二人の休日

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 ちょっと、食い過ぎたようだ、とカイリさんがため息を漏らす。大きな料亭をあとにして、二人で夕闇の街をゆっくり歩いて自分たちのお店へと向かう。 この時期は日没まで市が立つらしく、出店の商品をかたっぱしから覗いていった。美味しそうなクッキーの列に並び、熱々の牛串を頬張り、お店に飾れそうな雑貨をたくさん買い込む。気づけば人間界での休日を二人で思いっきり堪能していた。 既にお腹は膨れていたけれど、なんとなく離れがたくて夕ご飯をご一緒してくださいとお誘いした。彼も同じように思ってくれたらしく、賑わっている料亭でまたたくさん注文した。 「ここは、良い街だな。人もあたたかい。街の活気がそれを物語っている」 陽が落ちても、賑やかな話し声がそこここで聞こえる。寒さよりも、みんな誰かと一緒に過ごしていたいようだった。 「そうですね。あまり、今まで関わらないようにしていたのが、もったいないです」 「それは、しかたないだろう。リエルはとても、その、つらいことがあったように見えるから」 わたしの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれているカイリさんは遠慮がちに首を振る。 太陽はとうに姿を隠し、その名残だけが群青の空に橙の色を残す。だいぶ、冷えてきたようだ。わたしはコートの前をきゅ、と握った。 「カイリさん、聞いてほしいことがあるんです」 「どうした?」 お店へ帰ったら、話があると小さく伝えた。私たちの好きなあのお店で、彼に聞いてほしかった。 ✳︎✳︎ 「ここ、すごく空が近いんです。ほら」 屋上で夜空を見上げると、彼もそれに倣う。冬空は特に美しく星を映し出す。人間界からも、どこからも離れたようなこの場所でわたしはあれから何度もこの空を眺めていた。 「本当だな。素晴らしい眺めだ。あの、例の爺さんはこの店を手放すのがよく惜しくなかったものだな」 「たぶん、このお店のマルコット爺さんという人は、緑の種族の王と知り合いだったんだと思います。だからきっと、精霊界で暮らしているはずです」 「うん。幸せな隠居生活を送っているだろうな」 「イリヤさんのおっしゃった通り、精霊界では大きな戦争がありました。そして、緑の種族の王が精霊王となりました」 街の上いっぱいに広がる空に目を向けたまま、わたしは彼へと話かける。肩と腕が少し、触れ合う距離で。 私は、青の種族です。同じ精霊族同士で争いを繰り返し、精霊王の名を奪い合うのが、我ら精霊族の数千年にわたる歴史です。馬鹿げたことなのでしょう。けれども数多の種族それぞれに王が立てられている限り、必ず争いを生んでしまうのです。それを正すことができるのが、今回王になった緑の精霊王なのだと、私たち青の種族は思っています。 毎回、ある種族が精霊王になると、その時に一番力を争った種の王族を皆殺しにします。そうすると、力がなくなるからでしょうね。今回は私たち青でした。緑と青の王はかつては友だったようですが、そんなことは種族間の争いに全く関係ないのです。負ければ、血は絶やされます。ですが、緑の王は私を不憫に思ったようです。 ある日彼は私が隠れ住む森まで来て、人間界へ行きなさい、と仰いました。本当はその剣で私を殺すつもりだったでしょうし、その、権利があったのに、です。 「権利などない!」 ピクリとして彼を見る。 「権利など、誰にもない。貴方を、他者を殺す権利など誰も持たない」 「王は、持っています」 「リエル」 「精霊界は、そうやって、続いてきたのです」 かすかに触れていた彼の腕に、ぎゅ、と力が入った。なにかを我慢するように、カイリさんは黙っている。 「カイリさん、わたしは、何もかもどうでもよかったんです。王族で、末っ子のわたしを守るため、家族はわたしを魔力のとても強い森の中へ隠しました。わたしはそこに数年いるうちに、いろいろなことを忘れ、楽しかったことや、笑い声や、悲しいことさえ、どこかに置いてきてしまいました」 その上、みんな、死んでしまったのです。私を残して。末娘の、いちばん非力で、なんの取り柄もない、料理が下手な、青い目のリエルを残して。 唇が、肩が、手が、震える。それでも続けた。 「なんにもない私をみて、緑の王はわたしをここへ送りました。自分が笑いたいのかどうか、確かめておいでと。私の生は精霊界では終わったと、おっしゃっていました」 空気が澄んでいくごとに、星は瞬きを強める。黒ビロードの布地に宝石を撒いたように一面に輝く夜空。その下で、わたしはカイリさんを見上げた。 「なんにもなかったわたしは、最近、毎日がちょっとずつ、楽しいです。パンが売れたり、朝の空気が美味しかったり、お店のドアベルが可愛らしい音を立てるのが、嬉しいです。カイリさんが厨房にいてくれるのがとても、頼もしくて、楽しいです。ほんとうに、ありがとうございます」 瞳から目を離さず、ありがとうともう一度伝える。何度言ってもきっと足りないけれど。 カイリさんはぎゅっと握りしめていた拳を緩める。そして、わたしの髪に手を添えた。ゆっくりと頭を撫でる。彼の手はごつごつと大きく、男らしい。そして、あたたかい。 彼に撫でられると、そこからじんわりと暖かいものが染みてくるようで、とてもきもちがいい。 「リエル。話してくれて、ありがとう。俺も、貴方に会えて、幸せだ」 お互いまだまだぎこちないけれど、精いっぱいの笑顔で笑いあう。そのまま、心地よい沈黙が二人の間に落ちる。彼はためらいがちに私の頭を引き寄せた。 顔を傾けそっと、乾いた唇を額に触れさせる。 きゅ。と音がした。わたしのなかで。 ✳︎✳︎ そのまま、さっさっ寒いから下へ戻ろうとカイリさんに背中を押されるようにして下へ降りた。 じゃあ明日、と背中を向ける彼の表情が、なにかを悟ったかのように一瞬歪んでから、いっそう引き締まったように見えた。
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