1話~出会い~ 2話~竜の国~ 3話~戦い~

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1話~出会い~ 2話~竜の国~ 3話~戦い~

〈プロローグ〉 血が止まらない…。どうしたら…。 ボクをかばって、アドニが刺された。血がだくだくと流れ、アドニの顔から生気が失われていく。 アドニは、参ったなと苦笑いして、ボクに「置いていけ」と言う。だが、ボクには、到底できなかった。 服を裂き、傷に押し当てる。しかし、すぐに、布は真っ赤に染まり、ボクの指の間から、血がこぼれていく。 ボクには、どうすることもできない。ただ、アドニが死んでいくのを見ているしかない。 「どうして…、神様は、ボクにこんなに辛く当たるんですか?ボクは確かに、人殺しです。でも、それなら、ボクに罰を下せばいい。こんなの、こんなの、あんまりだ…」 ぽたぽたと涙が落ち、アドニの顔を濡らす。アドニは、青白くなった顔で、ボクに言う。 「今日が…俺の…終わりの日なんだよ…。仕方…ない。運命は、そう簡単に変えられない。ベオ…、俺はもう…いいんだ。」 アドニが微笑む。ボクは、その表情を見て、やっと気づいた。 ボクにとって、アドニは… 〈一話〉 空には幾万という星が輝いていた。 ボクは空を見上げて、白い息をハアと吐いた。 今日は、特に冷える。ボクは、マフラーを口元まで引き上げた。 ボクの周りでは、仲間たちが食事をしていた。 「なあ、夜、見たか?」 仲間の一人から尋ねられて、首を振った。仲間は愉快そうに、ニヤッと笑って話し始めた。 「父さんのところに、竜の国からの使者が来てるんだ。オレたち、人形を買いに来たんだってさ!誰が買われるか、見ものだな!」 「そう、興味ないよ。」 ボクが、そっけなく返事をしたので、仲間が眉を寄せた。 ボクたちは、人形と呼ばれる少年兵だ。父と呼ばれる武器商人の元で、紛争、戦争、時に暗殺までをこなす、人殺し集団である。皆、孤児で、物心つく前から、父に戦うすべを叩きこまれ、戦場を生き抜いてきた。弱い者は死に、今ここにいるのは百戦錬磨の兵士たちである。 ボクが、そっぽを向いたので、ボクに話しかけた仲間は小さくちっと舌打ちした。 「なんだよ、せっかく、話しかけてやったのに…。ちょっと強いからって、傲慢じゃね?」 「あんまり、絡むなよ…。あいつ、キレたら、誰でも殺すんだぜ…?お前も殺されるって。」 ボクは無関心に、焚火を見つめた。人間は苦手だ。ボクには、彼らの気持ちがまるで分からない。興味もない。どうして、そんなに他人に興味があるのか分からなかった。 テントの入り口が少し開き、白髪交じりの髪に白い瞳を持つ、ひょろっとした男が顔を出した。父だ。 父は辺りを見回して、ボクを見つけると鋭い声で命令した。 「夜、来なさい。」 ボクはコクリと頷き、横に置いていた刀を腰に差して立ち上がった。ボクが呼ばれたので、周りの仲間が不満そうに、ボクを睨んだ。ボクは、ハアとため息をつき、歩き出す。面倒ごとは御免だ。 テントの前で、父がボクを出迎えた。いつもの仮面をつけたような、噓くさい笑顔でボクを見ていた。 「よしよし、来ましたね。さあ、中に入りなさい。」 ボクは言われた通りに、テントの中に入った。中にはストーブが焚かれ、じんわりと暖かい。ボクは顔まで覆っていたマフラーを解く。 テントの中には、酷く驚いた顔の男が立っていた。父よりもさらに背が高く、茶色のくせ毛を短く整え、黄色の瞳を持つ、若い男だ。白いシャツに、緩くネクタイを締め、スラックスを履いていた。さらに、両耳に金のピアスをつけていた。 ボクは、穴が開くほど見つめられて、ほんの少したじろぐ。変な男だと思ったが、顔には出さずに、とりあえず見つめ返した。ボクには全く見覚えがないが、昔会ったことがあるのだろうか。 「ボクに何か?」 男は、はっと我に返った。 「いや、すまん!こんなに可愛いのが出てくると思わなかったんでな…。本当に、こいつが、最強の人形、夜なのか?」 「ええ、そうです。私の最高傑作と言っても過言でもありません。名の通り、まるで夜のごとく真っ黒の瞳が美しいでしょう?」 「まさか、女の子だとは…。」 その言葉に、父が愉快そうに声を立てて笑い出した。 「いえいえ、夜は男ですよ。」 「はっ!?男!?」 男が素っ頓狂な声をあげた。確かに、ボクは黒い髪を伸ばし、頭の後ろで結んでおり、顔もどちらかと言えば、中性的だ。だが、今まで女だと勘違いされたことはなかった。変な人だと再び思った。 あまりの驚きように、父が何かを察して、口を開いた。 「今回は、女の人形をお探しでしたか?あいにく、女は使えるものがほとんどおらず…。」 「いや、そういうわけじゃないぜ。むしろ、男の方が仕事内容的にはいい。」 そう言って、ボクの頬に触れた。ボクは男の手のひらの温かさに、ぴくっと反応した。人に触られることは、あまり得意ではなかったが、不思議と嫌ではない。 男はボクの瞳をじっと見つめ、ニコッと笑った。笑うと瞳がキラキラと輝いた。まるで、イエローダイヤモンドだ。 ボクの内面とは裏腹に、表面にはほとんど感情が出ない。ボクが死んだ目で男を見つめていると、男がボクの頭にポンと手を置いた。 「随分と感情が希薄なんだな。まあ、いい。この子をもらっていくぜ。いくらだ?」 「お気に召しましたか。しかし、夜は特別な人形ですからね…。そう安くはありませんよ?」 「ああ、大丈夫だ。いくらでも出す。竜の王は、使える武器を欲している。」 男はどこからともなく、大量の金貨が入った袋を取り出した。じゃらじゃらと音がするほどの金貨に、父の顔が上気した。 「ほうほう!竜の王は、最近熱心にレイト人を殺していると聞きましたが、こんな大金をぽんと支払うとは…。大分、苦戦しているんですね?」 「ああ、そうなんだろ。俺の知ったことじゃねぇがな。」 「あなたも宝石なのですから、関係があるのではないですか?」 宝石という言葉に、男の頬がぴくっと痙攣した。 「なんだ、あんた、知ってて、俺に会ったのか?」 「ええ、噂はかねがね。王が所有している能力者たちと聞いています。」 男はがしがしと頭を掻き、面倒くさそうに顔をしかめた。 「ああ、その認識で大体あっている。だが、俺たちの存在は、本来は国家機密だ。誰から聞いた?」 