四十代

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四十代

 息子が嫁を連れてきた。  正確にはまだ入籍前ではあるが、息子も嫁さんも添い遂げる未来を見ているし、側から見てもお似合いの二人だ。仕事が安定すれば子供もできるだろう。  だからこそ思う。決して外面には不安など見せず、それでも悩み続ける。  息子は、果たして良い親父になれるだろうか……と。  きっと“親”としての反映は、今まで長い間接して来た自分が強いだろう。結局自分が『良い親父』かどうかなど確信できないまま過ごして来て、その影響を受けた息子が『良い親父』として生きられるかは不安になる。  お節介だろうか? 余計なお世話だろうか? きっとそうだろう。それでも自分は気に掛ける。何か間違えたのではないかと、責任感が襲い掛かる。  恐怖と不安とプレッシャー。何人もの命に繋がりを持つ、責任。一人の人間として与えられたモノは正しかったのか。  何度も、何度も思う。  ───夢を見た。いや、夢というにはあまりに鮮明で、自分の思考が反映されている様な会話が続く。まるで自分が憑依しているかの様な光景。いや、いっそ自分の人生を辿っているのではないかと思う、長い夢。  でも自分の人生と違ったのは、男の息子が僅か4歳の時に親を亡くしていた事。  見覚えがあった。男の息子は俺だ。そして男は、俺の親父。まるで写し鏡のように、男は俺の思考そっくりに不安を浮かべている。  声を掛けたかった。でも出なかった。いや、出せなかった。明確に浮かぶ“過去”への干渉は出来ないのだと悟る。  ゆっくりと口を閉じれば、男はバシッと頬を叩き、気合を入れたように歩み始める。  子供の前で着丈に振る舞い、自信満々に子供に構い。それでも陰で不安を零す。自分は良い親父になれているのかと、何度も何度も。  そして最後に漏らす不安は、毎日同じだった。「俺は親父なんだから、母を亡くして不安な子を更に不安にさせる訳にはいかない」と。だから自分に気合を入れ、一生懸命に俺を育てた。  親父も不安だったんだ。俺にとって『良い親父』と思っていた人は、陰では物凄く弱い人だった。もちろんそれがガッカリしたなどとは思わない。誇りに思っていた姿が取り繕いだったのだとショックを受けることもない。  でも一つ疑問に思った。この長い長い夢の中で、最後に見た光景。俺が三十になって『良い親父』になれるか相談しに行ったあの日。  この時親父は初めて、陰でも弱音を溢さなかった。心からの言葉で、本心で。間違い無いと確信した様子で、親父は言葉を紡いだのだと思う。  それは何故だろう?  疑問一つ、夢から浮上し始める。  そうして、迎える四十代。  
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