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どこかの王国のとある街 夕方
この王国では、なにやら誰かえらいひとのお誕生日らしく、その日は街中がきらきらとした飾りに彩られていた。お昼が過ぎ、夕方近くなるとガラスのウインドウの向こうは少しずつあかりが燈りはじめる。
ひとつ、ふたつ。あ、あっちにも金色のきらきら。
石畳みの通りに落ちる夕焼けのオレンジと、金色のコントラストをぼうっと眺める。そろそろ、お店しまわなきゃ。朝から誰ひとり入ってこないドアと、所狭しと並べられたパンの山を見て、わたしは今日もまた、ため息をついた。
今夜もよるごはんはパンになっちゃったな。
昨日もおとといも、その前も自分で作ったパンばかり食べている。とはいえそのことはあまり気にならなかった。とりあえずなんでもいいから、お腹に入れば生きていけるので。ため息の原因はやっぱり、誰もお店に入ってこないことだった。
木のレジカウンターに頬杖をついて、指でじぶんの頬をぺちぺち、ゆっくりたたく。ガラスドアの向こうはもう、紺色まじりの赤だ。お店の前を通るひとはだいたい急ぎ足で、こっちのほうは見向きもしない。
今もおとこのひとが歩いていく。めったにみないくらいの背の高さで、申し訳なさそうに少し丸まった背中で自分の足元ばかり見ていた。いろんな人が彼を追い越してゆくので、だいぶ歩調はゆっくりなのだろう。
わたしは目をほかの方へ向けた。金のきらきらはどんどん増えてきたみたいだ。夜になれば、向こうの広場でお誕生祝いの宴が開かれるらしい。本格的に暗くなる前に、ほんとにお店を閉めなくちゃ、と立ち上がってドアに向かう。すると、扉からひんやりした風が流れ込んできた。
思わずぶるっと身震いする。誰かが戸口に立っていた。
「あの、すまないが、この、アルバイト募集の紙はまだ有効だろうか?」
「……」
「あの、……?」
「……」
さっきの背の高い男のひとは、困ったようにわたしを見下ろす。硬そうな黒髪がちょっとだけ、風に揺れていた。彼はもう一度、
「この、紙を見て来たのだが…」
くしゃくしゃになった用紙を片手に持ってわたしの目の前に出してきた。
『アルバイト募集中!急募!店主引退のため!笑顔いっぱいの職場です!できればパンを焼ける方!』
このお店を示した地図と一緒にそんな文が載っていた。わたしは、丁寧にそれを読み返してから男の人に目を移す。大きな革のリュックを担いで、この寒い季節に薄手のマントを羽織っている。マントの合わせ目で、不思議な形をしたブローチピンが光っていた。
「これは、このお店のことだけれど、今はもう募集していません」
「そ、うなのか。それは申し訳ない。もう、貴方に決まったということかな」
ひどく肩を落としてそう言った男のひとは、ものすごく大きなひとなのに、わたしくらいに背が縮んでしまったように見えた。
「いえ、わたしは……。気がついたら、ここにいたので…。その、よくわかりません」
あ、と少し息を飲んだ男のひとは、こちらの目の高さまで腰を落とした。私たちは、そこで初めてしっかりと目を合わせた。
目の前のひとは、切れ長の眼をして、真面目そうな整った顔をしていた。紫色の瞳をきゅ、と細めてわたしの眼を見る。わたしの瞳は、青だったはずだ。兄様や姉さまが、リエルの瞳はザ・青って感じの、綺麗な綺麗な青よ、と言ってくれたのをちゃんと、覚えてるから。
「ああ、人間じゃないのか。君」
彼はちょっと安心したようにそういう。そう言ってから、自分の台詞に驚いたように
「いや、その、つまり、失礼!あの、不躾なことを言って申し訳ない。悪かった」
「いえ、大丈夫です。隠してるわけでもないですし、誰もそんなこと、気にしないので」
わたしが誰であろうと、誰もお店にはいってくることはないのだから、人間だろうとそうでなかろうと、この街の人にはあまり関係ないことなのだろう。
「いや、どうにも俺は…いや、本当にすまない。人間界で、異界のものと出会う確率は低いと聞いたものだから、つい、ほっとしてしまった」
男の人は、いつのまにか首まで赤くなりながら、俺も人間ではないんだ、とぽりぽり頭をかいた。
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