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それじゃあ、前回の続きを話そうか。
えぇっと……どこまで話したっけ……?
――あぁ、そうそう。主人公の父親がメモを渡して亡くなってしまったってところまでだね。
この時点での彼女の心はぐちゃぐちゃだろうね。いま僕から話を聞いている君達と同じで、何一つ分かっていないわけだから……。
でもまあ、今回の話の中で前回の謎はある程度明かされるから、物語の中の彼女同様に君達もスッキリするとは思うよ。
じゃあ、進めていくね……。
葬儀やその他諸々の手続きなんかは祖父母と伯父が段取りをつけてくれたから、彼女は言われるがままにその全てを消化していった。
一緒に暮らすか、とも言ってくれたんだけど……彼女はそれを断った。
何で、って思うかい?
それはね……彼女の心の中は変化への戸惑いがあるわけじゃなくて、父親の死を受け入れられないという気持ちで溢れていたからなんだよ。
だからこそ彼女は、藁にもすがる思いでメモに記された神社へと向かったんだ。
父親が自分に何を伝えたかったのか、それを確認せずにはいられなかったんだね。
神社の受付で名前を告げると、すぐに誰かを呼びに行ってくれてね。彼女はその場で景色を見ながら時間を潰してた。
でもそんなとき……それはあまりにも突然に彼女の視界に現れた。
……あの黒い靄さ。
それが木の陰から姿を見せて、ゆっくりと彼女に近付いてきたんだ。
彼女は驚いたというよりも疑問を感じた。
それもそのはずで……前回言ったと思うけど、その黒い靄は必ず誰かの傍らに現れてた。それが今回は単独で出現した挙げ句、近付いてくるという今までにない行動を見せている。
その光景がただただ不思議で、彼女は逃げることなく靄を観察した。
でもね……それが間違いだったんだよ。
靄は彼女の目の前まで来ると、その身を伸ばすようにして彼女の腕に触れた。
その瞬間、凄まじい痛みが彼女の全身を駆け巡った。それはもう想像を絶する痛みでね……叫び声を上げる暇もないほどだったんだ。彼女はその激痛に、一瞬にして意識を失ってしまった。
そうして次に目覚めたとき、視界には見知らぬ年配の男性と、彼女と同じくらいの年齢に見える青年が映った。
場所も外ではなく、和室の中に移動していてね。丁寧に布団まで敷いてくれてた。
意識を失う間際のイメージが残っていた彼女はひどく狼狽えたんだけど、男性の優しい声に徐々に落ち着きを取り戻していったんだ。不思議と痛みも残っていなかったからね。
それで話を聞くと、どうやら男性は神社の宮司で、彼女の父親から相談を受けていた人物でもあったんだよ。隣の青年は一人息子で、その件について一緒に取り組んでいたと説明を受けた。
その後宮司は父親との事を話してくれたんだけど、その内容は……今までの彼女の常識を根底から覆すものだったんだ。
それは……幼い彼女を連れた父親が、助けを求めてやって来たところから始まったそうなんだ。
どうにも様子がおかしく、尋常ではない泣き方をする。寺にある文献ではこの症状を説明できる物が存在しないと、そんな内容だったみたいでね。
宮司も最初は病気じゃないかと疑ってたらしいんだけど、当時の彼女をひと目見た瞬間にその考えは吹き飛んだらしいんだ。見た目はごく普通の小さな子供。なのにその内側から感じる気配は、宮司ですら怖れるほどの禍々しいものだったそうなんだよ。
細部を省いて結論から言うとね、彼女はその身に呪いを宿してしまっているということだったんだ。
それがどういうもので、本当に呪いなのかってことは誰にも分からない。でもその言葉でしか、彼女の状態を説明することはできなかったんだ。
宮司は専門家に対応を委ねるべきだと言ったらしいんだけど、父親はその提案を断った。その呪いを解明できる可能性が限りなく低いことと、例え解明できるとしても何年かかるかが分からないこと、それが理由でね。
生まれた子供に普通の人生を歩んでほしい。それが父親の願いだったんだよ。
そのときの宮司も息子が生まれたばかりだったみたいでね。その想いに共感して、呪いに対する清めの方法と注意事項を父親に教えた。定期的に連絡を取り合うってことも約束してね。
それにね……実は父親が亡くなった当日、呪いが強くなっている気がする、と父親本人から連絡があったそうなんだよ。それで翌日に対応を練り直そうと、そう話し合った矢先のことだったらしいんだ。
彼女はその事実に困惑を隠しきれなかった。
無理もないよね……。自分を救おうとしたために父親が死んでしまい、母親の死もまた……自分の呪いが関係している。証拠は無いにしても、そう思える要因がはっきりし過ぎていたからね。
そうしてその後、彼女は家に帰り着いた足で父親の部屋へと向かい、それを見つけたんだ。
父親の日記をね。
そこには呪いに関わる全ての事柄が、鮮明に書き記されてた。
