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当時、中学一年生だった僕は、母の死と、それと引き換えに生まれた新しい命に感情が追いついていかなかった。嬉しいはずなのに喜べない、悲しいはずなのに泣けない、そんな矛盾した感覚だ。
学校から家に帰り、ゲージの中にいる葵を見ると、自然と母の記憶が蘇ってくる。それは、常に頭の中にいる笑顔の母だけではなく、日常の何でもない光景や、僕を叱る時の怒った姿など、生き生きとした母の思い出だった。
まるで、葵の中に母が眠っているかのように感じた。
夕飯時、そのことを父に話した。僕の言葉を聞き、父は泣いた。箸を握り締め、声が漏れないように耐えながら、大粒の涙を流し続ける父を見て、僕も泣いた。母が亡くなった日から、ずっと蓄えていた涙が、一斉に溢れ出したようだった。
家の手伝いをするうちに、掃除も洗濯も料理も、一通りの家事はなんでも出来るようになった。葵の面倒も、分からないなりに頑張っていたと思う。
葵は僕によく懐いた。成長し、一人で歩けるようになると、どこに行くにも僕の傍にいるようになった。トイレに行けばドアの前まで付いて来るし、テレビを見ている時には常に隣にくっついていた。視線を向ければ、笑顔にはならないものの、その小さな手をいっぱいに伸ばして僕の身体を抱きしめる。
葵は四歳になり、僕は十六歳になった。子供の成長は早いものだと、最近になってつくづく思う。
四歳のわりには身体が小さく、喋る言葉も少ないが、四年前の赤ん坊の姿を思い出すと、短い間にとても多くの事が出来るようになったと、親のような目線で見てしまう自分がいる。
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