(序)

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(序)

 たしか小学校二年の秋だった。よく似た家が並ぶ住宅地を、友達と一緒に帰っていた。  ゆるい登り坂の終わりで見えてくるわが家の前に、その日はなぜか近所の子どもや大人たちが何人も集まっていた。  シラカシの粗い生け垣の上から青いビニールシートがのぞいていて、それを見たまだ幼かった自分が真っ先に思ったのは、 (なにか大事件が起きたんだ。それなら僕が事件を解決してヒーローになってやる) そんな子どもじみた勘違いだった。  友達を急かして家まで走るあいだ、頭のなかでは、難事件に困惑する大人たちへ鮮やかに証拠を突きつけ喝采を浴びる自分の姿がキラキラと見えていた。  それなのに、駆けつけた先の大人たちはワイワイと楽しそうな様子で、そして平日だというのに、どういうわけかニコニコ顔の父さんが俺の帰りを待っていて、その笑顔に (なんだ、やっぱり事件なんか起きていないのか) と、がっかりしながら生け垣を見上げると、そこにあるのは確かにブルーシートではあるのだけれど、それは事件現場をやじ馬から隠しているのではなく、なにか庭に持ち込まれた大きな物体を覆い隠してあるのだった。  シートで隠されたそれは、二階のベランダほども高く、庭の半分を占めるほど大きかった。  父さんは集まった人たちに芝居がかった態度で挨拶すると、俺へ向かってにやりと笑い、それから勢いよくシートを剥ぎ取った。次の瞬間、集まっていた子どもたちの歓声と大人たちの拍手があがった。  そこには、でっかく口を開けた強化プラスチックの肉食恐竜がいた。 「どうだ、すごいだろう」  父さんはそう言って胸を張ったけれど、俺の方は、 (なんで、こんなものが……) そう思うばかりだった。  あっけにとられたままの俺を、誰かが恐竜の前へと引っ張っていき、なにか質問して写真を撮られた。なにをどう答えたのか、ぜんぜん覚えていない。けれど、翌日の地方新聞の端面には『住宅地に恐竜出現!』なんて見出しで、大口を開けたティラノサウルスとその前に立つ自分の写真があって、それを見せられたときは、嬉しいような恥ずかしいような困ったような、いろいろな気持ちがごちゃまぜだった。    そもそも、あの恐竜は親父の勤めるマネキン工場がPR用に作ったものだった。小さな会社が『なにかのアピールになれば儲けもの』そんな程度で会社の門前に作り置いてみた1/2サイズのティラノサウルスだったのに、それはテレビのワイドショーに取り上げられると一躍、注目の的になった。『巷で見つけた、なんだコレ!?』なんて、いくつかの小ネタの一つだったのに、話題の乏しい地方都市ではそんなものでもにぎやかしのタネになって、ちょっと見にいこう、そういう人は少なくなかった。中高生のあいだでは『恐竜と写真を撮ればふたりは別れない』なんてお決まりの噂が流れ、週末になると近隣の町からもカップルや家族連れが訪れた。工場の前はちょっとした人だかりになることもあって、それを見た向かいの小さなレストランが『恐竜メニューあります』と看板を掲げてみると、見物客はそのまま、そのレストランへと流れ込んだのだ。まわりの店もいっせいに恐竜ネタに便乗した。  恐竜メニューや恐竜グッズがあちこちの店に並び、隣県につながる国道沿いには恐竜を模した看板が立てられた。化石にも考古学にも縁のないこんな地方都市に、なぜか恐竜ブームがわき起こり、これをマスコミがもう一度『首都近郊に謎の恐竜スポット出現!』と取り上げると、今度は市長までが、恐竜で町おこしをしよう、と言いだした。  あっという間に、市の外れにある森林公園に実物大の恐竜模型を設置しようと決まり、模型の製造は親父のマネキン工場がそのまま請け負うことになった。門前に置かれた恐竜は、本当に大きな仕事を呼び込んだのだ。  それまで、丸太のアスレチックと芝生の広場しかなかった森林公園に、一頭、また一頭と恐竜模型が増えていった。中央広場でティラノサウルスとトリケラトプスがにらみ合い、東屋の屋根にはプテラノドンがとまった。ハイキングコース途中のひょうたん池にはブラキオサウルスの親子が長い首を伸ばし、アスレチックエリアのゴール地点では、ステゴサウルスが子どもたちを待ちかまえた。  最終的に、二十二頭の恐竜が森林公園のあちこちに据えられ、そしてどういう訳か、いちばん初めに工場の門前に置かれた1/2サイズのPR用ティラノサウルスは、わが家の庭にやってきたのだ。恐竜公園の計画でなにかの責任を務めたらしい、親父へのボーナスだったのかもしれない。  なんにせよ、生け垣のうえから胸まで出して外をにらむ肉食恐竜は、かっこうの目印となって、それ以来わが家は『恐竜ハウス』なんて呼ばれ、地方新聞のネタになったりした。  いま思えば、あれが好景気というものだったんだろう。
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