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「……ノカから聞いたんだけど」
ノカ、というのは彼の噂を教えてくれた、同じ会社の友人のアダ名だ。彼との会話でも何度も名前を出しているので、それで十分伝わるはずである。
「総務部の、遠藤さんだっけ。すっごく可愛い、アイドルみたいな新入社員がいるんだっけ?……いいよね、若い子は。私みたいな三十路女よりずっと魅力的でしょ。気持ちが揺らぐの、悔しいけどわかるし」
「え」
「その子と、徹さんが一緒にいるの見たってさ。すっごく親しそうだったから心配してる、ってノカに言われちゃった。……どういうことか説明して貰える?一緒にお昼ご飯も食べたんでしょ?」
ああ、わかりやすい。彼女の名前を出した途端、露骨に彼の眼が泳いだ。答えに詰まる徹。けれど、その反応で十分だ。本当なら、そういつもなら、あまり言葉数の多くない彼にあわせて返事を待つくらいの余裕を持つのに。今だけは、今日だけは無理だった。
許せそうにない。この沈黙に――耐えられるだけの度胸もなければ、勇気もない。
「か、彼女は」
彼が、絞り出すように何かを言いかけた。だから私は。
「聞きたくない!」
机に思い切り掌を叩きつけて、叫ぶ。痛みが、少しだけ自分の中の波を鎮めてくれた。
「聞きたくない……聞きたくない聞きたくない聞きたくない!もう終わりなんでしょ、私達。それを言いに来たんでしょ!そんな言葉聞きたくない、私ばっかり惨めな気持ちになって!あんたは若くて可愛い女の子と仲良くするんでしょ……!?お願い、帰って!これ以上私をかわいそうな女にしないで!」
「ご、誤解だ由那!俺は……!」
「帰って!!」
それ以上は聞きたくなかった。私は立ち上がって彼を見下ろす。童顔で男性として比較的小柄な彼は、私とさほど身長が変わらない。それでもこんな風に、真っ赤に染まったフィルターで彼を見つめたことがかつて一度でもあっただろうか。
徹はまだ立ち上がらない。ここから立ち去ることをまだ拒むというのか。だから私は彼の腕を強引に掴むと。ぐいぐいと玄関に引っ張っていった。抵抗するが、その力は随分と弱い。負い目でもあるのだろうか。こうなったのは一体誰のせいだと思っているのだろう。今更、被害者面などしないで欲しい。ドアを勢い良く開け、彼を突き飛ばす。そしてぽいぽいと彼の靴と荷物を外に投げ出した。
まるで、どこぞの安っぽい昼ドラのよう。
「もう二度と来ないで!裏切り者!!」
そして私は彼の返事を聞くこともせず、勢い良くドアを閉め、鍵をかけたのだった。ドアの前にずるずると座りこみ、声を殺すこともできずに泣く。こんなハズではなかった。せめてもう少し冷静に話を聞くつもりでいたのに。いや。
そもそも自分が女としてもっと魅力的であったなら、彼に捨てられずに済んだのだろうか。
ドシャン!!
「……え?」
そして。
何かが落ちるような大きな音が聞こえてきたのは、その直後のことだったのである。
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