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お正月
今日は年の瀬、大晦日。
これは、小さな村の小さな神社の物語。
「よっしゃー! 今年の神務、終わり。今、何時だ?」
そう言いながら両手を上げたのは、この村の氏神“梅水那媛(うめみずなひめ)”でした。
付き人が笑顔で言いました。
「あと五分ほどで年が明けます。一年間、お疲れさまでした。それよりも、そのようにお急ぎになられるとは、どうなされたのですか?」
「土地の整備も進んだからな。元旦とともに人と向き合えるように準備をしておけと、お偉方が取り決めた」
「さようでございましたか」
「それで、どのくらい人が集まってる?」
付き人が何も答えません。
「どうした? なぜ黙ってる。答えろ」
「誰もいませんよ」
「なに、どういうことだ」
慌てて障子戸を開け、外に飛び出した梅水那媛(うめみずなひめ)でしたが、冬夜の風が冷たく通り過ぎると、身を震わせ部屋の中へと逃げ込んだ。
「なんで誰もいねえんだよ」
「そりゃそうですよ。誰が好き好んでこんな真夜中に、祭りどころか出店すらない、村はずれの神社に来るんですか。
みんな、麓の大社にでも行ってるんじゃないですかね」
口は禍の元とでもいいましょうか、怒った梅水那媛の手が付き人の顔を掴みました。
「なに? 麓の大社にだと……」
「いえ、わがりまぜんが、もじかじだら……」
顔を掴まれた付き人は、上手く話せません。
「まずは地場の神に挨拶来るのが礼儀ってもんだろうが!」
「わだぐじに、いわれまじでも……」
突き飛ばすように手を離した梅水那媛は鬼のような顔で柱に齧りつきました。
「人間どもめ~。目にもの見せてくれるわ」
その様子に呆れながら、付き人は袴を整えました。
「神様とは思えない台詞ですね」
柱相手にひと暴れした梅水那媛は畳の上で胡坐をかくと付き人に怒鳴りました。
「酒だ。酒、持ってこい」
「新年早々、何を仰っているのですか? そんなことしたら、上司から怒られ―」
付き人の頭に茟が当たりました。さらに本や硯が飛んできます。これには付き人も驚きました。慌ててお酒を取りに走ります。
「わかりました。わかりましたから、落ち着いてください」
付き人から奪うように酒を受け取った梅水那媛は浴びるように酒を飲み始めました。
「知りませんよ。絶対、懲罰委員会に掛けられますからね」
「うるせえ。じじいやばばあの説教なんざ、右から左に聞き流しときゃいいんだよ」
「貴女、本当に神様ですか」
愚痴や文句を肴に酒を飲んで数時間が経つと、梅水那媛は机に突っ伏しました。
「なんで、誰も来ないんだよ。私がこの村の氏神なのに……」
付き人はそんな梅水那媛を見て可哀そうに思えてきました。
「朝になったら皆さん来られますよ。とくにこの村はお年寄りが多いですからね。年神様を待っておられるのかもしれませんね」
付き人が慰めていると、誰かが梅水那媛を呼びました。
「おい、梅媛。居るか?」
「誰だ? この私を短縮して呼んでんのは」
付き人が障子戸を開けると、一人の男神が部屋の中へと入ってきました。
「うお、酒臭せ。なんなんだ、この状況は……。お前は新年早々、何考えてんだ」
完全に酔いつぶれている梅水那媛は顔だけを向け男神を睨みつけました。
「あ? 誰かと思えば年神じゃねえか。何しに来やがった?」
付き人がこの状況に至った過程を話すと、年神は笑いました。
「じゃあ、誰もここには来てないのか」
「どういう意味だ?」
「まあ、そう悲しそうな顔をするなって。家に居なかったのは二割ほどだからな」
年神の一言に付き人は少しホッとしました。
「やはり、みなさんは年神様を待っておられたのですね」
「待ってたっていうか、ほとんど寝てたけどな。
じゃあ、俺は行くわ。ここに居ても、誰も来ねえだろうしな」
飛んできた盃を年神は素早くかわすと、笑いながら部屋を飛び出していきました。
「喧嘩売ってんのか? てめえは一言多いんだよ。二度と来るんじゃねえぞ、このボケが!」
二人の様子を見ながら付き人は、この村にまともな神様はいないのかと肩を落とした。
夜が明け、初めに神社へ訪れたのはお爺さんとお婆さんの夫婦でした。二人で仲良く大きな鈴を鳴らします。
鈴の音を聞いた梅水那媛は慌てて両手で耳を押さえました。
「うるせえ。……うあぁ、飲み過ぎた。頭がガンガンする」
「大丈夫ですか? 頭痛薬とお水、置いておきますね」
薬を飲んだ梅水那媛は呻き声を洩らしました。
「で? 誰だ?」
「長作とおよねの夫婦ですね」
「ああ、その二人は毎年来てるな」
お爺さんは手を合わせると、神様に話しかけました。
「昨年はありがとうごぜえました。おかげ様で夫婦そろって新年を迎えることができましただ」
「去年の礼は去年のうちに言いに来やがれ」
付き人は梅水那媛に冷ややかな視線を送ります。
「参拝者にいちいち悪態で返事をしないでいただけますか」
お爺さんが話をつづけました。
「今年も一年、どうぞよろしくおねげえいたしますだ」
「ああ、はいはい」
「真面目に耳を傾けてください」
