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「なにやってるの! どうしたのよ、こんな……!」
慌てて駆け寄ると、目の前の虚ろな瞳が呟いた。
「息をするのが……下手になりました」
「え?」
伸びてきた手がすがるように私の手を掴む。
「弥夜子さん、昨日もその前もずっと来なくて。どんどん、息が出来なくなりました」
「……!」
いつもおっとりと微笑んでいる彼が濡れた瞳で唇を震わせる。
「パン作りもヘタになりました。ご飯を炊くのも、寝るのも下手になって……」
私の手から傘が滑り落ち、霙が肩や髪、心まで容赦なく濡らしていく。
「私を……待ってたの?」
「今夜はお仕事お休みです。だから来るまで待とうと」
「まさか朝から!?」
肯いた前髪から雫が滴り落ちる。
「弥夜子さんのせいで、ぼくは生きることが下手になりました」
それは嗚咽のような告白。
「あなたに会えないとぼくはおかしい」
「真、己……」
「淋しいと哀しいを、ぼくが知らないと思いましたか……?」
霙に打たれた真己は、頬も瞳もずぶ濡れで。
「ぼくは、どうしたらいい……?」
私も同じようにずぶ濡れになった。
「……バカ! 風邪ひいちゃうじゃない!」
私は彼の腕を掴み、引きずるようにして霙の中を走り出した。真己は何も言わず、私に導かれるままついて来る。
(確かこの辺り……、あった!)
公園から望めるほど近い小さなアパート。朝の会話の中で真己が“お店から歩けるあそこに住んでいる”と指さしたのを覚えている。
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