小さな勇気を最後の日に

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キーンコーンカーンコーン。 チャイムが校舎に響き渡る。 生徒は皆、席についているが落ち着きなくざわついている。 でも、このチャイムの音だけはどんな騒音にもかき消されない。 きっとみんな心に刻んでいる。 だって、もうこの音を聞くことはないのだから。 今日は卒業式。 手には卒業証書。胸には小さな花飾り。 そんな晴れの日に私は一つ決心した。 『想いを伝える。』 今日を逃したらもう二度と会えないのだから。 一日中そう思い続けて友達と話しながらも集中力を欠いていた。 でも、このHRが終わったら、この教室を出てしまったら。 きっともう二度と会うことはない。 好きだった。大好きだった。 仲良くなんて全然なかった彼のことが、好きだった。 ただのクラスメート。 この関係に特別な名前なんてなにもない。 それでも、彼が大好きだった。 初めての自己紹介で、彼のモノマネが心に響いたこと。 (私を含め、だれも笑ってはいなかったから、たぶん、すべっていたけど。) 廊下でぶつかってしまった時、さりげなく手を差し伸べてくれたこと。 (恥ずかしくてその手を握ることなく逃げ出したけど。) 文化祭の準備中。絵の具の蓋が開かなくて顔を真っ赤にしていたとき、横から現れて簡単に開けてくれたこと。 (別の意味で顔が赤くなって直視できなかったけど。) テストの点をひっそりと教えてくれたときのいらずらな笑い顔も。 (彼より30点高かった私の点数が見えて、驚いて読み上げてしまったお詫びに、って。) 3年間、同じ教室で過ごした毎日の中で起きたすべてのこと。 それはたぶん、このクラスの誰でも起こりえたこと。 それはたぶん、このクラスの誰よりも少ない接点。 なんでもない、日常の出来事。 でも、私にとってはどれ一つも忘れられない思い出。 何度も心の中で繰り返し再生し、何度も思い出し笑いをした。 全部大したことじゃないのは知っている。 でも、それでも。 それらが私の高校生活を彩った。私の青い春だった。 先生の最後の言葉が終わる。 学級委員の最後の号令がかかる。 一斉に椅子をひく音。無音の一礼。 そして、みんな、席を離れて、それぞれの想い人のところへ歩き出す。 それは一番の友達かもしれない。 それは、ただずっと一緒にいた腐れ縁の相手かもしれない。 それは、想いの通じあった恋人かもしれない。 そして私は、大きく深呼吸をしたあと、彼のもとへと。 さぁ、いかなくちゃ。 いざとなると足が震えて進めない。 彼は私の名前なんて知らないかもしれない。 それでもいい。ただ伝えたい。そう決めたんだから。 早くしないと。彼が教室から出ていってしまう。 伝えたい。伝えたなきゃ。 彼のヒロインになれないことなんてとっくに分かっているの。 だって、彼の隣はすでに埋まっているし。 空席であろうと私がそこに入る余地がないのは百も承知。 それでもいい。ただ、思いを伝えたかった。 足踏みをしている間にも彼は出口のドアに近づいていく。 私は、もつれる足でなんとか彼を追いかける。 そして、彼がドアを開けた先。 そこには、2年の間、彼の隣にいたあの子がいた。 うれしそうにほほ笑む2人。 彼らに遅れて私も廊下へ足を踏み入れる。 しばらく彼らの背中を眺めていた。 彼らの1/3ほどの歩幅で歩きながら。 ダメだ。 卒業式だからって言えるくらいなら、私はきっと今までで何度勇気を出せただろう。 彼を追いかける足を止める。 ダメなんだ。 喉元で止まっていた声を、さらに奥へと飲み込む。 もう、諦めるしか、ない。 (大丈夫。思い出はたくさんあるけど、更新されることはないから。) (忘れられる。) 私の中の臆病な自分が顔をだす。 このまま、立ち止まれば。綺麗な記憶のまま残しておけば。 いつか思い出の引き出しを開けたとき、少しの幸せと少しの切なさを感じることができるのだから。 体の向きをくるりと変える。 スカートが小さく宙に浮く。 足にひんやりとした空気が直に当たる。 いいんだよ。これで。 3年間、思っているだけでなにもできなかった私。 勇気を出して彼に思いを伝えて、2年間、そしてこれからも一緒にいられる権利を手に入れたあの子。 私はあの子の位置に立つことはできない。 それはわかっていた。 でもせめて、最後はあの子に追いつきたくて、心に決めていたけれど。 それすら、私にはできない。 うん。そうだよ。 想いは叶わなくても、彼に覚えててほしいなんて。 それは都合がよすぎるよ。 私はきっと何度もチャンスはあったのに、それをつかめなかった。いや、むしろ、そこから逃げて逃げて、逃げ続けたのだから。 怖くてしょうがなかったから。 それをあの子は勇気を出して、向かい合って、そして、そのチャンスをつかんだ。 だから、これは当然の結果。 溜まっていた涙が、こぼれようとした、その時。 ざわついた廊下で、もう二度と聞くはずのなかった声が、やけにクリアに、私の耳に届いた。 「あれっ・・・、向井!」 これは、幻聴だ。 そう思いながらも、さっきまで向いていた方向へ体をくるりと。 スカートを翻して。 涙はその勢いに乗ってきっと宙へと消えた。 「向井!3年間ありがとう!またな!」 卒業証書を持った手を高く掲げたその相手は。 私が思い続けた、君。 わずか10歩先。 君が私を見ている。 廊下には、あふれんばかりの別れを惜しむ生徒たち。 それにかき消されないよう必死で声を絞り出す。 「・・・うん!ありがとう!岡田くん!」 その声を聞くと、君は手を振り、さらに数歩先にいたあの子のもとへと歩いていった。 「またね!!」 最後の勇気を振り絞り、その後ろ姿にもう一度声をかける。 すると、君は、顔だけをこちらに向けて、さらに笑ったのが分かった。 そして、見慣れた背中は同じ色の集団の中へと埋もれていった。 それを見届けたあと、私の目には新しい涙が浮かぶ。 3年間見てきたその笑顔を、私に向けてくれた。 全然、近くなんかない。 10歩先なんて遠い。 でも、君はまっすぐ私を見ていた。私の名前を呼んだ。 あの瞬間、あの笑顔は私だけもものだった。 (好きです。大好きです。ずっと・・・大好きでした。) この思いは届くことはなかったけれど。 君の中に私がいたこと。 君の3年間に私が確かに存在したこと。 ただ、それだけで。 ありがとう。と言えたこと。 ずっと好きだった。と言えなかったこと。 どれも青春の1ページとして。 きっといつか、「こんなこともあったね」と笑って思い出せる。 「あれ、優!そんなところにいたの!写真撮ろうよ!」 教室から顔だけだした友達の声が私を呼ぶ。 涙をぬぐい、私は一歩、その声の方向へ歩き出した。 「うん!」 スカートは、まだ冷たい春風に揺れている。 きっともう二度と会うことのない君へ。きっと私を忘れてしまう君へ。 これからもその笑顔で誰かを勇気づけていくのでしょう。 どうか、お体に気を付けて、ずっとその笑顔を守れるように。 どうか、あの子と末永く仲良く過ごしてください、たとえ10年後も二人並んで笑っていますように。 そして、どうか、君が私にくれた幸せと、同じくらいの幸せが君に届きますように。
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