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「誤字脱字、整合性が取れてなかったところにチェックしといたよ」
「うわー! 助かる、ありがとな」
「いえいえ」
「……それで、どうだった? 僕の小説。……悪いとこあったら聞かせてよ」
いつも自信満々で、自分の小説が面白いと信じて疑わないはずの北斗が、やけに怯えているように見えた。私の顔色を伺うその瞳は、今にも捨てられそうな子犬のようにも思えた。
「……すごい良かったよ! 北斗らしい小説だね。これだったらまた、先生方に絶賛されるんじゃないかな……って、北斗はプロの先生に褒められるの、そんなに好きじゃないんだっけ?」
「うん。いや、作家先生とかどうでも良くて……優、きみはどう思ってるんだい? 本当に僕の新作、良いと思ってる? 今回は王道路線に振ってみたんだけど」
“王道”という言葉に私は引っかかる。聞こえは良いし万人受けしそうな内容ではあるけど、それは単なる逃げ口上のようにも感じた。
「……本当に良いと思ってるよ。北斗の小説は素晴らしいよ」
だけど私は、本心を彼に話すことができなかった。
もしかしたら私は、文芸部で彼と出会って、ともに過ごしたこの数年間で、北斗に対する“尊敬”の感情が“愛情”に変わっていたのかもしれない。彼を傷つけたくなくて、がっかりさせたくなくて、感想を求められているのに上辺のことだけしか言えなかった。伝えようと喉元まで出かかった批判を、私的な事情で嚥下したのだ。
ーーそして、その選択は間違っている。
批評会の直前に彼から打ち明けられたのは、北斗は二年生の終わりから執筆スランプに陥っていたとのことだった。鈍感な私はそんなピンチに気付けなかったけど、相当参っていたらしい。
その原因として、実は彼には好きな人がいて、それは私たちと同じクラスで、マドンナ的存在である稲本紗衣のことで、いつしか彼女を振り向かせるために小説を書くようになったそうだ。私が彼に好意を持ち、本音をぶつけられなかったのと同じように、北斗の恋愛感情もまた、彼の感性を鈍らせ、狂わせた。ほとんど小説を読んだことの無い紗衣が目を通しても、面白いと思えるような作品を書き、告白のタイミングで原稿を渡す。彼女に自分の才能を知らしめつつ、自分がこれから文芸の世界でスターになるという、大きな目標を紗衣に宣言し、彼女に振り向いてもらおうと考えていたらしかった。馬鹿だ。阿呆だ。そこまで北斗が、悪い意味で純粋だとは知らなかった。音楽やスポーツを恋愛の“手段”として使うのなら、百歩譲って理解できるけど、小説なんて悪いけど、格好良くもなんとも無かった。面白い小説を書いたところで、異性からモテるはずが無かった。……ていうより、小説を恋愛の“道具”に使ってほしくなかった。そんなつまらないことで才能を枯らしてほしくなかった。私との三年間を汚してほしくなんてなかった。
ーーでも私はそんなことを北斗に言えるはずも無く、またしても心の一番奥底に怒りを閉じ込め、鍵をかける。想いを吐き出せず、境界線のギリギリ手前で踏みとどまっていると、私の代わりに意見する人が現れる。
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