葵編【第六話】

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 月日は流れ、あっという間に一年半が経った。高校生活は特に何があったという思い出もないが、小木と福本と話すようになったのは大きい。何でも無い日常が、つまらないとは思わなくなった。  三上先生に助言をもらい、学童保育でアルバイトを始めた。子供と接することにはあまり慣れていなかったが、飛び込んでみれば案外馴染むまで早く、子供達もすぐに受け入れてくれた。  サンタクロースなどというファンシーな職業は、クリスマス以外に需要はなく、実際は保育に関わる仕事に就くのが一般的らしい。保育といっても多々ある。自分に向いているものが何かも分からず、とりあえず保育士の資格を取る為、経験を積むことにした。  大学は、家から近くて、保育科のある学校を受験した。然程レベルの高いところではないので、苦労することなく受かった。高校を卒業し、大学に入り、新しい生活にも慣れ始めた頃、それは起きた。 「ここ、眺めがいいんですよ」  そう言って不動産屋の女性が窓を全開にして、笑顔を向けてきた。周囲の建物が低いので視界を妨げるものがなく、一望できる。近くには川が流れていて、家々の隙間から小さく見えた。まぁ、眺めが良いといえば良い。 「広さも充分にありますし、最上階はすぐに埋まってしまうのでチャンスですよ」 「なんでこんなに家賃安いの?」  聞くと、少し狼狽えたように目を丸くした。「買い物が出来るお店が遠いからです」と言ったが、他に何かありそうな気はする。  とは言え、条件はたしかに良い。今の家よりも広いし、駐車場もある。防犯設備など、男の一人暮らしには勿体ないほどだ。店の遠さは車があれば問題ない。  借主の本人はといえば、間取りの印刷された紙を片手に、携帯画面を見つめたまま部屋の真ん中で立っている。近づいて覗き込んでみれば、地図を表示させていた。 「ここにすれば?」 「……日野の家まで遠いのが、ちょっと……」 「十五分もあれば行けるじゃん」 「何かあった時に十五分も掛かったんじゃ遅いだろ」  兄の新居探しは一週間前に始まったばかりだが、このやりとりを既に三回はしている。俺がたまたま内見に付き合った時の回数なので、実際に断念した物件はもっと多いのだろう。
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