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PROLOGUE
視界の全体に広がる巨大な一枚ガラスの窓に、アンブローズ・ダドリーは自身の姿を映した。
平均よりもやや長身の細い体躯、二十代後半の年齢にしては少々下の年齢に見える、大きめの目をした顔立ち。
黒い短髪に、下町の若者がよく着ている、ラフな合成素材のシャツとジャンパー、安物のデニムのズボンを身に付けていた。
ガラスの下を覗き込む。
既に夜半を過ぎていた。
地上七十階にあるフロアの足下には、遥か下に流れるように走る車が何台も連なり、その周囲を数え切れないほどの明かりを点けた高層の建物が谷間のように取り囲んでいる。
高い建物に埋もれるようにして、一角に広がる古典遺産的な建物群。
その中心にある時計塔が、二十一世紀の終わりを告げたのは去年の話だ。
ガラスに手を付けそうになり、アンブローズは手前で止めた。
吐いた息がガラスに掛かるのも、口を軽く抑え止める。
ポケットに手を入れ、思い出したように猫背になった。
下町をたむろする、無頼の青年を装った。
フロアの方をちらりと振り向く。
政治関係者、軍人、官僚などしか出入りしないフロアだった。
向こう側のガラス窓に映る夜景は、ただの強い光の霧にしか見えないほどにフロアは広い。
先程まではいくらか人がいた。
淡い色のテーブルセットで銘々に雑談などをしていたが、気が付くと今は誰もいなくなっていた。
誰かが飲んでいた合成珈琲の香ばしい香りが、うっすらと漂い、消臭装置により消えた。
がらんとして静かだった。
不意に。
ピンヒールの甲高い靴音がした。
フロア入り口の方からゆっくりと入って来たかと思うと、一度立ち止まり、こちらを見た。
長い黒髪の女だった。
年齢は二十歳ほど。大きな黒い瞳に、小振りの鼻と唇。
カラフルな花柄のワンピースを身に付けていた。
僅かにアンブローズは目元を強張らせた。
咄嗟に我に返り、無表情を取り繕う。
女は、何の表情も浮かべず、こちらをじっと見ていた。
アンブローズが何も反応しないのを見ると、腕を組み、首を傾げた。
双方とも、暫く沈黙していた。
建物の設備から発せられる小さな機械音が、耳よりも触覚の方に伝わり続けていた。
瞬きするのすら警戒して、アンブローズは女を見詰めていた。
薄桃色のリップクリームを塗った唇を、おもむろに女は開いた。
「三年前に、その真下のクイーン・ゲートで起こった事件」
女は言った。
「ある一人の人物が、軍仕様の自動小銃を持ち出し、通行人を次々と射殺した」
ピンヒールの音をさせ、女はこちらに近付いた。
「死者八十三名、負傷者二百余名」
無表情を装い、アンブローズは女をじっと見た。
「設置されたカメラに、犯行者の顔ははっきりと映っていた」
ところが、と女は言い、アンブローズにずいっと顔を近付けた。
「この犯行者、全く身元が分からない」
女は言った。
「どこのデータにもない。どういうことか」
「なぜ俺に聞く」
女から僅かに目線を逸らしアンブローズは言った。
「この事件の直後から、軍より姿を消した、アンブローズ・ダドリー大尉」
女の目元の辺りから、キリキリキリという、微かな機械音がした。
「どんな偶然か」
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