「陰に生きるものは、皆知っていますよ。」 「そうかい。俺は真面目な方じゃねぇ。見逃してやるが、今後一切、他言するな。」 キッときつく睨まれ、父はへらへらと笑い、頷いた。男は大きくため息をつき、話を戻した。 「で、いくらなんだ?俺は焦らされるのが、嫌いなんだ。お互い気持ちよく別れたいだろ?さっさと教えてくれよ。」 「そうですね…。金貨200枚でしょうか。しかし、実はやってみたいことがありまして…。それによって、変わりますかね。」 父がボクを見た。ボクは、その表情から命令を読み解き、腰の刀をすらりと抜き放ち、男の首を狙う。一瞬の出来事だった。普通の人間なら、首と胴体が泣き別れになっている所だが、男は身体を後ろに反らし、ぎりぎりで刃を避けた。ボクは、ほんの少しだけ驚きつつも、すぐに手首をひねり、刃先を男の首にぴたりと当てる。 男は自身の首に当てられた刃を見て、それから、父を睨んだ。 「てめえは、今、自分が何しているのか分かっているのか?この刃は竜の王にも向いている。これは警告だ。刀を収めなければ、この一帯を火の海にする。」 「いえいえ、本気ではございません。夜、武器を収めなさい。」 ボクは言われた通りに、鞘に刀を戻した。父を見上げると、不気味な笑みを浮かべていた。 「私の人形が、どのくらい通用するか、つい試してみたくなりましてね。大変失礼いたしました。」 「はあ?わけ分からないこと言ってんじゃねぇぞ。焼き殺されたいのか?」 男が不愉快そうに、眉間に皺を寄せたので、父は愛想笑いを浮かべた。 「それは怖い。お詫びとしては何ですが、少しお値引きさせていただきます。どうか、ご勘弁ください。」 その言葉に、男は面倒くさそうに、ため息をついた。 「あー、そう。まあ、いい。売ってくれるってんなら、勘弁してやる。」 父は少し金額を下げて、男に提示した。男は頷き、金袋を手は渡した。 ボクは、自分が買われる様子をぼんやりと眺めた。父は袋から金貨を出し、数を数えると満足そうに頷いた。 「確かに。お買い上げありがとうございます。これからもどうぞご贔屓ください。」 「へいへい。王に伝えておく。それじゃあ、もらっていくぜ。」 男がボクを引き寄せた。 男を見上げると、ボクにニッと笑いかけた。その笑顔があまりに眩しくて直視できず、そっぽを向いた。 男は「つれないやつだなー」と面白そうに笑い、ボクの髪を優しく撫でた。 「これから、よろしくな。俺はアドニ・セルシン。お前は?」 「ボクは、夜と申します。」 「それは、商品名だろ?本名は何て言うんだ?」 男―アドニがボクの顔を覗き込み、尋ねた。ボクは言ってもよいか分からず、父を盗み見た。しかし、父は既にボクに興味を失っているようだった。なぜか、胸の奥がちくりと痛む。 「…ベオグラード・ファセス。」 ボクが小さな声で答えると、アドニは人懐っこい笑みを浮かべた。 「ベオグラードか。いい名前だが、ちょいと長いな。べオでいいか?よし、じゃあ、べオ。こんな辛気臭いところ、さっさとおさらばして行こうぜ!」 なんて、太陽のように明るくてからっとした人だ。ボクは、コクリと頷いた。 これがアドニとの最初の出会いだ。 * 「今日は遅いから、近くの街に宿をとるぜ。」 アドニがボクに言った。ボクは、黙って頷いた。 ボクたちは、人形の本拠地から離れ、暗い夜道を歩いていた。 物心つく前から共に暮らしていた仲間と永遠に別れるというのに、ボクの心の奥は芯から冷え切っていた。何の感情もわかない。心底どうでもいいと思った。 特に荷物を持たないので、着の身着のまま、アドニについていく。ボクの姿を、人形たちが妬ましそうに見ていた。ボクは、目を合わせることなく去った。 アドニはロングコートの内ポケットからシガレットケースを取り出し、一本くわえ、火をつけた。会った時から感じていたが、身体に煙草の臭いが沁みついている。相当なヘビースモーカーだ。 アドニは煙草の煙を吐き、ボクを横目で見た。 「お前、全然、表情が変わらないな。今、何考えてるんだ?」 「…特に何も。思考は、動きを鈍らせます。不要なものだと父に言われています。」 「そうかい。随分と洗脳されてるなぁ。これを人間らしくするのは、大変そうだ。」 ボクは、アドニの言葉の意味が理解できない。洗脳という意味を知らないわけではない。ボクは、人形だ。それを人間らしくする必要があるとは思えなかった。 草原を抜けて、谷間に入った。 気配を感じ、腰の刀に手を伸ばした瞬間、ピュッと矢が飛んできた。ボクは刀を抜き、矢を切って、アドニの前に立つ。わらわらとボクたちを囲むように、盗賊が姿を現した。 頭だろうか、初老の男がニヤニヤと笑って、ボクたちの前に立ちふさがった。 「お前、竜の国の使者だろ?金の臭いがぷんぷんする。命が惜しけりゃ、有り金置いていけ。」 そう言って、ボクたちに剣を向けた。ボクは、深く息を吐き、刀を構えた。これは作業だ。無駄なく全てを殲滅する。 ボクは、一瞬で人間の目では捉えきれないほど加速し、初老の男の手首を切断すると、跳躍し、次は崖の上で弓を構える弓兵たちの首に刃を走らせた。だが、刃先が首に当たる前に、アドニがボクの腕を掴んで止めた。 「なぜ、邪魔をするのですか。」 ボクの問いに、アドニは答えず、手首を切断されて、もだえ苦しむ初老の男の前にボクを連れて行く。 初老の男が、ボクを罵る。 アドニはどこからともなく、金貨を取り出すと、男の前にじゃらじゃらと落とした。 「手首をくっつけてやることはできないが、これで治療してくれ。すぐに止血すれば死ぬことはない。後な、襲う相手はもっと慎重に選んだ方がいいぜ。」 ごうっとアドニの身体から炎が噴き出した。周りを囲んでいた盗賊たちは悲鳴をあげて、へっぴり腰で逃げて行った。 アドニは、大きくため息をつき、ボクを見た。 「お前なぁ、こんな雑魚殺したって仕方ねぇだろ?誰も幸せになれないばかりか、禍根しか残らないぜ?」 「…彼らは同じことを繰り返します。生きるために、こういう手段しかとれないのであれば、いっそのこと殺してやった方がいいと父が言っていました。」 「お前…。いいか?よく聴け、少年。今のお前にとっては、殺す方がずっと簡単なのかもしれない。だが、必ず将来後悔する。悔い改めるなら、今だ。お前はまだ子どもなんだから、それ以上、罪を重ねるな。」 アドニが、ボクをギュッと抱きしめた。