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楓side-1
まだ肌寒い三月の半ば、実家のある町に帰ってきた。
四月から働く会社は実家から通える近さで、気楽な一人暮らしともお別れだ。
卒論の発表が終わってから卒業式までに少し余裕があった。さっさと引っ越しも済ませて実家でのんびりしている時に、お父さんに誘われておばあちゃんの家を見に行くことになった。
おばあちゃんの家の池の上に、大きな杏の木が生えている。それが毎年とても見事な花をつける。もちろん普段この時期には学校があるから見れない。でも今年は休みだから。
小さい頃に一度だけ見た光景は、今も変わらず美しかった。白い花が満開で、ヒラヒラとこぼれる花弁が鯉の池に落ちて幻想的だ。
けれど、そんな美しい光景も全く目に入らないくらい、私の心は混乱の渦の中にある。
おばあちゃんの村の入り口。あの夏彦くんの家がなかったのだ。
「お父さん、ここにあった家は?」
「え、ここに家はないぞ。昔っから。ほら、鳥居の向こうに小さな社があるだろ?父さんも小さな頃はよくこの前で遊んだもんさ。懐かしいなあ」
「でもこの前の雪の日に……」
「狐様に騙されたんじゃないのか?ここの稲荷神社の狐様は、いたずら好きだというから」
私、騙されたのかな。
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