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精霊族が異界で誰かを探している。
オンナ。
言いようのない不安が足元に絡みつく。まさか、まさか…。
わたしはカイリさんが飲みかけのまま置いていった白いティーカップを見つめていた。すっかり冷たくなってしまった茶色い液体は、かすかにリンゴの香りを残すだけだ。
もう滅びてしまった青の王族など、探しても価値などないはずだ。緑の精霊王は、おまえの人生を生きなさいと、わたしをここに置いていった。あのときの、哀れむような表情。わたしは彼の優しさで生かされているのだ。けれど…。
からからとベルが乱暴に揺れて、ドアが大きく開いた。
「リエル!」
カイリさんが息を切らして中へ入ってくる。その慌てっぷりにお兄さまと喧嘩でもしたのかと心配になった。
「カイリさん、おかえりなさい。大丈夫ですか?お兄さまとお話し、できました?」
「ああ、追いつけた。本当に、不躾な男で申し訳ない。兄に代わって改めて謝罪させてくれ」
「いえ、なにも失礼なことなんて、ないです。むしろ私の方が礼を失していないかと心配で。お城での作法も色々忘れてしまっていて」
「いや、俺たちはそんな、階級や礼儀を重んじるような種族ではないんだ。肉体の強さと商才があれば尊敬される」
彼は少し自嘲気味に説明しながら、ふとわたしを見た。
「……俺たちが皇子だと、貴方に言ったことがあるか?」
「えっ。皇子様だったのですか?お二人とも。それは、初めて知りました。雰囲気で、もしかして鬼族でも、位の高い方かなとは思っていましたけど」
カイリさんは雰囲気?そんなことでわかるものだろうかと驚いている。けれど、カイリさんもイリヤさんも明らかに街の人間の人たちとは違うんだけどな。
「でも、カイリさんも、わたしのことそれっぽい、とかおっしゃってましたよ?ぽわぽわとか」
「あっ、それはその」
さぁっと赤くなる頬が、だんだんと可愛らしく見えてきてしまう。こんなに大きなおとこのひとをかわいい、なんて思う自分にびっくりだ。父様や兄さまとは明らかに違う、男の人なのに。さっきまで感じていた漠然とした不安が、彼とこうして話しているだけで、すこしずつ溶けてゆく。
「イリヤさん、とても活発な方ですね」
「ああ、彼は地元で大きな店を経営しているんだ。優秀な実業家で、強くて、俺の憧れだ。口は悪いが」
眉をしかめながらも、お兄さまに信頼を寄せているのだろう、表情は柔らかかった。
「そうなのですか!お店をされてるんですね、じゃあちょっとだけ、私たち、一緒ですね。ここはまだまだ小さいけど」
彼は一瞬言葉につまり、驚いたように私を見た。紫の瞳が揺れている。それを隠すようにそっと睫毛を伏せた。
「そんな風に思ったことはなかった…。いつもいつも、兄が羨ましくて。でも…そうだな。いまは、ちょっとだけ、一緒だ」
そして、にっこりと微笑んだ。大きな背と生真面目な顔つきには似合わない、あどけない笑顔。でも、その晴々とした感じにつられて、私も微笑む。お店のなかの空気が、ふんわり柔らかくなった気がした。ついでに室温もぐんと上がったみたいな。
「あっ、あの!カイリさん、なにかおっしゃってましたか?」
「いや?いや特にはなにもっ…!あっ、みみみ店の備品を新しくしたらいいんじゃないかと、言っていた!」
「そそそそうですか!わたしも、この棚を変えたいなって思ってたんですっ」
「棚!たなはいいな。雰囲気がもっと良くなりそうだっ」
ぎくしゃくとお互いあさっての方を向いて話す。顔が熱い。必死で頭をお店のことに切り替えた。
「あの、カイリさんっ。提案があるんですが、明日はお休みにしませんか?」
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