狂恋の王と骸の王妃~A Tribute to (※)Inês de Castro~

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 今さらこんな行為に及ぶ私を、皆、狂人と思っているだろうか。  ……それでも良い。それでも私は、君を私の妃にしたかった。私の正式な妻として、皆に認めさせたかった。  君の生きているうちに実現できなかったことを、許して欲しい。  あの頃の私は、いつかこの国の全てを手に入れられると思い上がっていた……けれどその実、君一人を守るだけの力すら持たない、無力な“王子”でしかなかった。  国の主たる“王”と、その子である“王子”との間には、絶望的なまでの権力の差がある。  それを、実際に王となった今、改めて噛みしめている。  あんなにも結婚を反対された君を、今日こうして誰にも有無を言わせず王妃の座に据えられるのだから……。  それだけではない。君を(さげす)み悪女呼ばわりした者たちには、王妃となった君への忠誠を誓わせ、君を(おとし)め死に追いやった輩には、苦悶の果ての死を与えてやった。  あの頃には決して許されなかった復讐を、こんなに呆気なく果たせるなんて、夢でも見ているかのように現実感が湧かない。  何故、君を喪った後になって、こんな権力が手に入っているのだろう。何故、私たちは、権力無きあの頃に、あんな形で出逢ってしまったのだろう。  まるで全てが悪い夢のようだ。覚めることのない長い長い夢……。  私は一体いつから、こんな悪夢に囚われてしまったのだろうか……。    次期国王たる者には、自由な恋愛が許されない――次の王となるべく育てられた私は、物心ついた時からそのことを理解していた。  国にとって有益な相手と結婚し、世継ぎを作る。それが、王太子たる者の務めだ。  実際、私の結婚は、父の思惑により二転三転と翻弄させられた。  一人目の妃は、5歳の時に(めと)らされた母方の従妹(いとこ)で、正式な夫婦にもならぬうちに“婚姻の無効”を決められ、別れさせられた。  二人目の妃は、異国の王族の血を引く姫。父親はその国の若き王の摂政で……つまりは実質的な最高権力者の娘というわけだ。  彼女は私と同じく、幼いうちにその国の王と形だけの結婚をさせられ、形式上は既にその国の王妃となっていた。  だが彼女は夫と別れさせられ、その後、私の姉が彼女の次の王妃となるべく嫁いでいった。  神に誓ったはずの結婚でさえ、政略のため容易く無効にし、まるで“取り替えっこ”でもするかのように二人の姫を嫁がせ合う。  政治とはそういうものだと頭では理解しながらも、何とも言えぬわびしい気持ちになったものだ。    私の妃の代わりのように異国へ嫁がされた姉は、しかし王の愛を得ることができなかった。夫婦仲は上手くいかず、姉は屈辱的な扱いを受けたと聞いている。おまけに彼の国の王は、私の妃となるべき姫を国外へ出すことを拒んだ。  それが彼女への執着なのか、政治的な思惑があってのことなのかは分からない。だが私の父はそれを機に彼の国へ攻撃を仕掛け、四年の戦争の末に私の妃を勝ち取ってきた。  父にとってこの政略結婚は“戦利品”のようなものだったのかも知れない。    『お前のために最高の花嫁を選んできてやったぞ』とばかりに、私と彼女は引きあわされた。だが私は彼女に対し、少しも心動かされることがなかった。  私が心動かされたのは、妃となるべく豪華に着飾った姫ではなく、その横で控えめに(たたず)む、白鷺のようにほっそりした首を持つ少女――君だった。    君は、彼女に仕える侍女としてこの国にやって来た、異国の貴族の娘だった。  政略的に意味のある相手でもなく、手を出そうものなら、この結婚によって結ばれた両国の絆にヒビが入りかねない、危険な恋。  理性で抑えられるなら、初めから君を選んだりはしなかった。なのに――気づけば、君を目で追っていた。慣れない異国の宮廷で辛い目に遭ってはいないかと、常に気を()んでいた。  君に優しくしたかった。優しく接して、君から微笑みを返されるたびに、胸が高鳴った。  既に妃がいる以上、妻に迎えられないことは分かっていた。