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遼の肩を丹念にマッサージした葛城は、唐突に切り出した。
「遼、杉原慎也って知ってる?」
「ふぇっ!」
自分の考えていたことが見透かされてしまったかのようなタイミングで出た人名に、遼は飛び上がった。気の抜けた声が出る。顔面蒼白になった遼は、白状する心づもりでごくりと唾を飲み込んだ。手に汗が滲む。人に隠し事ができるはずなんてないのだ。自分は責められてもおかしくないようなことをしたのだ。どこで、どう葛城が気づいたかは分からなかったが、遼は観念した。
「祐樹、実は俺…」
葛城は、震えた小声に気づかず、遼の隣にどっかり座ると、ポケットから2枚のチケットを取り出した。
『✗✗国際コンクール 優勝記念 杉原慎也 ピアノリサイタル』と印字されたチケット。1週間前の既視感に遼の目が点になる。
「今度、仕事でさ、あの、杉原慎也にインタビューすることになったんだ。ピアノの腕もさながら、ルックスも良いから女性人気も高いだろ?それで、来月号、うちの雑誌で彼の特集記事を組むことになったんだよ」
「えっ、そ、そうなんだ…凄いじゃん」
「俺、まだ下っ端のペーペーなのにさ。彼と同い年ってだけでインタビュアーにされたんだけど。クラシックのことあまり分からないし、大分プレッシャーだなぁ」
「そ、それだけ期待されてるんだよ」
「それで上司に、予習に行ってこい。ついでにデートがてら恋人も連れてけ、って2枚チケット貰った」
遼の早とちりだった。そもそも、自分のかつての恋人が杉原だというのを、葛城に話したことが無かった。
「遼、こういうの詳しいし、好きだろ?」
「うん、まあ……」
葛城はクラシック音楽に対して全くの門外漢だった。遼は、対照的によく好んでクラシック音楽を聴いたり、葛城に時々勧めたりしていた。
小学生の頃までピアノを習っていたことや、皮肉にも杉原の影響で造詣が深かったのだ。
それだから、ただののデートだけでなく、葛城は詳しい遼に彼の弾くピアノがクラシックファンの目線で聞いたときに、どんなものかを知りたいのだという。
複雑な心中。リサイタルに行くことは、全く気乗りしない話だった。それが表情に出ていたのだろう。葛城は心配そうに遼の顔を覗き込む。
「遼、やっぱり…怒ってる?」
「ううん、行こ。クラシックファンの俺としても杉原慎也のピアノ、生で聞いてみたかったんだ」
「よかった」
後ろめたさがあって、遼は頷く他無かった。
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