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「口に、合わなかった?」
葛城祐樹(かつらぎゆうき)の声で、ぼうっと、物思いに耽っていた遼は、現実に引き戻された。旬の春キャベツを使ったペペロンチーノ。そして、横にはそのパスタに合うという、白ワイン。
「いや、そういうわけじゃないよ。凄く美味しい」
「それなら、良かった」
葛城は柔和な微笑をした。遼もフォークで麺を巻きつけると、ぎこちなく微笑み返す。確かに、料理が得意な葛城の作ったこのパスタは、美味なことには変わりない。ただ、まるで今は味覚の一切が遮断されてしまったように、味を感じなかった。
全ては、1週間前の青天の霹靂のせいだった。
あれ以降、杉原からはなにもアクションがなかったのだった。それでも、あの出来事は衝撃的で、ずっと後を引いていた。
久々に、2人の休みが合って葛城の自宅でデート。前からずっと心待ちにしていた筈なのに、どうしても上の空になってしまう自分が苦しい。
「やっぱり、拗ねてる?」
「えっ」
「仕事が忙しくて、あまり遼に構えなかったから」
食後、葛城は機嫌を取るためなのだろうか。ソファーに座ってぼんやりしている、遼の背後に回って肩を揉んだ。葛城が携わっている女性ファッション誌の校了日が近かったため、残業続きで暫く会えなかったことを気にしていた。遼はまさか、と否定して、大きく首を振る。
「拗ねてるわけないよ。どうして?」
「なんか遼、物憂げな表情だったから。俺のこと怒ってるかと思って」
「そんなわけない」
どんなに多忙で余裕がなくとも、1日に1回は、何かしらの手段を使ってでも、必ず連絡を取ってくれる葛城のことを責めるはずはなかった。どこぞの誰かとは全くの大違いだ、と遼は思った。
「何か悩みごとでもあるの?」
「えっ、あっ、いや…」
遼は言葉に詰まった。今、昔の恋人のことを考えていた、なんて口が裂けても言えない。
途端に、1週間前に杉原が自宅訪問してきて、キスをされて拒むどころか、受け入れてしまった自分がフラッシュバックした。
あのとき、一瞬でも葛城のことを忘れてしまって、自分から杉原を求めたことに対して、途方もない罪の意識に駆られた。
「し、仕事でちょっと、ね」
「だから肩、そんなに凝ってるんだ。遼、頑張ってるんだね」
葛城は、遼の強張った肩こりを解そうと親指に力を込めた。的確に血流が滞っているところを探り当てられ、遼は目を瞑った。出版社で働く葛城は、この春、入社2年目で一番力が入れられている女性ファッション誌を扱う華の部署に、異動になったのだった。
慣れない仕事に、周りが異性ばかりで環境自体にも慣れなくて辛いと、遼に弱音を零していた。その上、徹夜続きの仕事で目にクマまでつくっている。
そんな彼の方が疲労しているのは自明だった。嘘をついてしまった自分のことをとことん気遣う優しさが、チクチクと遼の心に容赦なく刺さる。
「むしろ、俺が佑樹のことマッサージするよ。どう見ても疲れていそうだよ」
「いいからいいから。俺たち今更そんなこと気にする関係じゃないだろ」
せめての罪滅ぼしのつもりだった遼の提案を断って、無邪気に笑う葛城の声が痛かった。
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