ボクは、急に抱きしめられて混乱した。どうして、そんなに辛そうな顔をするのか分からない。 ボクから殺しを奪ったら、一体何が残ると言うのだろう。ボクの未来は、殺すか殺されるか、その2択だけだ。 ボクは、アドニの体温と、煙草の臭いを感じながら、改めて不思議な人だと思った。彼からはまったく悪意を感じられない。今まで会った、どの大人とも違っている。だからこそ、どうしたらいいのか分からない。 ボクたちは、小さな街に入った。 遅い時間であるが、まだ、男たちは酒を飲み、騒いでいた。男たちは部外者のボクたちをちらっと見て、すぐに近くの若い女に視線を戻した。女は下着のような格好で、男たちをもてなし、交渉が成立すると、家の中に入っていく。そんな店がいくつも並んでいた。 女の1人がアドニに声をかけた。 「そこの若いお兄さん、ちょっと寄っていかない?」 「生憎と、弟を連れてるんでね。遠慮しておく。」 「あら、残念。お兄さん、格好いいから、サービスしてあげたのに。」 甘ったるい声で囁かれ、アドニが苦笑いした。確かに、アドニは、姿が良い。目尻が少し垂れており、すっと通った鼻と、形の良い唇がバランスよく並んでいた。さらに、垂れ目のせいか、常に微笑んでいるように見えた。 アドニは、ボクの腕を掴み、早足で通りを抜けた。 「お子様には、まだ早い場所だな。ここらへんに宿があるはずだが…。ベオ、お前なんか知ってるか?」 「…その角を右に曲がった場所に、安宿があります。」 「お、確かに。ありがとう。」 アドニがボクに、ニッと笑った。その笑顔に、ボクは落ち着かないものを感じた。さっきから、何だか変だ。感情をフラットに保てない。 宿には、暇そうな青年がイスに座って、煙草を吸っていた。ボクたちが入ってくると、じろりと眺めた。 「何、客?」 「ああ、そうだ。2人部屋空いてるか?」 「生憎と、今日はほとんど満室でね。1人部屋しか空いてないぜ。」 「…そうかい。この街には、他に宿あるか?」 「あるのはあるが、ここ以外は、あれだ。子どもの前じゃあ、言いにくいね。」 青年がニヤニヤと、わざとらしく言葉を濁した。アドニは、察したように顔をしかめて、ため息をついた。 「それじゃあ、その部屋でいい。いくらだ?」 アドニが青年に宿代を支払った。青年は金を受け取ると、アドニに鍵を渡し、仕事が終わったとばかりに、また煙草を吸い始めた。 さすがに、安いだけあって部屋は恐ろしくて狭く、煙草の臭いが沁みついていた。シングルベッドが部屋の3分の2を占め、残りのスペースに簡易的なイスとテーブル、さらに灰皿が置かれていた。 明らかに、2人で使うには手狭だ。特に、アドニは身長が高いので、ベッドの幅が足りない。ボクは黙って外に出ようとした。すると、アドニがボクの肩を掴んだ。 「どこ行くんだよ?」 「ボクは外で十分です。あなたが、ここを使ってください。」 「遠慮するなって、頑張れば2人で使えるからさ。それに、外は冷える。ここも大概だがな。」 そう言って、ボクを引っ張って、ベッドの上に座らせた。ボクは落ち着かず、そわそわと周りを見まわした。今までベッドに寝た事も、こうやって2人きりで誰かと長時間居たこともない。 アドニはロングコートを脱ぎ、ネクタイを外すと、疲れたと言わんばかりに背を伸ばした。そして、ボクを見降ろした。 「お前さ、何にも質問しないんだな。俺が何者かとか、これからどうなるのかとか、興味ないのか?」 「…どうでもいいことです。あなたが何者であっても、仕事は変わりません。」 「…本当に人形なんだな。まあ、俺が話したいだけだからさ、聞いてくれ。」 そう言って、アドニが大まかに説明し始めた。 「俺は、竜の国と呼ばれる王国の人間だ。竜の国ってのは知っているか?」 「はい。竜と呼ばれる、強力な力を持った王が支配する国と聞いています。」 「なんだ、勉強熱心だな。その通りだ。俺はそこで、宝石として働いている。まあ、お前たち人形と同じような兵士だな。違いと言ったら、能力者であることだ。」 盗賊に襲われた時に、アドニの身体から噴き出した炎を思い出した。 「今の王は、戦争好きのいかれた奴でな。特に、今はレイト人を躍起になって攻撃しているが、そのレイト人が思いのほか手強くて、もう3年も戦い続けてる。さすがに、国全体が疲弊し始めてきたからさ、さっさと終わらせたいんだ。で、苛烈な戦闘力を持つ人形が欲しかったってわけ。」 ボクには、心底どうでもいいことだった。ボクの表情がまったく変わらないので、アドニが苦笑した。 「もしかして、人間じゃないのか?」 「いえ、人間です。」 「いや、分かってるって、冗談だよ。」 そこで話が途切れた。居心地の悪さでも感じたのか、アドニが口を開いた。 「話は変わるけどさ、お前、いくつなんだ?」 「ボクは…、15です。」 「15!ふうん、15ね。思ったより、歳とってて安心した。」 アドニは、ニッと笑い、ボクの髪を撫でた。そして、眠そうに欠伸をした。 「ああ、疲れた。そろそろ寝るか。」 そう言うと、ボクが着ていた防寒着を脱がせて、腰に差していた刀を抜いた。ボクは、アドニが何をするつもりか分からず、じっと見つめた。 アドニは、ベッドの半分に寝そべると、ボクに手を伸ばした。 「ほら、寝るぞ。ちょっと狭いが、我慢してくれ。」 ボクが首を振ると、アドニが強引に腕を引っ張って、隣に寝かせた。まったく想定していなかった事態に身体が固まった。 「ボクは地面で寝ますから、こういったことは不要です。」 「何言ってんだ。凍え死ぬぞ?遠慮しなくていいからさ。それに、俺も温かくて助かる。」 アドニは、ボクの首の下に右腕を入れて、左腕でボクを抱き寄せた。ボクは、どうしたらいいのか分からなくて、されるがままアドニの身体に顔をうずめた。 灯りが消える。 アドニは、ボクの髪紐をとり、髪を綺麗に整えると、ボクの額にキスをした。驚いて、身体が強張った。 見上げると、苦笑いして、アドニがボクを見ていた。 「すまん!いつもの癖で、やっちまった。最近まで恋人がいたもんだからさ…。」 「恋人…?」 「何?もしかして、そんなことも知らないのか?」 「いえ、言葉は知っています。自身の欲情を満たす道具だと父が言っていました。」 ボクの言葉に、アドニが起き上がり、ボクを見降ろした。ボクは夜目が利くので、アドニの表情がよく見えた。