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「それであのバカ、真正面から突っ込んで、相手ごと崖から落ちたんだぞ!」
俺は笑って、ずっと笑って、心が軽くなっていく。
「ほんっとバカだよなあー。それでかすり傷ひとつで済んでるんだから、バカだけど頑丈すぎるよな! 単純バカ、つうか」
良くこんなに喋り続けられるなこいつ。
と、感心しながら。
「すぐ周りが見えなくなるんだよ、バカだけど面白すぎつうかさ、───って、おっと脱線したな、オメガの~……なんだった?」
いやずっと脱線してるから。しかも忘れてるし。
「いいよ、ベータの話聞かせて」
笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を指で拭いながら言った。
むしろ聞きたいし、その方がいい。ていうか今まで意識して避けてたから、あんまり知らなかったベータのこと、一杯聞けて嬉しい。
真っ直ぐ突き進むベータ。きっとそのとき、雄々しく遠吠えなんかも……うん、カッコイイ。
それに落ちてもかすり傷……なんて素晴らしい強さなんだろう。
でも少しは痛かったんじゃないかな。それでも痛い顔なんてしないで、くちもとを引き締めて、あのキリッとした目で…………うわあ……。
やっぱりカッコイイよなあ。
ああ、逢いたいなあ……
ふっと、そう思ってしまい、ずっと考えないようにしてたことを思い出す。
ここに来てから声は薄まって、無闇に身体が熱くなることは無くなったし、少し思い出すだけなら大丈夫っぽいけど。
でも怖かった。
────あの夜。のことを思い出すと。
またあの時みたいに身体が熱くなるんじゃないかって、怖かった。
けど、今はシグマがいる。辛くなってもガンマがいる。精霊がたくさんいるこの森なら……助けてくれるって、なんとなく、そう思えて。
しゃべり続ける陽気な声を聞きながら────あの日、あの短い時間。思い出しても……いいよな……封をしていた、ベータのこと……
────最初に名前を呼ばれて。
ガキじゃ無い、とか言ったけど、あれは全身の血が逆流するみたいで……やめさせたかったから。
毛穴が全て開いてるみたいで、そこから身の内に忍び込んできた。
匂いも感覚も音も、それ以外の何か圧倒的なものも、全てが。
身体がどんどんヘンになってくから、やめさせようって思ったんだ。なんかおかしいって、ゾクゾクするし毛は逆立つし、怖くて、怖くて────
だからやめて欲しいのは本当だったけど、……もっと呼ばれたい……とも、思って……でもそれを認めるのも怖くて……いきなりだったし、わけが分からなかった。
────だからずっと声が聞こえるのかな。あのときの望みが続いてるのかな。
あの指。
髪や頬や……なぞるみたいに滑るあの指から、なにかがジワジワ染みこんでくるみたいだった。
そして────ああ、ヤバい、思い出すな。でも、だって…………あんなの知らなかった。
すごく幸せな気分、だった。あのまま、あの匂いに、ベータの温かい気配に、包まれていたかった。逞しい腕で、もっと抱き締めて欲しかった。
……でも逃げ出しちゃった。
だって……真っ暗な深い穴のどん底に落ちたみたいな気分になって────
それから姿は見てない。
なぜか声は聞こえるけど、間近で見たのも触れたのもあのときだけ。
なのに、今でも脳裏に、あの凜々しい姿が浮かぶ。
雄らしいがっしりした身体は力強く俊敏だった。
誰より輝く瞳は、逢えなくても俺を魅了し続ける。
最高に魅力的な────ベータ。……ああ、ベータに逢いたい……
「おい聞いてるか? 赤くなってるぞ? おまえ、せっかく話してるんだから聞けよ~」
「あ……うん。ごめん」
でも、だって。
声は……まったく消えてるわけじゃない、ような気がする。
今でもうっすら声が聞こえる気がするんだ。ここにベータはいないのに、ずっと俺を呼んでる気がする。
「しょうがねえなあ」
ヘラッと笑ったシグマは、ベータや他のみんなの笑い話を喋り続けながら一緒に洞穴に戻ると、「また来る」と帰って行った。
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