口は'%('☆の元

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 僕には言えなかった言葉が沢山ある、朝から晩まで、あの時もあの時も、僕は言えずじまいで、後悔と言うか、言えない自分に腹が立つ。  しかし、言えないのだからどうしようも無い、時たま、言いたいことをスパスパ言えたら何て考えるが、突飛はSFだ。  そんなことを考える余裕があるなら、もっと他の現実的な方に目を向けるべきだと思う、しかるに、考えてやまない。  今日もウトウトそんなことを考えながら自室を後に食卓へと座る。  台所には嫁が小気味よくネギを切る音が聞こえ、テレビからは朝の情報番組が垂れ流れている。それにしても、この女子アナは解せない、もっと可愛い娘を採用して欲しい、朝から不快だ。 「あなた、出来ましたよ」  トレーに玉子焼き、焼き魚、味噌汁、白飯を乗せ嫁がやってくる、パッとしない僕が器量の良いお嫁さんを持てたのは我が人生において至上の幸運だ。  今にも鮮明に思い出せる、告白の時、夕方の屋上、クラスのマドンナ的で高嶺の花だった彼女に一か八か、勇気を出して告白した、結果は意外にもOKで、僕は大いに喜んだものだ。して、前で朝食の味を褒めてもらおうと尻尾を振るのが、その彼女なわけで。  コレは僕の人生の中で一番の武勇伝である。  しかし、嫁が意気揚々と運んできたこの味噌汁、解せない。味が薄いのだ、嫁が朝早くから出汁を取り作ってくれたこの味噌汁だが、まぁーなんと味が薄いのだ。  だが、新婚の嫁に味が薄いなどと伝えるのは今後、朝食を作ってもらえなくなる可能性がある。僕はしたり顔の嫁に今日も「この味噌汁は最高だ」と褒めるのだった。  そんなこんなで、全体的に味が薄めな朝食をかきあげ、嫁との仲慎ましい時を暫し堪能した僕は、会社へと出かけるのだった。 「いってきます」 「いってらっしゃい」  最寄りの駅まで自転車で。改札を通り、電車に乗り込む、ここらは結構な地方で、都会の満員電車と比べれば遥かにマシな方だが、それでも、座席に座れるのは稀である。  僕はつり革に手をかけ、スマホでネットニュースを確認する。  して、チラチラ視界に入ってくるこの若者が、また解せない。彼は座席に座っており良いご身分なことこの上なく、彼の前に立つお婆さんが途轍もなくかわいそうだ。  若者たるもの席を譲るべきである、こんな席を譲るに絶好なシュチュエーションが完成してると言うのに、彼は太々しく座ったまんま。  お婆さんは左手に手すりを、右手に杖を携え、やっとこさっとこ車内で立っている、それに気付いているのか否か、この若者はスマホゲームに身をやつしているのだ。  見ているだけで憤りを覚える。しかし、若者の柄は良いとは言えず、胆汁質に見えたので、僕はまた口を紡いでいた。  嗚呼、不甲斐ない。  会社に到着する、僕が勤めるのは学校などで使う教材を仲介する会社であり、大規模で無いが、地域に密着して、それなりの利益を上げていた。 「おはようございます」  僕は言い、仕事仲間の返事を聞きつつ自席に着席仕事を始めた。手狭なオフィス内は透明な光が差しておりシルバーのパソコンに反射している。 「皆さん、おはよう」  同期が溌剌と言い、僕の隣に座りパソコンを広げる。原来、コイツとは仲がいい、入社当初から今まで数々の修羅場を乗り越えたからか、僕とコイツはかなり懇意になったと思う。今日も一言二言下世話な会話を交わした後、仕事にかかった。  昼休憩になり、食堂と呼ばれる部屋へと嫁が作ってくれた弁当片手に移動する、肩を並べるのは同期だ。  食堂とは名ばかりの小さな部屋、折りたたみ式のテーブルが何台かあり、のれんで仕切られた狭い給湯室がある。  して、味の薄い弁当を摘みながら話す話題と言えば、一週間ほど前に入社してきた社員についてである、その社員は僕らより五年ほど年下のくせに、馴れ馴れしくタメ語で話しかけてくる、まぁ、それだけなら僕らも対して慨然とはしないのだ。  問題はその社員が無能の名にふさわしい奴たるところにある。仕事を頼んでも突散らかして返すのみ、一つも成し遂げたことはなく、それでもって、プライドが高いのか、素直に謝ろうとはしない。  角が立つのは道理で、僕らのソイツに対する心情は著しく悪い。全くもって解せない。  しかし、話の種になる。