ボクを憐れんでいるように見える。 「お前は、今まで、あのクソ野郎を絶対として生きてきたんだな?あれは、人間の中でも大分、屑な分類だ。ああいう輩の言い分を真に受けるな。もっと自分の頭で考えるんだ。これからは、あのクソ野郎はお前に指示をくれないし、俺も与えてやれない。大人は嘘つきで、自分勝手だ。そんな奴から身を守るために、もっと知恵をつけろ。」 ボクが黙って、空を見つめていると、アドニが大きな手の平で、ボクを抱き寄せた。ボクの頭に顎をのせて、優しく何度も髪を撫でた。 「お前は生まれたばかりの赤ん坊だ。これから、色んな経験をして、強くなれ。」 「強く…?ボクは既に強いです。」 「肉体的なもんじゃない。精神的な方だ。今だって抵抗もせずに、されるがままじゃないか。俺がもし、お前を…。」 一瞬、アドニの腕に力が入ったが、すぐに力が抜けた。 「いや、何でもない。さ、寝ようぜ。おやすみ。」 アドニが目を閉じて、一瞬で寝入った。ボクは顔を上げて、その顔をじっと見つめた。不思議と嫌な気持ちはしない。変な人だ。数時間前に会ったボクに、なんでそんなに真剣なのか分からない。 それに、今まで凪のように穏やかだった感情が、グラグラと揺れて、どうしようもない。今まで感じたことのない温かさに、戸惑っているのだ。だが、それが心地よくて、ボクはウトウトと眠りについた。 *** 変に身体が熱い。 ボクは薄っすら瞳を開いた。目の前に、誰かの顔があった。だが、表情がよく見えない。アドニだろうか? アドニらしい人が、ボクに顔を寄せて、唇にキスした。最初は、軽く触れるように、次第に激しくなり、舌が絡まっていく。ボクはどうすることもできずに、されるがまま、受け入れた。 何だか身体が動かない。それに、身体が熱を持って熱い。 アドニは、しばらくキスすると、おもむろにボクの首に唇を添わせた。何をするつもりか、ボクには分かった。以前、要人を暗殺した時に、見たことがある。まるで、野獣のように交わる男女が、ベッドの上で暴れていた。ボクは、その場で嘔吐して、危うく殺し損ねるところだった。 ―怖い。 ボクが呟くと、アドニが顔をあげて、微笑んだ。そして、またボクの唇にキスをした。それだけで、身体がどんどんと熱くなり、思考が霞んでいく。頭が真っ白になるほどの、快楽ともいうべき感触が走った。 今まで感じたことのない感触に、恐怖さえ感じた。だが、アドニは離してくれない。 いつの間に、こんなことになったのか考えようとしたが、記憶が断片的でよく思い出せない。 何かがおかしいと思ったが、思考が止まって、何も考えられなかった。 すると、アドニがボクの耳元で囁く。 ―どうした?お前が望んでいたことだろ?もっと楽しめよ。 そう言って、ボクの服に手を入れた。一瞬で、頭が真っ白に飛んだ。 *** はっと目を覚ますと、既に陽が昇っていた。隣に寝ていたはずのアドニはおらず、ボクはそっと唇に触れた。今なら分かる。あれは夢だ。なぜ、あんな夢を見てしまったのか、ボクにはまったく分からなかった。 ボクは下半身に冷たいものを感じて、ばっと布団をめくった。ズボンは何ともない。だが、その下がぐっしょりと濡れていた。あまりのことに固まった。なんでこんなことになったのか、まったく分からない。だが、あの快楽が脳裏に焼き付いていた。 困ったことに、対処方法がまるで分からない。固まっている間に、アドニが帰ってきた。髭をそり、髪を綺麗に整えていた。 ベッドの脇に座り、ボクに微笑んだ。 「おはよう、ベオ。よく寝てたな。今までちゃんと寝てなかったんじゃないかってぐらい、ぐっすり寝てたぜ、お前。」 ボクがうんともすんとも言わないので、怪訝な顔になった。 「どうした?気分でも…。」 そう言いかけて、かばっと布団をとった。すぐに、理解したようで、気まずそうに頬を掻いた。 「もしかして、初めてなのか!? 15にもなって?」 ボクが黙ってしまったので、言い過ぎたとばかりに、アドニが顔をしかめた。 「まあ、なんだ、そういうこともある。すまん、無粋だったな。着替え買ってくるから、ちょっと待ってろ。」 さっと部屋を出て行った。ボクは、ぎゅっと自分の服を握った。なんだろうか、顔が異様に熱い。以前、傷口が膿んで、高熱が出た時と同じような熱さを感じた。 アドニはすぐに帰ってきた。どさださとボクの上に、着替えを落とす。 「どうせなら、その血生臭い服も着替えちまえ。」 ボクはコクリと頷く。ボクは濡れたパンツを脱ぎ、着替えた。生臭い。こんなものが自分から出てくるとは思わなかった。ボクが着替えている間、アドニはそっぽを向いて、煙草をふかしていた。 ややあって、着替え終わった。アドニが買ってきた服は、黒いシャツとズボンで、ボクには少し大きかった。 すると、アドニがぽんとボクの肩に手を置いた。 「まあ、なんだ。お前がちゃんと人間だって、証明されたな。これで大人の仲間入りだ。おめでとう。」 「……。よく分かりませんが、どうも…。」 「お、ちょっと表情らしいもんが見えたじゃないか。その調子、その調子。」 アドニがボクに微笑んだ。一瞬、夢がフラッシュバックし、落ち着かなくなった。 ボクは、さっと視線を逸らすと、アドニが不思議そうに、ボクを見た。 「なんだよ、どうした?」 ボクが何でもないというように、首を横に振った。アドニは首をかしげたが、それ以上は話を続けなかった。 アドニが買ってきた、ぼそぼそとしたパンをミルクで流し込み、出発した。 今日はよく晴れており、寒さも昨日よりは大分、和らいでいた。それでも、防寒着を着ていなければ、凍える。 街を抜けて、荒野を進む。やがて、塔のような岩がいくつも地面から生えた場所にたどり着いた。 ボクは、前を歩くアドニの背中を眺めた。昨日までは、何も感じなかったのに、今はおかしな気持ちの高揚を感じた。胸の奥が熱くて苦しい。 アドニはボクが隣に来ていないのに気づくと立ち止まり、ボクのペースに合わせた。 「お前さ、これから行く国がどこにあるか知らないだろ?」 「…大陸の中心にあるとだけ、聞いています。」 「ああ、そうだ。今いる地点が大体、大陸の西に位置するから、もし歩いて行こうとするなら、まあ、半年はかかるな。」 ボクは、アドニが何が言いたいのか、理解できない。アドニは、ぽっかりと開いた洞窟の前で止まると、声を張り上げた。 「ここら辺かな。