14人が本棚に入れています
本棚に追加
01 AAA
違法建築の建物の密集する界隈を、アンブローズは歩いていた。
姿勢悪く背中を丸め、お飾りの煙を漂わせる煙草を、だらしない感じで咥え狭い路地を進む。
下町の無頼の若者の振りが、もう板に付いていた。
特別警察の尾行を警戒して朝まで酒場で過ごしたので、寝ていなかった。
「軍人」は、軍の仕事に当たれるよう、適切な遺伝子だけを組み合わされて生まれ、軍の仕事に特化した教育をされて育つ。
少々の寝不足では思考も体力も落ちずに行動できたが、とはいえ当然、睡眠は必要だった。
今になって三年前の事件を追及してきたのは気になるが、情報収集する前に仮眠を取る余裕くらいはあるだろう。
帰ったら寝よ、とアンブローズは思った。
高く伸びる、階下より上の方が幅があるバランスの悪い建物。それらが所々で狭い路地を見下ろしていた。
その建物群の間から見える空は、真っ青で雲ひとつ無い。
路地を進むごとに建物設備の間から太陽光がちらちらと覗いていた。
晴れか。
そう何気なく思った。
視界の端に気象データが現れた。
脳皮質に埋め込んだブレインマシンが、脳信号や血流から思念を読み取り、必要な情報を視界内に写し出す。
写し出される仕組みは、脳が幻覚を見せる作用とほぼ同じだが、事故防止のために、視界を向けている方向とは、ずれた位置に現れるように調整されている。
暫く外に出る予定は無いので、天気はまあ、どうでもいいのだが。
アンブローズはそう思い、OFF、と頭に思い浮かべた。
気象データは視界の端から消え、あとは何も現れなかった。
下町という割には路地は清潔に保たれていた。
元々は外国の移民のために整備された界隈だった。
半世紀前の排斥運動で住む者がいなくなり、違法に住み着いた者たちの貧民街と化したのち、政府が整備し直したのは、ふた昔ほど前だ。
今では、まあまあ衛生と治安の保たれた下流層の住宅地区になっていた。
「お帰りなさい」
自宅の玄関扉を開けようとして、アンブローズは手を止めた。
目線のだいぶ下の方から、幼女の声がした。
咥え煙草のまま顔を下に向ける。
金髪を綺麗に巻き、上等なアンティーク風のワンピースを来た幼い少女が扉の前にいた。
大きな青い瞳を上目遣いにし、怒ったような表情でこちらを見上げていた。
上品に手袋を嵌めた両手には、ケーキらしき箱を持っていた。
「……いらっしゃい」
アンブローズは白い煙を微風に靡かせながら扉を開けた。
アリス・A・アボット。
人工知能、アンドロイド、ブレインマシン等の開発、製造、メンテナンスで財を成した、アボット財閥の幼き総帥。
幼すぎて説得力が無いので、世間的には姿を出さず、三十八歳男性、A・A・アボットで通していた。
実際は八歳だ。
前総帥が高いIQの女性を選んで産ませた子の中でも、群を抜いた優秀さと、徹底した英才教育で、五歳にして前総帥の跡を継いだ。
付き人として付いて来た美形の護衛アンドロイドが、横で長身の上体を傾げ会釈した。
「夕べはどこに行ってらしたの?」
アリスは幼い甲高い声で、まるで正妻か何かのような口調で言った。
「子供は知らなくていいとこ」
アンブローズはそう言い、屋内へと入った。
「如何わしいお遊びで、無駄な時間と体力を浪費する男の人って、ばかだと思いますわ」
「ああそう」
護衛アンドロイドと共に、アリスは後を付いて中へと入った。
最初のコメントを投稿しよう!