第2章 友達

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第2章 友達

「遼のふるさと、いい所だった。ご両親もいい人だったし」 「でしょう?」 夏。2人は盆休みを利用して、遼の故郷に帰省した。葛城を親に紹介しに行ったのだ。遼の両親は、同性同士にも違和感なく、理解のある人間なので歓迎ムードで出迎えた。 穏やかな日々が続いていた。遼は、葛城と同棲を始めて、毎日が楽しい。何事もなく順風満帆。 以前とは、見違えるように随分吹っ切れて、マスコミなどで杉原が取り上げられているものを抵抗なく、見られるようになった。むしろ、葛城が購入してきた杉原のCDも進んで聴いたりしている。 あれから、遼は杉原とは何の接点もない。様々なところで活躍している彼の姿を見て、雲の上の存在だという認識になった。幼馴染で元恋人だった、というのが嘘と思えるくらいに。 全て、受け入れてくれた、葛城の献身的な愛のおかげだった。何故、葛城という存在がいながら、もっと早く未練を捨てられなかったのだろう、と疑問にも思うほどだった。 「遼、俺は帰るけど、もうちょっと田舎を満喫しといで」 「うん…頑張ってね」 多忙な雑誌記者は、十分な休みを取れない。 遼より仕事の都合で1日早く、帰る羽目になってしまった。葛城の運転する車を見送ると、実家周辺の畦道をゆったりと歩いた。 葛城が先に帰ってしまうのは寂しかったが、遼は都会の喧騒から離れて、空気の澄み切った久々の故郷を堪能することにした。 通っていた小学校の前を通ると、生徒が演奏しているのか、音楽室からピアノが聞こえてくる。拙いなりに弾かれる、可愛らしい子犬のワルツに遼は懐かしさを覚えた。今や天才ピアニストの杉原も、昔はああやってあの音楽室で、たどたどしいショパンを演奏していた。 ただ、道を歩くだけでも、杉原との思い出が蘇る。 道の端でふざけていた杉原が、調子に乗りすぎて足を踏み外し、ダイブした田んぼ。遼は大ウケしていたが、杉原が笑ってないで、早く助けろよ、と怒っていたのを覚えている。 2人で放課後通っていた駄菓子屋は未だ、健在だった。 幼い頃の思い出に、遼は朗らかな気持ちになっていたが、散歩を続けていくにつれ、段々と切なくなる自分の胸に気づいた。 初めてのデートの帰り、杉原とこっそり手を繋いだ道。初めて、キスをした公園の物陰。 もうあの日に戻れないという事実。甘酸っぱい思い出。それが、どうも心を切なくさせているのだ。 遼は、かぶりを振った。 夏の直射日光に当てられて、思考が混濁しているせいかもしれない。汗で、シャツが肌にまとわりついて気持ち悪い。本数が少なくて、滅多に来ないバス停の東屋に避難した。 そうして、お守りのように、葛城から貰った指輪を撫でていると、すう、と心が落ち着いた。東屋の中は、丁度いい塩梅に涼しい。しばらく無心で座っていると、遼は、冷静になれた。 目を閉じていると、蝉のうるさい合唱に混じって、清涼感のあるピアノの音が微かに聞こえてきた。 ラヴェルの水の戯れを誰かが弾いている。 それはとても親しみのあるピアノの音だった。落ち着いたら、実家に帰ろうと思っていたのに、その音に導かれるように勝手に足が歩き出した。 杉原の弾くピアノだった。
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