足りないし、シグマがそう誤解したなら、誰も訂正する者はいない。仕方ないことだった。けれど……
今はアルファも知っている。俺が教えたから。
「そうだな」
ただ俺を待ち続け、歪まずにいてくれた。精霊たちも驚いていたよ。
「だがもう良い」
誰より強いアルファたる資質があるのだろうって、褒めたり馬鹿にしたりだったよ。
「おまえを我が腕に抱けたのだから、それで良い」
「うん。嬉しい……」
ずっとこのままでいたい。
けれど腹が減った。喉も渇いた。でも離れたくない。
目を細めた俺のアルファが、大きな手を上げて毛を払う。
「なに?」
目を細め、目の前に枯れ葉を見せた。
「毛に、たくさんついてる」
「ああ、ありがと……あんたも」
俺も身体や毛を払う。
少し湿った枯れ葉が落ちていく。
「こうしていたいのはやまやまだが……皆の所へ行かねば」
身を起こしたアルファは俺の背に腕を回し、身を起こさせて、また毛を払う。
クスリと笑う我が運命。ああ、朝陽を背にした俺のアルファは、なんて雄々しくも綺麗なんだろう。
でも郷のみんななんてどうでも良いじゃない。俺とあんた、二匹でずっといられれば、それだけで。
「おまえを、皆に見せねばならない」
宥めるように毛を撫でられ、少し不満な顔をしていたのに気づく。
「俺は、アルファとしてのつとめを果たす。聞き分けてくれ。俺のオメガ」
分かる。
アルファも本当は片時も離れたくないと思っているのが伝わる。
なんの不安もない。
「……分かった。行くよ」
だから俺は、しぶしぶ頷いてアルファの手を取り、立ち上がった。
なにも身に纏わぬ姿のまま、郷へと二匹、ゆっくりと進む。
いつしか、狼の姿となっていた。
新月なのに、何の障害もなく、変化していた。
最初のコメントを投稿しよう!