だが、自分でも君への気持ちを、どうすることもできずにいた。    私の恋心は、すぐに父の知るところとなった。父は激怒した。  父にとっては苦労の末にやっと手に入れた息子の花嫁――それを(ないがし)ろにしてその侍女と恋に落ちるなど、到底許すことができなかったのだろう。  だが、父や国にとってどれほど価値のある女性であろうと、それだけで恋ができるわけもない。結婚という“形”だけをどんなに整えてみたところで、そこに愛が無ければ、それはただ空しいだけの枷に過ぎない。  何故、それが分からないのだろう。人の心は政治の思惑などでは動かせない。本来は愛によってのみ結ばれるはずの婚姻を、政略のために利用し、歪めて、誰かを不幸にする――そんなことが、(まか)り通っているなんて……。  それまでは当たり前に受け入れていた政略による結婚に、私は初めて疑問を持った。君に逢って本当の恋を知るまでは、そんなごく自然な疑問さえ抱けずにいたのに……。    しかし、どれだけ抵抗しようと、反論しようと、所詮(しょせん)私は“王子”に過ぎなかった。“国王”に逆らえるはずもなく、私と君は引き離された。  『侍女などに惑わされず、自分の妃をしっかり愛せ』と、私は父に諭された。  だが、形ばかりの愛の“真似事”なら出来ても、真実の愛を強制することなど、誰にも出来はしない。彼女のことをどうしても、君を想うようには愛せなかった。  妃に対する“義務”として、共に過ごし、子も作ったが、心はずっと君を想ったままだった。  彼女もきっと、そのことに気づいていただろう。それでも何も言わず、まるで全てを(あきら)め受け入れたかのように、妃の務めを果たしてくれた。  可哀想なことをしたと思っているし、彼女が三人目の子として世継ぎを(のこ)し命を落とした時には、悲しいと思いもした。  だが、同時に思ってしまった。――これで君を妻に迎えることができる。正当な血を引く世継ぎも生まれたのだから、後はもう、誰を愛そうと構わないはずだ、と。    だが、二人目の妃を亡くして尚、父は君との結婚を許してはくれなかった。それどころか私に別の女性との再婚を勧めてきた。  私の想いを知りながら、どこまで心を踏みにじってくるのか分からない。  父の思惑も、王太子としての務めも、最早どうでも良くなった。  妃がいた頃には負い目や気兼ねもあって、君と堂々と会うことさえできなかったが、もう誰にも遠慮する気はない。会えなかった時間を埋め合わせるように、君が味わった辛い思いに報いるように、私は君を愛した。君も愛を返してくれた。  私たちの間には四人の子が生まれ、私はそれまでの人生で感じたことがないほどの幸福を味わっていた。  王の座も権力も、どうでもいい。君さえそばにいてくれれば、それだけで良かったのに……。    王族の血と権力は、ただ愛する人と静かに暮らしたいだけの者にとっては邪魔なものでしかなかった。  私と、そして私の寵愛を受ける君の元にも、様々な思惑を持つ者たちが近寄ってきた。君の兄弟、異国からの亡命貴族……。皆、君を頼って宮廷に入り、私に近づいてきた。  君の血縁者や関係者を無下に扱いたくはなかったし、友人や相談役として受け入れるだけなら構わないと思っていた。  だが、それすら他の廷臣たちの嫉妬や猜疑心を招き、宮廷内の力関係(パワーバランス)を狂わせた。  君にすり寄る者、私を(そそのか)して他国への勢力を伸ばそうとする者、父の耳に君と私の噂をあることないこと吹き込む者……様々な人間が様々な思惑を持って動き回り……そうしてついに、国内での存在感をどんどん増していく君を、力づくで排除しようとする者たちが現れた。    あの日のことは、未だに悔やんでも悔やみきれない。  私が君と暮らす館を留守にしたその隙に、三人の廷臣が押し入り、君と子どもたちを捕らえた。  父の前に連行された君は、自らの運命を悟りながらも、必死に子どもたちを(かば)っていたそうだね。自分の命を(かえり)みず子らの命乞いをする君を、父も一時(いっとき)は憐れに思ったと言う。  ……だが、あの男は、結局君の命を見放した。君を亡き者にしたくてたまらない廷臣どもの手に君の運命を(ゆだ)ね、『後は知らぬ』とばかりに場を去っていった。