フロム!俺だ!アドニだ。繋げてくれ。」 すると、急に金属が擦れるようなキーンという音が響き渡った。ボクは、その異様な音に、腰の刀に手を伸ばす。アドニは慣れた調子で、煙草をくゆらせていた。 洞窟の穴を埋めるように、銀色の水のような物が広がっていき、あっという間に、人が1人くぐれるほどの大きさになった。異様な光景に、目を見張った。 アドニは、煙草を消すと、ボクに手を差し伸べた。 「これから先は地獄だ。だが、俺はお前を連れて帰らなければならない。いつかお前は俺を恨むかもな。それでも、俺と共に歩んでくれるか?」 ボクは、なぜ、そんなことを尋ねるのか、理解できなかった。その手を取るという選択肢以外ないと思い込んでいた。 ボクが、アドニの手を握ると、アドニは満足そうに笑った。その手のひらの温かさは忘れられない。 ボクがこの太陽のような笑顔を手に入れるのは、ずっと遠く、幾千の血と涙と絶望の果てだ。 それでも、ボクは足掻き続ける。 いつか終わる、その時まで。 〈二話〉 銀色の道を抜けると、真っ赤な部屋に繋がっていた。天井から床まで全てが真っ赤に染まっていた。一瞬、血かと思い警戒するが、ただの装飾だった。 ボクの目の前の壁には、大きな竜が描かれており、その足元に玉座が鎮座していた。金と宝石で飾られた煌びやか玉座だ。 ボクは、自分が瞬間移動したことに、今気づく。おそらく、ここは竜の国の王都だ。 玉座の横には屈強な兵士が立ち、鋭い眼光でこちらを睨んでいた。図体がでかいばかりで、何の役にも立たない木偶の坊だと分かった。それよりも、2階の細くなった通路の上に立ち、こちらを見ている人間たちの方が警戒すべき対象だ。 アドニは、ボクを引っ張り、玉座の前まで連れて行った。 兵士が鋭い声で「止まれ」と命令した。アドニは、言われた通りに、止まってひざまずく。そして、ボクにも同じようにするように言った。ボクは黙って従う。 ややあって、玉座の後ろの扉が開き、人が姿を現した。 整えられた金髪に、青い瞳を持つ、アドニと同い年くらいの青年だった。王冠は被っておらず、真っ赤な軍服に、いくつも勲章を付けていた。ボクは一目で、この青年が王であると分かった。 その後ろから、王に続いて、長い黒髪に、黒い瞳を持つ、年齢不詳の女が入ってきた。真っ黒なドレスに身を包み、まるでおとぎ話に出てくる魔女のような姿だ。 竜の国の王は、ドカッと玉座に腰かけた。 「面を上げよ。」 低い声命じた。ボクが顔を上げると、王はニヤッと不気味な笑みを浮かべた。 「これが、最強の人形か?思ったよりも随分と可愛いらしいじゃないか。名は何と言うんだ?」 「ベオグラード・ファセスと申します。」 ボクが名乗ると、竜王はぴくっと頬を痙攣させ、ボクを上から下まで眺めた。 「ファセス…。貴様、出身はどこだ?」 「…ボクは孤児なので、分かりません。何か問題でもありましたか。」 「いや、何、聞いたことがあるような気がしただけだ。歓迎しよう人形。貴様には、ここにいる宝石以上の活躍を期待するぞ。」 そう言われて、ボクは改めて、周りを見渡した。隣でひざまずいているアドニの他にも、明らかに一般人とは雰囲気が違う者たちがいた。老若男女の能力者が、ボクに注目していた。だが、ボクには心底どうでもいいことだった。仕事は変わらない。 王は大きく欠伸をし、隣に立つ女に命じた。 「クモ、この人形にも、蜘蛛を入れておけ。」 クモと呼ばれた女が頷き、玉座を下りて、こちらに歩いて来た。アドニが、ほんの少し顔をしかめる。ボクは、その表情の変化を見逃さなかった。 クモは、ボクの頭の上に手をかざし、小さくうなるように呪文を呟く。すると、クモの手が黒い光を放ち始めた。その禍々しい黒い光がボクに触れる瞬間、ばちっという音がして、クモの手がはじかれた。見ると、手が真っ黒く焦げていた。 誰もがあっけに取られているのが分かった。クモは己の焦げた手をまじまじと見つめ、それから、ボクをじろりと睨んだ。 「…貴様、何をした?」 「特に何もしていませんが。」 ボクの答えに、クモは信じられないというように、目を見開いた。 「そんなはずはない。これは魔術だ。貴様、何者だ?」 「…ボクの父にお尋ねになった方が良いかと思います。ボクは自分が何者か、知りません。」 これ以上聞いても無駄だと判断したようで、クモが王を顧みた。 「申し訳ございません。私の術は、この者には通じないようです。陛下、どうか竜の力でこの者を縛ってはいただけないでしょうか?」 王の表情に、一瞬、動揺が走った。その動揺の意味は、よく分からないが、痛いところをつかれたとも読めた。 ほんの数秒、考える素振りを見せたが、すぐに平常通りの表情に戻った。 「良かろう。人形、こちらに来い。」 ボクは言われた通りに、玉座の前まで言った。王にひざまずくように言われたので、片足を床につけ、首を垂れる。すると、王がボクの肩に触れて、呟いた。 「我が名は竜、ヴォルガ・ブライト。我が盟約に従い、彼の者を縛り給え。」 神々しい光が輝き、身体に変化があるのかと思ったが、何も起こらない。ボクは、ちらっと王を盗み見た。何も言うなというように、ボクを睨みつけていた。ボクは、小さく頷く。 王はボクの肩から手を離すと、全員に聞こえるように声を張り上げた。 「これで、我々も次の段取りに進める。一刻も早く、レイト人を駆逐できるように励め。」 全員が頷いた。結局、ボクはまた人殺しの道具として使われる。それが、人形として、あるべき姿だ。だが、アドニの浮かない顔が、なぜか気になった。 王が部屋を出ると、2階の細い通路から、ボクを見降ろしていた者たちが下りてきた。 最年少らしき、金髪翠目の少年が、興味津々でボクを見上げた。 「へー、人形って、本当に表情がないんだね!噂通りだ!ねぇねぇ、今までどんな生活してたの?」 見た目は可愛いが、身体から血の匂いがした。最も危険な存在だと理解する。よく見ると翠色の瞳がキラキラと輝いていた。 ボクが答えないので、少年の声に苛立ちが混じった。 「何?口きけないの?さっきまで、王様に返事してたじゃん。答えろよ。」 その瞬間、空気が軋み、ボクの首がきりきりと潰れ始めた。まるで、大きな手に握り潰されているような感覚。痛みで顔を少ししかめた。だが、ボクにとって、ここで殺されようが、どうでもいいことだった。 「フォレス…!