ソイツの無能ぶりを話題に盛り上がっていると。 「先輩方、今日も仲いいすっねー」  と、噂をすればなんとかやら、僕らの談話に水をさすようにやってきた。冷やかされた気がして、ムッとした僕はソイツがミスした仕事をほじくり返し言ってみた。すると、鼻で笑い声を前置き、 「俺の賃金は、先輩じゃなくて会社が払ってんで」  などとほざく、僕ははらわたが煮えくりかえり、何か大言壮語を憤然と言おうと思ったが、僕の反論を聞かず、ソイツは逃げるよう食堂を後にした。  決まりが悪い。  同期も「気にすることはない」とか「よくあそこで堪えられた」とか、言ってくれたが、生憎、僕はその称賛を純粋に受け止めることは出来なかった。僕は同期の慰めじみた言葉に「ありがとう」とだけ言い、弁当を口の中に杜撰に放り込む。  ゔーん、味が薄い。  終業時間となった、ウチの会社は書き入れ時以外は基本的には残業は無い、それを理由にこの会社を選んだと言っても良いだろう。勿論、やり甲斐も少しは感じている。  今日は小学生が使う書道セットの点検で遅くまで仕事は終わらなかった。時計の短針はてっぺんを通り過ぎそうであり、僕は足枷のついたような歩武で駅を目指した。  改札を通過、車内の混雑具合は然程で、僕は疲れた体をシートに任せ、二十分電車に揺られた。  止めておいた自転車にまたがり、体に鞭打ちのろのろと帰路を行く、ネオン光る明るい繁華街を抜け、閑静な住宅街に突入、我が家であるアパートが見えてきた。  駐輪場に自転車を止め、施錠、玄関を開錠し、 「ただいまー」  おかえりーは帰ってこなかった、夜も更けてきた時分だ、嫁は今頃夢でも見ているのだろう。俺は起こさないようシャワーを浴びて、床についた。  次の日、大きな違和感を覚えた。昨日と何かが違う、でも、その差異を見抜くことは出来ず、取り敢えず、うとつく足つきで食卓へと座った。  台所には嫁が小気味よくネギを切る音が聞こえ、テレビからは朝の情報番組が垂れ流れている。画面にはさして美人でもないのに驕り、取ってつけたような政治的発言をする女子アナが映っているところだった。 「朝から不快だ」 「っえ!」  っえ…… 「どうしたんです、あなた、急に不快だなんて」  いきなり、嫁が僕の心情を読んだが如く言ってくる、まさかニュータイプか?  「あのーあなた、出来ましたよ」  嫁の予想外の発言に思考を巡らしてると、トレーに納豆、焼鮭、味噌汁、白飯を乗せた嫁が僕の顔色をうかがいながらやってくる、ちょっとだけ可愛い。  今日も朝食の味加減を傾聴しようとこちらを見つめる嫁を下目に、早速、僕は朝食に手をつける、まずは味噌汁を一口。 「うん、薄い! 味が薄いんじゃ」 「味が薄い……?」 「そうだ、味が薄い」  沈黙が暫し、何かがおかしい。 「いつもと同じ作り方なのですけど」 「うん、いつも薄い」 「でも、最高だって」 「うん、あれ嘘」 「そんな……」  なんと、口が勝手に動くようになってしまった。しかし、本音が、言いたかった言葉を言えたので後悔はない、俺が待望していたことが出来たからだ。  僕は薄味の朝食を平らげ、仕事に出た。 「行ってきます」 「いってらっしゃい……」  最寄りの駅まで自転車で、改札を通り、電車に乗り込む、いつものよう、座席は満席で僕はつり革に手をかけ、スマホでネットニュースを見る。  昨日と同じく、僕の隣にはおばあさんが左手に手すりを、右手に杖を携え、やっとこさっとこ車内で立っていた。その前には若者がどかっと座席に腰を落ち着けている。  若者たるもの席を譲るべきである、こんな席を譲るに絶好なシュチュエーションが確立してると言うのに、彼は太々しく座ったまんま。  若者はそれに気付いているのか否か、イヤホンをつけ音ゲーに身をやつしているのだ。  僕は我慢ならず、若者のイヤホンをぶんどり、 「君! お婆さんが前にいるでしょうが!」  と、癇癪でも起こしたよう言った。あーせいせいする。 「なんだぁ? おじさん」  楯突く気か? 「席を譲りなさい」  若者はライフルの初速並みのスピードで立ち上がり、額がぶつかり合わんと言わんばかりに、僕に顔を寄せ、睨み合い。 「あ、あのー」  お婆さんも加勢してくれるのか。 「アタスその子の祖母なんです、アタスは運動のため立っているのでー」  と、横槍を、っえ、そうなの? 