プロローグ

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プロローグ

誰にでも忘れられないことってのはあると思う。 少なくとも俺にはある。 事柄というより人だけれども。 人というより女性だけれども。 バイクを走らせながら、思い出す。 時速100キロを超えながらの考え事。 俺は今、大事な場所へ向かっている。 行かなければならないところへ。 俺が彼女に出会ったのは数年前のことだ。 就職したてで、何というか浮かれていた。 今、思えば大したことじゃない。 でも学校を卒業し、それなりの場所に就職できて、それなりに自由になるお金を持つようになった。 それだけで浮かれていたのだと思う。 仕事内容が楽だったのもある。 先輩は限りなく優しく、恐らく最良の職場だったのだろう。 過去形なのが、少し残念だけど。 どうでもいいけど、俺の名前は橘優也。 27歳、独身。 ただいま就職活動中。 つまりは無職だ。 先月に仕事を辞めた。 退職した理由は原因不明の病い。 しかも心因性。 詳しい病名は嫌がらせのような名前なので伏せておくことにする。 一応、ことわっておくと鬱病じゃない。 ある種の不安症だそうだ。 なんてことない事から始まって、想像がどんどん膨らみ最悪の結果しかでない気がしてしまう。 そんな感じの病気。 そうなると、身動きがとれない。 例えば俺が何かに触る。 本屋の雑誌でもいい。 次に俺が伝染病か何かにかかってると想像する。 その雑誌を小学生が買う。 その小学生が感染して死亡する。 ちなみに実際のところ、俺は伝染病にかかってはいない。 しかし、もしもと思ってしまう。 だから欲しくもない雑誌を買ってしまう。 空想の小学生に買わせないために。 まあ簡単に説明するとこんな感じだ。 営業関係の仕事をしていて、かなり成績もよかった。 しかしこんなことを感じるようになって営業ができるだろうか? できるわけがない。 今は実家で静かに暮らしている。 周囲は理解を示してくれて、何くれとなく面倒を見てくれる。 幸い、経済的には恵まれている方なので、当面の生活には困らない。 数年間、必死で働いた自分の貯金もそこそこある。 少しでもよくなるようにと、最近、かつて自分が所属していた少年野球チームのコーチを始めた。 なぜか野球のボールは触っても大丈夫だった。 医者によれば、症状がでるのは限られた状況で、野球はそれに当てはまらないのだろう。 いい加減な病気だ。 子供達と白球を追うのは純粋に楽しい。 たまに不安になることはあっても、いつのまにか消えていく。 恐らく子供達の笑顔のおかげだと思う。 何の打算もなく、向けられてくる羨望の眼差し。 そんな綺麗な笑顔を見ていると、彼女のことを思い出す。 水石美香子のことを。 数年前、就職し始めの頃、付き合っていた彼女のことを。
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