てめぇ、いい加減にしろよ…!」 恐ろしい形相でアドニが怒鳴り、少年の首元をねじりあげた。少年―フォレスが、酷く驚いた顔でアドニを見つめた。 「急に、どうしたの?驚いたなぁ。そんな怖い顔しないでよ。ちょっと、からかっただけじゃん。」 その言葉を合図に、首にかかっていた力が抜けた。ボクはぺっと血の混じった唾を吐き、首を擦った。 アドニはパッとフォレスを離すと、ボクの頬に手を当てて、心配そうにのぞき込んだ。 「ベオ、大丈夫か?変に痛いところはないか?」 「…大丈夫です。」 「そうか…。良かった…。」 安堵の色を浮かべた。そして、キッとフォレスを睨んだ。 「遊びでやって良いことと、悪いことがある。2度とするな!」 「はいはい、分かりましたよ。そんな必死になって、馬鹿みたい。」 明らかに気分を害したように、フォレスが頬を膨らませ、ボクをじろりと睨んだ。 「何か知らないけど、アドニに気に入られてよかったねぇ、人形。せいぜい、役に立って死んでよね。」 ボクがコクリと頷くと、ニヤッと不気味な笑みを浮かべて、鼻歌交じりに部屋を出て行った。他の宝石たちも、皆、散り散りになって去っていく。残ったのは、アドニと、最年長らしき灰色の髪をした男だけだった。ゆっくりとした所作だが無駄がなく、研ぎ澄まされた雰囲気を持ていた。 男はやれやれと首を振り、ボクに笑いかけた。 「嬢ちゃんも、貧乏くじ引いたなぁ。可哀想に。まあ、頑張ってくれ。俺はフロムってんだ、よろしくな。」 男―フロムがボクに言った。ボクは、訂正すべきかと思って口を開いた。 「ボクは男です。」 「…嘘だろ?」 「いや、こいつは男だ。髪が長いから、最初はそう見えるが、よく見ると男っぽい顔してるんだぜ。」 アドニがボクの頭に顎を乗せて、ニッと笑った。フロムは、ボクとアドニを見比べて、「ふうん」と曖昧に返事をした。 「まあ、何であれ、味方が増えるのはありがたいことだ。宝石連中は、なかなか癖が強い奴ばかりだから、あんまり刺激しないでおけよ。」 ひらひらと手を振り、フロムが歩いて行った。全員がいなくなった途端、アドニが、安堵の息を漏らした。 「良かった…。何とかなったな…。始終、冷や冷やしっぱなしだったぜ…。首は本当に大丈夫か?フォレスの野郎、加減ってものを知らないからな…。」 ボクが頷くと、ボクの髪をくしゃくしゃと撫でた。 「そうかそうか、お前が丈夫で良かったよ。はれて俺たちは仲間だな。これから、よろしく、ベオ。」 見上げると嬉しそうに、頬を緩めていた。ボクは、その表情を見ると、どうも気持ちが落ち着かなくなるので、さっと目を伏せた。 * ボクは、アドニに連れられて、城の中の庭を歩いていた。寒々とした木々は、凍りつき、足元には雪が積もっていた。 吐く息は白く、寒さで顔が痛む。隣を歩くアドニも寒そうに、首を縮めていた。 「うー、今日は特に冷えるな…。お前、こんなに寒くても、顔色一つ変えないのな。そこまでいくと、ある意味尊敬するぜ…。」 「寒さには慣れているので。」 「へぇ、でも、寒いもんは寒いんだろ?」 そう言って、冷えた手をボクの首の後ろにぴたりとつけた。ボクがビクッと反応して、手を払いのけると、アドニが面白そうにニヤッと笑った。 「やっぱり寒いもんは寒いじゃねぇか。」 「…正確には冷たいですが。」 「はは、その通りだ。その迷惑そうな顔を見れて、俺は満足だよ。」 ほんの少し表情に出てしまったのを目ざとく見つけられて、たじろぐ。 アドニは目を細め、口に煙草をくわえると、火をつけた。 「もっと表情があって然るべきだと俺は思うぜ。そんなに隠そうとするな。人間なんだからさ。」 煙を吐き、穏やかに微笑んだ。ボクは、何と答えたら良いか分からず、目を伏せた。相変わらず、変なことを言う人だ。 ボクが答えないので、アドニは前を向いて、黙って煙草を吸った。 しばらく、物も言わずに歩いていると、目の前の城壁の扉が開き、わらわらと兵士の集団が入ってきた。アドニがボクの手を引き、彼らに道を譲る。兵士はちらりとボクたちを見たが、特に礼も言わずに通り過ぎていった。 その後ろを、手錠を付けられた捕虜たちがよろよろと続いた。その姿を見て、アドニの顔に憎悪が浮かぶ。 「…レイト人が。」 低く呟いた。その言葉で、彼らがボクの敵だと理解した。見た目は、ボクたちとほとんど同じだ。だが、髪や瞳の色が、青や紫、赤と色鮮やかで、明らかに普通の人間とは異なると分かった。 彼らはこの寒空、戦闘で負傷したのか、血だらけでボロボロの服を着ていた。寒さで顔が青く、今にも死んでしまいそうなほど、弱々しい。中にはぽろぽろと涙を流しているものもいた。 彼らの未来に待つのは、死だけだ。ボクには、それが嫌と言うほど分かった。だが、捕まるようなへまをするのが悪い。 一行が通り過ぎると、アドニが煙草の吸殻を捨てて、歩き出した。吸殻は、一瞬で燃え上がり、炭になって地面に落ちた。 「今のがレイト人、俺たちの敵だ。ああやって弱々しく見せているが…、実際は卑怯な連中だ。…見てるだけで気分が悪い。」 アドニの顔が歪んだ。普段のボクなら、心底どうでもいいと切り捨てるはずだが、何だか気になった。 「彼らはただの弱者にしか見えませんが、一体、あなたに何をしたんですか。」 ボクの質問に、アドニが口を一文字に結んだ。ややあって、苦々しい表情を浮かべた。 「…俺の家族を殺しやがったんだ。セルシンは元々、政治家一族なんだ。俺の親父はレイト人を擁護していたのに…、馬鹿なレイト人が親父もお袋も妹も全員殺して、吊し上げたんだ。しかも、お袋と妹は強姦されてた。」 アドニは苦しそうに、ぐっと拳を握った。 「どうして、何の罪もない人間に罰を与えたのか、俺は神を呪ったよ。そして、レイト人もな。それから、俺は復讐の為に、宝石になった。愚かだと罵ってくれていいぜ。お前には、真っ当な道を行けと言いながら、俺は自ら汚れにいったんだからな。」 アドニが己を卑下し、乾いた笑みを浮かべた。さっきまで、無邪気にボクにちょっかいを出していたのに、今は見る影もない。ボクは、こんなに感情の幅が広い人を見たことがなかった。これが人間らしいというのだろう。 ボクは黙ってやり過ごすことができなかった。気づいた時には、口火を切っていた。 「…どうでもいいことです。あなたが何を思っていようと、ボクには関係ないし、その行いが愚かかどうか、ボクには判断できません。」 