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1.
思い出したくもない過去っていうものは、誰にしもある。
その後トラウマを残してしまうような、そんな過去が。
留美の下宿へ行くのは、少し気が重かった。少し、ほんのちょびっとだけな。
世話好きの彼女は、よく自室に招いて手料理を振る舞ってくれる。料理好きで、俺に食べさせたいという気持ちは嬉しい。
厄介なのは、あまり腕が良くないということだ。
ティラミスやショートケーキのようなスイーツなら、店で売っているものには程遠くても、まだ美味しく食べられる。
味噌汁や豚の生姜焼き、こういう類が厳しい。冷や奴を不味く作れるのは、ある種の才能なんだろうか。
俺が食べるのをニコニコと見守り、完食すれば手を叩かんばかりに喜んでくれる。
そうなると味にケチをつけるのも躊躇われ、結局今まで、美味いとしか感想を述べなかった。
駐輪場にバイクを停めて、コーポの階段を上り、二階の奥で呼び鈴を鳴らす。
午後六時を過ぎた頃合いで、今夜も留美は夕飯作りに勤しんでいたことであろう。晩御飯は自分が作ると、宣言していたし。
元気よくドアが開き、満面の笑顔が俺を迎えた。
「アッちゃん! 寒かった?」
「雪がちらついてたよ。積もるかもな」
「えーっ、雪かき面倒だなあ」
彼女はそう言いつつも、どこか楽しげに外へ目を遣る。
本当に積もり始めたなら、ここから俺の下宿までバイクで帰るのは危なっかしい。泊まっていくかも、そう期待しているのが見て取れた。
「体が冷えてるなら、先にお風呂にする?」
「いや、いいよ。顔だけ洗う」
「オーケー。アッちゃん用の膝掛けを買っといたよ。座って待っててね」
淳司を縮めてアッちゃんと呼ぶのは、留美だけだ。自分だけの呼び方が欲しいと、彼女が考えた愛称だっだ。
順調な付き合いだと、胸を張って言える。風呂が先か食事が先か、なんて、新婚みたいで照れ臭くも頬が緩んだ。
キッチンへ戻る留美を横目に、俺は居間に腰を下ろす。
部屋中央の丸テーブルには、既にグラスやスプーンが置いてあった。
スプーンで食べるとなると、今夜の食事はカレーかな。いや、この匂いは……。
誰が作ってもそれなりに出来そうなカレーなら、俺も安心しただろうに。どうもイヤな予感がする。
白地に淡く格子模様が入った膝掛けが、新たに増えた俺用だろう。
ヒーターパネルでは冷気を追い出すには力不足で、ジャケットを脱ぐと少し寒い。
大きめの膝掛けを広げ、腹から下をすっぽりと覆い、留美の料理が終わるのを待った。
同じ高校から、同じ土地の大学へと進んだ俺と留美。だけど、彼女はデザイン系で、俺は経済学部と進学先は違う。
絵の具のチューブや筆が、部屋の隅で雑にまとめてある。
彼女のデザインは、花や自然をモチーフにしたものが多く、素人の俺でも分かり易い。作品自体が見当たらないのは残念だ。
来月の誕生日に何が欲しいか尋ねたところ、画材がいいと答えられた。実利優先で色気が無い話だが、絵が心底から好きな彼女らしいとも言える。
材料費も馬鹿にならないし、絵の具のプレゼントも悪くないか――そんなことを考えていると、留美が皿をトレイに乗せて運んできた。
「お待たせー。デザートは食べてから出すね」
「ああ……、ん、ありがと」
悪い予想が的中してしまう。
自家製ドレッシングのかかったサラダ、これはいい。メインディッシュは、鶏肉と野菜が入ったホワイトシチューだった。
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