「てめぇの所為でフルコン逃したじゃねーか」  次の瞬間、衝撃が僕の鼻骨に、その後車内の床に激しく後頭部をぶつけたことは言うまでもなく、若者とお婆さんはブツクサ言いながら隣の車両に移動した。  骨折り損のくたびれ儲けである。  未だ、ひりひりと痛む鼻の先と後頭部を抑え会社に到着、挨拶し鞄を座席に起くと、僕は洗面所で顔をチェック。鼻面は赤く腫れており、トナカイのようだった。  まぁ仕方がない、さっきのは少し早とちりなだけだった。しかし、こんなにも言いたい言葉がツラツラ出てくるのは気持ちの良いものだな。あー愉快愉快。  オフィスに戻ると、問題の新入社員が居た、また何かやらかしたらしく、係長が絶望感を漂わせ、揉めている。よし、尻押ししよう。 「どうしたんです?」  僕が言うと、新入社員に注意していた係長が困り顔で、 「取引先に送る算数ドリルに間違ってサンプル用シールを貼ってしまって、しかも剥がせないタイプの、更に几帳面なことに全部貼っちゃったみたいで……」  なるほど、それはこの世の終わりみたいな顔になるのも仕方はない。これは日頃の鬱憤を激白するには非常に良いタイミングである。僕は溜息を設置し、 「お前はミスしかしないな、そんなんで食う飯はうまいか?」  すると、ソイツは突然、俺の顔を指差して嘲るように笑い始めた。 「ハハハ、顔が顔が、ピエロかよ、マジうけるー」  俺はソイツの首を締めたくなるような怒りに身を任せ、しかし、手を出すのでは無く口で反撃。 「お前、自分の立場分かってんのか、僕がお前のミスを社長に告げ口すれば即解雇だかんな」  すると、ソイツはいつものように言い返してはこなかった、流石に反省したか、しかし、僕は追撃をやめない。 「お前などこの会社にはいらない、お荷物なんだよ、ミスばっかで。みんな思ってんだからな」  そこに社長登場、これはいい機会だコイツをクビにしてもらおう。僕は社長に近づき、 「社長、あの社員クビにした方が良いですよ、僕らの足しか引っ張らないので」  これでコイツも万事休すだろう。 「お前がクビだ」 「っえ……」  社長は寄り添う僕の手を払い除け、トテトテ、新入社員の方に歩く。ソイツは社長に縋り付き一言。 「パパァー」  この時、僕は察した、彼は社長の息子だったのだ。つまりそう言うこと、万事休すは僕だったみたい。社長はドヨメキが飛び交うオフィスに空咳一つ払い、 「みんなー、ウチの息子は足しか引っ張らないとは本当か?」  誰一人として、何も言わなかった。 「そういうことだ。退職の手続きは行っとくから、君は明日から来なくて良いし、今日はもう帰りなさい。では」  社長は自らが理不尽を振りかざしているとは思いもしないのだろう、毅然な顔で飄々と言ってのけた。こんなことあってたまるか! 「不当解雇だ! 悪りぃーのはお前の息子だろー? なんで、俺が辞めさせられなきゃいけねんだよ」  僕は多分、狂乱者にでもなったが如く騒ぎたてだろう、そこらの記憶は朦朧としていてハッキリとは覚えていないが、一つ確かに牢記していることがある。  僕は無理やりオフィスから追い出されたのだが、ボディーガードのように僕を払い除けたのが同期であった。なんと友情とは儚いものか、精神的風土も作用しない。  僕は仕方なく果てしないため息を幾度と吐き帰宅した。  落胆で重力三割増しの体を酷使させ、駅を目指し改札を通過、車内は無人に等しく、僕は無駄に疲労が溜まる体をシートに押し付け、二十分電車に揺られた。  駐輪場に向かうと自転車はなかった、盗まれたのだろう、踏んだり蹴ったりだ。  僕はのろのろと帰路を行く、ゴミゴミとした歓楽街を抜け、子供の騒ぎ声が聞こえる住宅街を通り、我がアパートに到着。  薄い扉を開き、「ただいまー」しかし返事はない。食卓には置き手紙が一つ音読す。 「しばらく、実家に帰ります」  今朝のことを気に病んだのか……  僕はもう、立っている力も無く、つま先から脱力、膝をつき、反射で手を床に上体を固定した。  情けない笑い声が込み上げてくる、決して嬉しいわけでは無く、僕の感性は壊れてしまったのだ。苦笑、冷笑、嘲笑、失笑、憫笑の類。ほら、感情は昂りすぎると笑いに収束すると、それが今正におきているのだ。  一頻り笑い僕はやっと気付いたのだ。いつのまにか僕は激しい自己嫌悪に陥っていた事に。
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