ボクの答えはおそらく間違っていたが、アドニはボクを責めることなく、ただ頷いた。 「そうかい。まあ、それもそうか。」 そこで、アドニがおもむろに立ち止まり、目の前の建物を指さした。 「ここが、俺たち宝石の宿所兼仕事場だ。場所は覚えたか?そうか、それならいい。すっかり冷えちまったな。俺の部屋で温まろうぜ。」                     建物の中は冷え冷えとしており、どんよりとした暗い雰囲気が漂っていた。ボクたちは、靴についた雪を払い、階段を上った。 元は貴族の邸宅だろうか。床も天井もすべてが大理石でできており、煌びやか装飾が施されていた。さらに、階段の踊り場には肖像画が飾れていた。全員金髪で、違いと言ったら瞳の色だけだ。 三階まで上ったところで、アドニが廊下を進み、角の部屋に入った。そこは、今までの装飾を見た後では、質素に思えるほど、何も無い部屋だった。大きな窓の両脇にベッドが1つずつ置かれ、その真ん中に丸いテーブルとソファが置かれていた。さらに、テーブルの上には、灰皿が乗っており、既に溢れんばかりに吸い殻が積みあがっていた。 アドニは、壁に埋め込まれた暖炉の前に行くと、薪を無造作に数本放り投げて、手をかざした。すると、急に薪がぱちぱちと音を立てて、燃え上がった。 「今、火を入れたばかりだから、ちと暖まるまで待ってくれ。」 「はあ、やれやれ」とアドニがソファに腰掛けて、煙草を吸い始めた。ボクは、どこにいればいいのか分からず、立ち尽くす。すると、アドニが手招きした。 「どうした?こっち来いよ。」 ボクが言う通りに隣に腰かけると、アドニは吸いかけの煙草を灰皿に置き、ボクをひょいっと持ち上げて、股の間に座らせた。ボクは、何が起こったのか分からず、固まった。アドニは、自身のコートを広げて、ボクを包んだ。 アドニの心臓の音が背中越しに伝わってきた。ボクは、自分が激しく動揺していることに気づいた。 アドニがボクの頭に顎を乗せた。 「寒いからさ、しばらく、湯たんぽになってくれよ。」 ボクがコクリと頷くと、鼻歌交じりに、煙草を吸い始めた。ボクに灰が落ちないように、配慮しながら吸ってくれているようで、灰を被ることは無かった。 煙草の臭いが、ボクを包んだ。アドニの身体の臭いと同じで、何だか落ち着いた。 アドニは、灰皿に煙草を押しつけて消すと、ボクをぎゅっと抱きしめた。アドニの唇がボクの首に当たって、ビクッと反応してしまう。 「お前、本当にあったかいな。って何だよ。首が熱いぜ?どうした。」 「いえ…、何でもないです。」 自分の顔がまた熱くなるのを感じて、これ以上はまずいと立ち上がった。 「部屋も温まりましたし、もういいですか。」 「ああ、ありがとな。」 背中越しに礼を言われて、ボクは振り返ることなく、部屋を出た。真っ赤になった顔を見られたくない。かといって、どこに行けばいいのか分からない。 しばらく、部屋の前で立ち尽くし、グラグラと揺れた感情が落ち着くのを待って、部屋に戻った。 * 「ねぇ、いいじゃない。」 女の甘い囁き声で目が覚めた。ボクは、薄っすら目を開く。 反対側のベッドに、女が腰掛けて、寝ているアドニの髪を撫でていた。栗色の長い髪を持つ、妙齢の女だ。ボクは、その女の顔に見覚えがあった。しばらく考えて、宝石の一人だと気づく。 アドニは明らかに迷惑そうに、顔をしかめていた。 「嫌だね。お断りだ。そこに、ベオが寝てるのが分かんねぇのかよ?」 「大丈夫よ、お子さまは寝ているわ。それに、あなた、恋人と別れたんでしょ?また、前みたいに相手をしてよ。」 「…何でニコシアが知ってんだ。」 「相手から聞いたのよ。付き合っても、その先が全然、面白くないって言ってたわよ?誰にでもニコニコして、特別扱いしないらしいじゃないの。来るもの拒まずなくせして、実際は少しも相手を知ろうとしないんでしょう?それじゃあ、飽きられても仕方ないわね。」 女―ニコシアに指摘されて、アドニが黙り込んだ。ニコシアが、面白そうに微笑んだ。 「図星のようね?だからね、いいじゃない。私はそんな面倒くさいこと言わないわよ?」 「…嫌だ。気分じゃねぇ。」 「あら、珍しいわね。言い寄られたら、誰とでも関係を持つくせに、何か心情の変化でもあったの?」 「…別に、誰とでも寝てるわけじゃないぜ。」 アドニはニコシアの手を払い、布団に潜り込んだ。ニコシアは、恐ろしい程、冷酷な表情になって、布団を剥ぐ。 「へぇ、そう。誰なら手を出さないのか、教えてほしいわね。」 「寒いから布団返せ。」 「答えたら、返してあげるわ。」 「…ただ単に、法律は守ってるって話だよ。ガキには手を出さない。最低でも18歳以上じゃねぇとな。答えたんだから、さっさと布団返して、出ていけ。」 アドニがニコシアの手から布団を奪おうと、上半身を起こして手を伸ばした。だが、その前にニコシアが、微笑を浮かべて、アドニの顔に顔を近づけた。 「もっと面白いこと言うかと期待していたけど、残念ね。あなたを無理やり操ったら、どんな顔をするのか見てみたくなったわ。」 ニコシアがニコッと笑うと、アドニの顔に恐怖が広がった。 「ま、待て…。それだけは勘弁してくれ…。」 「嫌よ。ねぇ、アドニ、私を楽しませて。これは命令よ。」 ニコシアの紫色の瞳がキラリと輝く。すると、アドニが苦悶の表情を浮かべて、ニコシアに顔を寄せて、キスし始めた。 舌を絡めて、激しく口づけした。互いの表情がぼうっと熱を持ち始めたところで、アドニがニコシアの首に唇を添わせて、押し倒した。胸元を開き、乳房をくわえるように舐める。 「あっ」とニコシアが小さく叫び、快楽に表情を歪めた。吐息が部屋に響く。 まるで、野獣だ。唸り声とも、叫び声ともつかない声が小さく聞こえた。 アドニは乳房から口を離すと、もう一度、唇にキスし、ゆっくりと下半身に手を伸ばした。 ボクはそれ以上見ていられず、ぎゅっと目を閉じた。だが、目を閉じても、音だけは防げない。 ニコシアの高い声が、一段と大きくなった。何をしているのか、ボクには分かった。アドニの吐息も聞こえた。 ギシギシとベッドが軋む。 ボクはなぜか、心臓が痛くて仕方がなかった。耳も目も全てをそぎ落としたい。そんな衝動にかられた。 下半身が熱を持って熱い。それに、頭が上手く動かない。