葵編【第六話】

5/7
19人が本棚に入れています
本棚に追加
/117ページ
「兄ちゃん……」 「あなたも、どうぞ」  女性に促され、俺も部屋に入った。ベッド以外には何もない、シンプルな部屋だ。真っすぐに進み、その顔を見る。日野だ。幼い頃の記憶と一致するわけではないけれど、目を閉じた穏やかな表情が、当時の暖かさを蘇らせる。  俯いたままの兄を見た。ぽたりと白いシーツに雫が落ちる。俺のいる位置から顔は見えず、ただ落ちていく涙の数が増えていく。次第に身体が傾き、そのままベッドに縋るように膝を折った。くぐもった声が微かに漏れ聞こえ、その様子を見て自分の喉奥にも感情が込み上げてくるのを感じた。 「お二人に、これを」  男性がどこからか、紙袋を持ってきた。中から透明なセロハンに柄の付いた袋を取り出す。それを見て、頭の中に一気に記憶が流れ込んできた。 「あの日、りんが持っていたものです。外の紙袋は汚れてしまっていましたが、中身は無事でした。メッセージカードに、淳平さんの名前が……」 「兄ちゃん、これ……っ」  ベッドにうつ伏せたままの兄に声を上げた。肩を掴んで無理やり起こせば、涙で濡れた顔が下を向いたまま持ち上がる。  男性の手から袋を受け取り、兄の視界に移動させた。 「誕生日プレゼントだよ、よかった、あったんだ。兄ちゃんの為に作ったんだよ、これ。ひのりんがマフラー編んで、俺がバッジ作ったの、フェルトのやつ。よかった、兄ちゃんにだよ」  興奮気味に言えば、兄の手がそれに伸びた。袋の中には小さなメッセージカードが入っており、丸みのある可愛らしい字で『淳平くん。これからもよろしくね』とクマの絵柄の吹き出しに書いてある。指先がそれをなぞり、震えたと思えば、ぎゅっと袋を掴んで抱きしめた。  兄はいよいよ泣き崩れ、嗚咽を漏らした。しゃがんでその肩に触れる。ハンカチを渡そうといつもの癖で手を差し出し、生み出す直前で思いとどまった。  今は、この力を使うのはやめておこう。そう思い、肩に置いている手にぐっと力を込めた。
/117ページ

最初のコメントを投稿しよう!