安斎透と山本歌織(銀座の片隅の宝飾店の話)

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【安斎透と三人の山本】※スター特典から抜粋  階段室とは、ビルの階段に設けられた部屋の事である。  商業ビルの階段室には、入居している店舗の品性が現れる。段ボールや備品が積み上がっていて、消防の検査の時にだけ綺麗になる階段室を持つ店は、一流とは言い(がた)い。  安斎(あんざい)透は新しくはないが綺麗に手入れされている階段室の床に両膝を付きながら、そんな(らち)も無い事を考えていた。  気を紛らわす、生活の知恵だ。歯医者で口を開けるとき、天井の模様を眺めるのと同じようなものである。 「安斎。」 「はいっ」  歯医者……ではなく、目の前に立っている上司に呼ばれる。  よく手入れされたパンプス。よく手入れされた手と爪。よく手入れされた御御脚(おみあし)……はともかく、前の二つはこの業界の職業人として、大変大事なポイントである。 「今日のあれは、なに?」  階段室に、(たえ)なる天上の響きの様な声がこだまする。祈りを捧げたくなる寸前で、罵倒されると困るので止めた。 「申し訳有りませんっ!!」  その代わり、上体をつんのめるギリギリまで傾ける。 「最敬礼くらいは出来るのねえ」  腕組みしながら安斎の前を往復する山本歌織(やまもとかおり)の足音が、声のバックにパーカッションの様に響いた。 「北浦様は、笑って許して下さいました。……けれど、お客様が全員、北浦様みたいにお優しい訳では無いのよ?」  分かっている、身に沁みて。  城山様は十二分に、お優しくなどなかったのだから。  怖かった。背筋が凍った……しかし、山本はそれを見ていない。 「北浦様は、まだお若いでしょう?これからの人生でジュエリーが必要になる場面が、幾つも有るわ。お友達にお勧めの宝飾店を尋ねられる事も、有るかもしれない」 「はい」  (ひざまづ)いて御意、と言いたい様な雰囲気だが、ここは宮殿ではなく階段室である。 「それに、あれだけ綺麗なお嬢さまですもの……!ティアラアミュレットシリーズを着けて下さるというだけで、ありがたい広告塔みたいなものなのよ……!!」  山本の目が、すっかりイッてしまっている。  さすが、「美しい女性を美しいジュエリーで飾る事こそ私の天命」と言い切るだけの女である。  ちなみに、男は女の為に在る、というのも山本のモットーだ。なので城山様のお振る舞いひとつひとつには、いたく感激していた……というか、北浦様のお相手として及第点を与えていた、勝手に。 「安斎?あなたの仕出かした事は、未来の機会損失に繋がりかねない大変なミスなのよ?」 「重々、存じておりますっ……」 「反省なさい、海の底よりも深く。」   「歌織さんっ……誠に、申し訳有りませんっ……!」 「チッ。」  安斎に名前で呼ばれた歌織は、あからさまに嫌そうな舌打ちをした。  だが、どんなに嫌がろうが、どうしようもない。  この店に山本は三人も居るのだ。識別するのに、名前呼びするのは止むを得ない。 「あれ?こんな所で、なんのプレイ?」 「恵佑(けいすけ)さん!」  二人目の山本が来た。 「歌織。あまり新人くんを(いじ)めちゃ駄目だよ」  一見馴れ馴れしい名前の呼び捨てにも、理由が有る。この店は同族経営であり、三人の山本は親戚同士なのだ。 「これは、苛めじゃなくて躾……でもなくて、指導ですわ。お先に失礼致します。……安斎、分かったわね」 「はいっ!!」 「お疲れ様、歌織」  鋭く睨みながらシニヨンとセキュリティを解いて閉店後の店内に去っていく山本歌織を、山本恵佑は苦笑しながら、安斎透は魂を抜かれた様に見送った。 「安斎君?」 「はいっ!」  山本恵佑は、「待て」と言われた仔犬の様に膝立ちしている安斎を、やれやれ、と見やった。  まるで、女神に心酔している信者の様ではないか。こんなことで先々大丈夫なのだろうか。  山本歌織は、知らないのだが。  安斎透は、地方大都市の老舗宝飾店の跡取りだ。  大学で経営を学ぶ傍ら、ダブルスクールで夜間の専門学校に通って宝石と宝飾を学んだ後、銀座で磨かれて来いと、修行に出されているのである。  ついでに嫁も探して来い、とも言われている。現代では貴重な、ボンボン中のボンボンなのだ。  そして、目下の所、三人目の山本に追い掛けられて逃げ回り、山本歌織を崇拝している。 「まあ……頑張れ。」 「はい!明日からもっと、頑張ります!」  飲みにでも行こうか、とボンボンを立ち上がらせながら、山本恵佑は明日からまた始まるだろう二人の山本との攻防を思って、くすりと小さく笑みを漏らした。             【終】  
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