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「慎也、もう帰ってくれ」
「待ってくれ。色々と遼に話したい。この3年間のこと」
「聞きたくない」
宅配便の応対が終わって、我に返った遼は、杉原を家から追い出そうと背中を押した。情に流されてはいけない。杉原は3年も自分を置いてけぼりにしたかと思いきや、こちらの心中も知らずにのこのこと姿を唐突に現した男なのだ。かれの釈明や、言い訳など1つも聞きたくなかった。
「慎也の馬鹿野郎!」
遼の杉原に対する精一杯の罵倒だった。胸がいっぱいで、それしか言葉を発せない。遼は心をかたく閉ざした。伸びて来た杉原の手をぱっと払いのける。そして、大きく深呼吸をして、杉原にはっきりものを言った。
「慎也、俺には今恋人がいる。俺らは終わったんだ」
「遼…俺は…」
「今更恋人面すんな!俺が今までどんな気持ちでいたか!」
遼は、息を荒らげた。これで、今まで積もり積もったわだかまりが溶けた気がしたのに、どうにも心はすっきりしない。この男に大きな未練があるのを自覚して、苦しかった。当の杉原は、それもそうか、と自嘲するように小さく力のない笑みを浮かべた。
「すまなかった。分かった。分かったよ。じゃあ、とりあえずこれ、置いとく」
諦めた杉原が鞄から取り出して机に置いたのは、フライヤーと、チケットだった。「✗✗国際コンクール 優勝記念 杉原慎也 ピアノリサイタル」と題されたフライヤーには燕尾服の少し気難しそうな顔の杉原とピアノのツーショットが写っていた。
「この前の優勝記念に開かれる凱旋公演だ。その為に日本に帰ってきた」
つい最近の著名な、国際音楽コンクールで杉原が優勝したことを遼は知っていた。毎日のように、テレビで流れる杉原の演奏や、名前を見て、ひどく窮屈で締め付けられるような感情を覚えた。テレビを全く見られなくなった。日本人はめったに入選すらしないコンクールでの快挙である他に、顔立ちが端正な敏腕ピアニストとして、様々なマスコミに大きく取り上げられていたのだ。
遼は素直におめでとう、とは祝えなかった。杉原が、これで更に手の届かない人間のように感じてしまったからだった。
「今日、お前に優勝したことを報告したかったんだ。公演も聞きに来てくれよ」
遼は俯いたまま、肯定も、否定も、何の返事もしない。杉原のやるせない背中は部屋を出ていった。
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