第1章 青天の霹靂

9/15
前へ
/46ページ
次へ
普段と全く分け目を変えた髪型、伊達眼鏡、自分ではあまり選ばない系統の服装。 「今日の遼、なんかお洒落だね」 「デートだから、ちょっと張り切ってみた」 「似合っているよ」 本当は、杉原に自分の姿を認識されたくないが為の、ちょっとした変装だった。 杉原から渡されたリサイタルのチケットは、同僚に譲渡した。葛城の貰ってきたチケットは、後ろの方の席を指定していた。杉原のチケットとは席も違うし、服装も相まって、ステージ上からでは、自分を認識されない自信があった。 リサイタル当日が来てしまった。 未だ、遼は、自分のしてしまったことを、葛城に話せていない。運命はなんていたずら好きなのだろう。まさか葛城と杉原に接点が生まれるなど、思いもしなかったのだった。そうして、自分がこの場に出向くことになることも。 重りが胃の底にあるように、ずん、と痛かった。 会場は、満席だった。女性ファンも多かったが、老若男女問わず様々な観客が来ていた。 杉原の演奏が万人に評価されていることの証左だった。 それを見て、遼は杉原が本当にどこか遠くに行ってしまった気がした。 遼は、二人きりのピアノリサイタル以降、一切彼の演奏を聴いていない。避けていた。だから、彼の今の実力は分からないし未知数だった。 横の葛城は、プログラムを眺めていると、1つ気になるものがあったのか指を差す。 「俺、ほんと、クラシック疎いから大抵の曲分かんないんだけど、この曲、なんかの映画で聴いて好きだったな」 「あっ…」 ドビュッシー『アラベスク第1番』 リサイタルの最後の曲目だった。意図された選曲なのか、どうか分からなかった。心が痛くなって、遼はつい胸を抑える。 そうこうしていると、客席の照明の明るさが落とされた。開演時間になって、舞台袖から燕尾服の杉原が出て礼をする。 遠くからでも、杉原が口を硬く一文字に結んで真剣な顔をしているのが分かる。どこか、緊張をしていることが遼にも伝わった。遼の手が、思わず握り拳をかたどった。
/46ページ

最初のコメントを投稿しよう!

154人が本棚に入れています
本棚に追加