痒い

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痒い

(にょ)()()(ざい)って妖怪を知ってるかな? 如意っていうのは、僧侶の人達が持っている仏具でね。(おも)には手の届かない背中を()くために使われていたんだ。いわゆる孫の手だね。 で、その如意によく似た(つの)が頭から生えていたために、如意自在という名前を付けられたってわけさ。 自在という言葉は、おそらく『背中等を自在に掻ける』っていう如意の特性からきてるんじゃないかな? まあこれは諸説(しょせつ)あるかも知れないから、ここでは省かせてもらうね。 如意自在は山奥でひっそりと暮らしていてね。ときおり近くの(しゅう)(らく)に行っては「背中が(かゆ)い」と困っている人を見つけて、代わりに掻いてあげていたんだ。なんというか、かなり良いやつだね。 ん? なんだい? ああ、確かにね。良いやつだと怪談にならないよね。でも、さすがにそう単純には終わらないものさ。この話は、(きょう)()(らん)()という言葉がぴったりな話なんだよ。 その日も彼……、 あぁ……如意自在っていちいち言うのが面倒だから、ここからは『彼』って言うね。 その日も彼は集落に(おもむ)いて、痒がっている人を探してた。すると、ちょうど両手をこう……背中に回すように()(もだ)えてる男がいたんだ。 痒いのか、と彼が聞くと、男は、あぁたまらん、といった調子で助けを求めてきたんだ。それから詳しく話を聞くと、痒くてしょうがないのにどうにもその場所がはっきりしないらしい。 彼はひとまず、男が言う場所を掻いてやった。だけど男はすっきりしないらしく、もう少し右、いやそこの下、やっぱりちょっと左、といった具合に何度も示す場所を変えてきてね。彼がそれに疲れてきた頃に、ようやく当たりが見つかった。 そこだ! と男が言って、彼はその場所を集中して掻いてやった。そうすると男はなんとも言えない恍惚(こうこつ)の表情を浮かべて、はあぁっと気持ち良さそうに息を吐いたんだ。その姿を見て、彼の内側で何かがざわめいた。今までだって、自分が掻いてやって気持ち良さそうな顔をする人達を見てはいたんだけどね。でもその男が放つ()も言われぬ表情は、初めて目にするものだったんだ。 この日を境に、彼の中に明確な目的が生まれた。それまでは、なんとなく人の助けになりたいなって気持ちだったんだ。でもそれが、(よろこ)ぶ顔を見たいってことに変わってしまった。 これはね……、似てるようで少し違うんだよ。 現にそれからの彼は、人の背中を掻いてやっても満足感を得られなくなっていたんだ。まあ、その答えは簡単でね。 あの日彼が出会った男は、身悶えするくらいの痒さが解消されたからこその表情だったわけだ。そこまでの痒みに襲われるなんてことはそうそうあるもんじゃない。 彼は何日も何日も、何人も何人も掻いてやった。けれども、いつまでたってもあの顔には出会えなかったんだ。 彼は一心に願った、いつかのあの顔に出会えることを。心地よさを(むさぼ)るかのようなあの顔にね。 そうしてまた数日が経ってね。まだ目的を遂げられない彼の心の中に、どす黒い感情が芽生(めば)えてきたんだ。 最初に言ったけど、彼は人間ではなく妖怪だからね。少し普通ではない能力(ちから)があったんだ。その能力(ちから)は、今までの彼には全くと言っていいほど必要のないものだった。だってそれは彼の行動に矛盾するものだったからね。 彼はね。 他人に痒みを与えることができるんだ。 ある日、彼は通りすがりの女にその能力(ちから)を使ってみることにした。方法は簡単でね。爪の先に念を込めて、痒みを与えたい場所に触れてその念を()(ちゃく)させるんだよ。彼が女の背中に触れると、()(たん)に女は痒みに身をよじり始めたんだ。彼はその光景に瞳を輝かせた。ああ……あの日の男と一緒だ、って。 そうして彼は女の背中を掻いてやった。なんせ自分が与えた痒みだから、場所はすぐ特定できるしね。彼が掻いてやると、女はなんとも言えない悦楽(えつらく)の表情を浮かべた。彼はその顔に胸を躍らせた。 これだ! この顔だ! やっと出会えた! ってね。 それからはもう誰彼(だれかれ)構わず一心(いっしん)()(らん)に、痒みを与えては掻いてやるといったことを続けた。