お爺さんとお婆さんが帰っていくと、しばらくして若い男が一人でやって来ました。
「おいら、隣村のおきわに惚れているだ。おとうに認めてもらいてえだ」
「挨拶も無しに、いきなりテメェの欲望さらけ出してんじゃねえぞ。
あぁ、暇だ。おい、年々、来る人間減ってないか?」
「そうですね。やっぱり、大きな社(やしろ)や有名なところに―」
鋭い視線を感じた付き人は、慌てて言葉を選びます。
「それだけ平和だってことじゃないですかね」
梅水那媛が不満気に舌を打ったその年の夏、村は猛暑に襲われた。川は干上がり、田畑は枯れ、深刻な水不足になってしまいました。
そんな、ある日。たくさんの村人が神社にやって来たではありませんか。
「氏神様。どうか、村をお救い下せえ」
「このままじゃ、わしらは干からびてしまいますだ。どうか、雨を降らせてくだせえ」
村人の願いを聞いていた梅水那媛はというと、
「うるせえな。暑苦しいんだよ。あぁ、何もしたくねえ。ダル。
天小僧(あまこぞう)は何してやがる。とっとと雨を降らしやがれ」
「たしかに、おかしいですよね。何かあったのではありませんか? 尋ねてみてはいかがでしょう?」
「あ? めんどくせえな。マジで言ってんのかよ。人間どもめ、困ったときだけ頼って来るんじゃねえよ。
あぁ、しゃあねえ。行くか」
梅水那媛が重たい腰を上げ神社を出ると、年神が山から下りてきました。
「お、なんだかんだ言ってても、行くんだな?」
「助けを求められたからな。私は氏神だ。放っておくことは出来ん」
「じゃあ、俺様も付き合ってやる」
二人の神が天小僧の家にやってくると、家の中から大きな笑い声が聞こえてきました。
「仕事もしないで、遊んでんじゃねえぞ」
梅水那媛が怒りに任せて勢いよく扉を開くと、そこには鬼たちが酒盛りをして騒いでいたます。
「なんじゃ、おのれら。ここで、何やっとんじゃー」
梅水那媛が鬼に向かって怒鳴りました。
「おっ、誰かと思えば、人間に相手にされない神じゃねえか。お前らも一杯どうだ?」
酔っぱらった鬼が笑いながらそう言うと、その鬼の顔に梅水那媛の足の裏が飛んできました。
「何するんだよ。散々、村人には嫌な思いさせられたんだろ。それなのに、なんで人間の味方をするんだよ」
「うるせえ。暑いんじゃ、ボケ」
怒り狂う梅水那媛を見ながら、年神は大声で笑いました。
「もう、村人のためとかじゃないじゃん」
「知るか。終わりよければ、なんでも良いんだよ」
鬼たちは、氏神と年神にコテンパンにされると、泣きながら家を飛び出していきました。
「お~い。天小僧どこだ?」
年神が大きな声で呼ぶと、押し入れの中からガサゴソと音が聞こえてきます。年神は襖を開けると、縄で縛られている天小僧を助け出しました。
「ありがとうございました。助かりました」
「礼なんかいいから、とっとと雨を降らしやがれ」
梅水那媛が怒鳴ると、慌てて天小僧は雷道具を持ち出しました。
「ちがーう。一月ほどかけて、ゆっくり降らせるんだよ」
「たしかに。今までの分を一気に降らせると、村が流されてしまうな。おい、天小僧。梅媛の言うとおりにやんな」
「はい~、分かりました。仰せのままに」
その日から適度に降り続いた雨により、村人は水不足に悩まされることは無くなりました。いつしかその恵みの雨を梅媛の雨、梅雨(つゆ)と呼ぶようになったそうな。
その年の大晦日。
「よっしゃー! 今年の神務、終わり。今、何時だ?」
「あと五分ほどで年が明けます。一年間、お疲れさまでした」
「それで、今年は何人来てる?」
「……。誰も来ていません」
外に飛び出した梅水那媛は冬の夜空に向かって大声で叫びました。
「人間どもめ、ふざけやがって。この恨み、必ず晴らしてくれようぞ」
「あの、神様。寒いんで閉めてもらっていいですか?」
「うるせえ。あぁ、寒い。
酒だ。酒持ってこい」
「わかりましたよ。今年は頑張りましたからね。好きなだけ飲んでください」
元日の朝。梅水那媛が酔いつぶれて机に突っ伏していると、外から名前を呼ぶ声が聞こえてきました。
「おい、梅媛。出て来いよ」
「あぁ? うるせえな。うぅ、頭いてぇ。
年神が何しに来やがった?」
ぶつぶつ言いながら、梅水那媛が外に出ると、そこには年神の他に村人が全員集まっています。
「全員、起きて俺様を待っていやがった。そんな、気を使わなくてもいいのによ。まあ、夏の水不足がよほど堪えたんだろうな。
話を聞いてると、みんなで集まって朝一番にお前に会いに行こうとしてたから、なんとなく付いて来た」
梅水那媛が村人を見回すと、村人が一斉に手を合わせました。
「昨年は本当にありがとうごぜえました。今、こうして新年を迎えられたのも、梅水那媛様のおかげですだ」
「だ~から、去年の礼は去年のうちに言いに来いって言ってんだろ」
悪態で返す梅水那媛でしたが、そのお顔はどこか嬉しそうでした。
その年より大晦日の夜になると村人が集まり、年神様と一夜を過ごし、翌朝、氏神様に挨拶をしに来るようになったそうな。
(終わり)
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