君は、どれほど絶望したことだろう。  私が一目で心奪われた君のほっそりした白い首は、無慈悲な処刑人の手により、無惨にも()き斬られた。  私がそれを知ったのは、何もかもが終わった後だった。    あの時私は、自分が何を聞いているのか理解できなかった。  君がもうこの世界にいないなんて、そんなことが信じられるはずがない。頭の中では出逢ってからこれまでの間に見てきた君の顔が、めまぐるしく浮かんでは消えていく。こんなに鮮やかに脳裏に()きついた君の笑顔が、もう見られないなんて……。  何故、君が死ななければいけないのだろう。先に恋に落ちたのは私の方だと言うのに。  妃にふさわしい立場に生まれなかったことが――王子と、その妃の侍女として出逢ってしまったことが、死にも値する罪だとでも言うのだろうか。    何もかもが許せなかった。君を殺した廷臣たちも、君を守れなかった私自身も、こんな残酷な結末をもたらす運命も、そして何より――私と君の恋を、どこまでも(はば)み続けた父のことが……。  私は怒りのままに父に対して反乱を起こした。かつては父も祖父への不満から反乱を起こして玉座に就いたのだから、因果は巡るということなのかも知れない。  しかし私の反乱は、国の一部を荒廃させても(なお)、決着がつくことはなかった。母の説得もあり、私は形だけは父と和解せざるを得なかった。  そうして私は父への反抗も、君を殺した者たちへの復讐も、一切を封じられてしまった。  私にできたことは、ただ心の底で父を憎み、その死が一日でも早く訪れるよう呪い続けることだけだった。    その呪いが功を奏したのかは分からないが、父は乱の終結からほんの数ヶ月でこの世を去った。  私は国王の座に就き、この国最高の権力を手に入れた。  ……君のいない今、そんなものを手に入れたところで空しいだけだと言うのに。    君の死に関わった三人の男は、それぞれ国外へ逃亡していた。だが、何処まで逃れようと、逃す気などなかった。  三人のうち二人は、逃亡先の国の王に依頼して捕らえさせ、私の目の前に引きずり出させ、より苦痛を与える残酷な方法で処刑させた。残りの一人は逃れられぬと悟ったのか、亡命先の国で自ら命を断った。  君に直接手を下した三人を処分した後、私は君の墓を掘り起こさせた。  君を私の“王妃”にするためだ。正式な結婚はとうとう許されなかったが、私が神に永遠を誓った真の妻は、君だけだ。私の“王妃”は君以外にいない。    大聖堂に人を集め、骸となった君の頭に王妃の冠を(かぶ)せる。  君を貶め後ろ指をさした廷臣たちに、王妃となった君の手へ忠誠のくちづけを命じる。  今さらこんな行為に及んでいる私を、君も狂人だと思うだろうか。    ここに在るのは、魂を失った君の抜け(がら)に過ぎない。それは分かっている。  だが、かつて君が宿っていたというそれだけで、私にとっては価値がある。  かつて私が(にぎ)りしめた華奢(きゃしゃ)な手のひら、かつて私が指で()いた髪……。  君との思い出の宿る何もかもが、今なお、こんなにも愛しい。  こんなことを思う私は、とうに心のどこかが狂ってしまっているのだろうか。    復讐を果たし、君の名誉を回復し……だが、私の心は満たされない。もうこの先、何をしても満たされることはない。  君さえいれば、何も要らないと思っていた。君さえいてくれれば、それだけで良かったのに……その君を喪ったこの世界で、私はあとどれくらい、生き続けなければならないのだろう。    改めて作らせた君の棺のその向かいに、いずれは向かい合うような形で、私の棺を安置させようと思っている。  いつか最後の審判の時が訪れ、全ての使者が蘇るその時、私の目に最初に映るのは、君の顔がいい。  どれほど先のことでもいい。世界が終わるその時でいい。もう一度君に会いたい。物言わぬ骸の君でなく、私の名を呼び微笑む君に会いたい。  (はかな)い願いと希望だけを抱いて、私は生きている。君のいないこの世界を、今も……。
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