まるで取り憑かれたように、何度も何度も繰り返したんだ。 するとね、少し可怪(おか)しいことになった。あれほど望んでいた顔に、いつでも出会えることができるのに……。彼は何故だか満足できなくなってたんだよ。 彼は迷った。自分が満足できない理由が分からなかったからね。彼は必死になって考えて『与える痒みをもう少し強くしてみてはどうか?』という結論に至ったんだ。 次の日、彼は一人の男に試してみた。今までよりも強めの痒みを与えたんだ。男が悶えるのを少し見守って、頃合いを見計らって掻いてやった。するとどうだろう……、男は天にも昇るほどの表情を浮かべたんだ。その顔に、彼も心が再び満たされていくのを感じた。 そうして彼は、また同じように繰り返していったんだ。痒みを与えては掻いてやり、物足りなくなれば痒みを強める。少し工夫をこらして、痒みの深さも変えるようになっていった。皮膚から皮膚の裏側、筋肉の表面、そして筋肉の少し奥、そんな具合にどんどん深くに痒みを与えていったんだ。ただ、強さと深さの度合いを上げる度に、人々が浮かべる恍惚の顔も普通のそれとは違っていった。 しばらく経ったある日。山の(ふもと)にある小さな神社に、男が転がり込んできたんだ。(ぐう)()が訳を聞くと、とにかく来てくれ! と血の気が引いた顔で叫んでいてね。宮司も、これは(じん)(じょう)ではない、と思って男に付いていくことにした。 道すがらに話を聞くと、男は仕事で集落を離れていたらしくてね。何日かぶりに帰ってきたら、あまりの事態に飛んできたと言った。ただ詳しい話は、行けば分かる、と(にご)してばかりで何も言ってくれなかったんだ。 木々が開けて集落が視界に広がったとき、宮司はその光景を信じることができなかった。そこには地獄とも思えるほどの、血みどろの世界が存在していたんだ。 集落中の人間がおびただしい量の鮮血(せんけつ)を流しながら、叫び声を上げていてね。よく見ると、皆一様(みないちよう)に手を激しく動かしているようだった。 宮司が慌てて駆け寄ると、その姿は異様を極めてた。人々の叫びは痛みに苦しんでいるものじゃなかったんだ。その顔は異常なくらいに悦びに満ちていて、至るところから液体を垂れ流してた。涙、鼻水、よだれ、全部が混ざりあって顔中ぐちゃぐちゃなのにも構わずに、焦点の合ってない目で喜々(きき)として(かん)()の叫びを上げてたんだ。 血まみれになっている理由も、何者かに襲われたものじゃなかった。集落の人達は自分の体を掻きむしっていたんだよ。皮が()がれて肉が(えぐ)れているにも(かかわ)らず、掻くことを一向に止めようともせずに夢中で掻いてた。 人々からは、ぐちゃ……、っと肉をかき分ける音に混じって、ごりごり……、といった感じの妙に硬い音がしていてね。疑問に思った宮司が更に詳しく見ると、その答えがはっきりと分かった。体を掻きむしっている指先も、爪と肉が剥がれ落ちて骨がむき出しになっていたんだ。 つまり人々は、……骨で骨を掻きむしっていたんだよ。 おそらく彼……あの如意自在の欲望は、行き着くところまで行ききってしまったんだね。 そしてそんな彼は、()(たけ)びを上げ続ける人々の中心で踊っていた。自分自身も人間達の血を浴びて全身真っ赤になりながら、狂ったように笑い続けていたんだ。 宮司は念の為に持ってきていた()神刀(しんとう)で、化け物へと変貌(へんぼう)してしまった彼を切り捨てたんだ。するとその瞬間、周りを取り囲む叫び声が悶え苦しむ断末(だんまつ)()へと変わった。人々の痛覚は、彼に与えられた痒みによって麻痺していたんだろうね。 比較的傷の浅かった数人は一命を取りとめたけど、ほとんどの人が訳も分からずに絶命してしまった。 これで、この話は終わりだよ。 喜びや、欲望や、(きょう)()、そうした一見違うように思える心も、実は隣り合っているのかも知れない。そしてそれは、ちょっとしたはずみで切り替わってしまうのかも知れない。 この話は、そんな心の中の危険性に焦点を当てた物語さ。みんなも一度、自分自身の感情に()(しょう)(めん)から向き合ってみるといいよ。 あれ? どうしたんだい? え、授業中にする話じゃないって? あぁ……なんかごめんね。じゃあ、次はもう少し楽しい話を用意しておくよ。
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