妻の死、娘の異変、呪いの発覚、清めの日々。その時その時の感情を交えて書かれている文章には、壮絶さを想起させるような生々しさがあった。でもね……そこに一貫して書き連ねられている言葉……それは、わが子を大切に想う心だったんだよ。
笑っていてほしい。幸せになってほしい。そんな言葉が端々にちりばめられてた。
そうして走り書きにされた最後のページ。その書き出しの言葉は『気付かれた』だった。それを見て彼女は、やはり父親は呪いに殺されたんだと思い知った。
でもその下に続けられた言葉……そのどれもが、自分が死んだ後の娘の心配だったんだ。自分の死に対する不安は一切書かれていなかった。
そのときの彼女の気持ちを語るのはやめておくね。
でも……彼女はそこでようやく父親の死を受け入れることができた。そして、強く生きよう、と……そう誓ったんだ。
それからの彼女の人生は、まさしく闘いの連続だったんだ。
父親の懸念通り、呪いはその強度を上げていってね。定期的に宮司達によってお祓いをしてもらっているにも拘らず、ふいに彼女の前に現れては痛みを与えた。それは気を失うほどではなかったんだけど、充分激痛と言える痛みだった。それでも彼女は、心折れることなく人生を歩んでいったんだ。
そうしてそんな日々が何年も続いた。
呪いは強くなる一方でね。いつどこで現れるか分からない呪いとの闘いに慣れることはなかった。
でも彼女を包むのは、そんな不幸ばかりでもなかったんだよ。
ある日、彼女は宮司の息子と結婚したんだ。年齢も一つ違いだったし、おおよそ常人が信じられないことを共有する関係だったからね。いつしか想いを寄せ合う仲になってたんだね。
それからまたしばらく経って、彼女にある変化が訪れた。
呪いがね、消えたんだよ。
何がどうなっているのかは誰にも分からなかった。だけど、あの黒い靄は彼女の視界から完全に消え去ったんだ。
そうしてまた少し経ったとき、彼女は自分が妊娠していることを知ったんだ。
それは彼女にとって幸せの絶頂とも言える瞬間だった。愛する人と一緒になって、一生続くと思っていた呪いが消え、子供まで授かることができた。これ以上の幸せはない、とそう思っただろうね。
……でもね、物語はここで冒頭へと戻るんだ……。
前回の一番最初、みんな覚えてるかな?
……彼女は絶望していた……ってところ。
それは、生まれた娘がもうすぐ一歳を迎えるある日のことだったんだ。
布団に寝かせた娘の近くで家事をしていた彼女の視界に、唐突にそれは現れたんだよ。
もうわかるよね? 黒い靄だよ。
いや、それはもう靄と呼ぶには濃すぎてね……膿と言った方が近いかも知れない。そんなどろどろの塊が、あろうことか愛娘のお腹にその身を伸ばしていたんだ。そしてそれは信じられないことに、ずぶずぶと内部へ入り込んでいるようだった。
彼女は走った。でも何かに足を取られ、倒れ込んでしまった。
彼女の足を掴んだもの、それもまた黒い膿だった。膿はいつの間にか部屋中を覆い尽くしていたんだ。それでも彼女は必死に抵抗して娘に手を伸ばし続けた。畳に食い込んだ爪が割れるのもお構いなしにね。
ちょうどそのとき……それは、フッと彼女の頭の中に浮かんだんだよ。
今の自分の状況、これは……母の死の状況と何もかも同じじゃないかとね。
そこで彼女は全てを悟った。母もこの呪いを宿していて、自分を守ろうとして死んでいったんだってことをね。
膿が生命力を奪うのかは分からないけど、彼女は自分が急速に死に向かっているのを自覚した。目の前では、娘の中に膿がどんどん入り込んでいっている。
彼女は絶望した。結局自分も呪いに弄ばれて死ぬのか。多くの人達に助けられたのに何もできないのか……とね。
その瞬間、襖が開いて夫が飛び込んできた。でも彼には膿は見えないからね。彼女はただ一言、この子を助けて、と……そう言って息を引き取った。
これが、主人公である彼女の生涯だよ。
結局のところ、呪いの目的が何なのかは分からないままなんだ。宿主を殺さない程度に苦しめ、その子供へと巣を変える。そうして用済みになった元の宿主はあっさりと処分してしまう。分かっているのはそれだけさ。
物語としてはまだ続きがあるんだけど、僕が語れるのはここまででね。
だって……呪いを継承してしまったその女の子。その子の闘いは今も続いているからね……。
まっ、信じるかどうかは君達次第だけど。
さあ、どうだった? ご依頼通り血みどろじゃあ無かったでしょ?
ん? どうしたんだい? 君達、そんな暗い性格だったかい……?
――えっ? つらすぎる……?
……君達は……案外わがままだねぇ……。
――よし、分かった。じゃあ次はちゃんと前向きにスッキリと終わる物語にしよう。
まあ楽しみにしといてよ。
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