ただ、声を聞いているだけなのに、どうして身体が反応するのか分からなかった。 一体、どのくらい続いたのだろうか。ひどく長かったように感じたが、実際は1時間程度だった。 アドニが小さな声で悪態をついた。 「てめぇ…、よくもやりやがったな…。くそ、吐きそうだ。」 「その割に、お楽しみだったじゃない。最近、してなかったんでしょ?」 「ちっ。何が楽しんでた、だ。てめぇのそれは、己の意志関係なく、無理やりさせるもんだろ?」 「そうね。せっかく神様から授けられた力だもの。上手く使わないとね?」 ニコシアが口角をあげて、アドニの髪を撫でた。 「いやいやしている顔も、とっても可愛いわね。これから、毎回、力を使おうかしら。」 「…止めてくれ。俺は…、もし、ベオが起きてたら、と思うだけで…、死にたくて仕方ない。」 「あら、変なこと言うのね。それなら、確かめてあげるわ。」 そう言って、ニコシアがボクに近づいてきた。ボクは絶対に起きていると悟らせないように、寝たふりをした。今まで、何度も仲間や父を欺く為に、狸寝入りしてきたので、ニコシアが触れる頃には、本当に寝ているようにすうすうと寝息を立てた。 「良く寝てるわよ。良かったじゃない。」 「そうか…。もう、満足だろ?出ていけ。」 「分かったわよ。本当に、つれない人ね。おやすみなさい、アドニ。」 ちゅっとニコシアがアドニにキスして、部屋を出て行った。 ボクはほっとして、薄っすら瞳を開いた。 アドニには、大きくため息をつき、煙草に火をつけた。部屋の臭いが煙草によって、薄まった。 「何で俺は、こうも…。くそ、だめだ。考えるな。どうしたって、もう逃げられやしないんだ…。」 アドニが頭を抱えた。その胸元を見て、ボクはぞっとした。大きな蜘蛛の刺青が右胸に描かれ、今にもアドニの首に食らいつかんとしていた。 アドニは苦々しい表情で、煙草を吸っていた。いつもよりもずっと早く煙草が短くなる。 煙草を灰皿に擦り付けると立ち上がり、ボクの方に歩いて来た。ボクは瞳を閉じた。アドニは、ボクの顔の前に座ると、そっとボクの額に口づけをし、髪を撫でた。 「お前だけは…、どうか幸せになってくれ…。」 そう言って、離れていった。 ボクは何だか、苦しくて、涙が出そうになった。この感情の名前はよく分からないが、ボクの中で何か大きな変化があったことだけは分かった。 〈三話〉 ボクはこの1ヶ月で、竜の国の情勢を理解した。 竜の国は代々、ブライトと名乗る金髪の一族が竜の力を使い、支配していた。そのブライト一族は、権力争いで何度も身内同士で殺し合い、ほとんど血が絶えていた。 現王のヴォルガも父と母と弟を殺し、王国を手に入れた。さらに領土を増やすために、周辺諸国を侵略している。その一環がレイト人の虐殺というわけだ。 今は、丁度、一番寒さが厳しい時期で停戦中らしく、戦いに出ることは無かったが、捕虜として捕まえたレイト人から、敵の情報を得た。 レイト人の長の名前は―イズミル。 緑髪金目の青年で、隣にヤレンという名の部下を連れている。恐ろしくて強力な力を持ち、劣勢だったレイト人をまとめ上げて、3年も持ちこたえさせている強者だ。そして、アドニの家族を殺したとも言われている。 ボクは、敵の情報だけでなく、味方についても情報を得ていた。王の武器―宝石はその名の通り、瞳がキラキラと宝石のように輝く能力者たちで、1人1人個性が強く、集団には向かない人々だった。 ボクは、基本的にアドニの部屋で過ごし、できるだけ宝石との接触を避けた。どうでもいいことで、ボクを殺そうとしたり、貶めようとしてきたりし、アドニの頭痛の種になっていたからだ。 ボクに攻撃をしてくるのは、フォレスとニコシア、それからニコシアの腰巾着のリニー=アンという赤毛の少女だ。このリニー=アンは無邪気に、ボクを殺そうとしてくるので、その度に危うく殺してしまいそうになった。 ボクは、戦いのない平和な日常に、少しずつだが心を凍りつかせていた氷が溶けていくのを感じていた。今まで、睡眠時間はほとんどなく、起きている間はひたすら人間を殺していた。 思考を奪い、人形として生きていた日々が徐々に過去になり、ボクという自我がしっかりと根を下ろし始めていた。 「ベオ、起きてるか?」 アドニに声をかけられて、ボクは瞳を開く。珍しく宝石の制服を着たアドニが、ボクを見降ろしていた。宝石の制服は、1人1人に合わせて作られた特注品で、アドニの場合はベースは黒で、ところどころに黄色のラインが入ったスーツだ。 「はい。起きています。」 「おはよう。起き抜けで悪いんだが、王から徴集されたぜ。そこの服に着替えてくれ。」 アドニが、指さした先には、ボクが人形の頃に来ていた戦闘服によく似た黒い服が置いてあった。 ボクが着替え終わると、しっかり防寒着を着込み、外に出た。 今日は、どんよりと曇っていて、恐ろしく寒い。ちらちらと灰色の空から雪がちらつき始めていた。 「さむ!こんなクソ寒い日に、何の用だろうな…。ああ、面倒だ。」 アドニが、ぶつくさと文句を口にした。 ボクはマフラーをぐいっと口元まで上げて、アドニを見上げた。耳まで真っ赤になっていた。 アドニは話すのも寒いと口をつぐみ、黙々と歩いた。王の住処は、庭を抜けた先にそびえる塔の最上階にあるが、宝石の宿舎から歩いて、20分ほどかかる。 塔につくころには、芯から冷え切っていた。 歯をガチガチと鳴らして、塔の中に入ると、中は不思議と暖かく、ボクはマフラーを下げた。 アドニはボクの頭についた雪を払い、それから、自身の雪を払った。 すると、頭上から聞き覚えのある声が響いた。 「よお、アドニ、坊主。早かったな。」 「ああ、まあな。まだ、誰も来てないのか?」 「朝早いしな。おれが一番乗りだ。待ってる間、茶でも飲もうと思って、丁度淹れたところだ。寒かったろう、あがっておいで。」 そう言われて、ボクたちは階段を上った。フロムのいる階は、ちょっとした休憩場所になっており、大きな木のテーブルと、それを囲むようにソファが置かれていた。 既に、温かい飲み物とちょっとした菓子が用意されていた。 「おれが淹れたんで、味は普通だが…。まあ、期待せず飲んでくれよ。」 「何言ってんだよ。助かる。何も食ってなかったから、腹ペコだしな。ありがたくもらうぜ。」 アドニがニコニコしながら、ソファに座り、菓子をつまむ。ボクもフロムにペコっとお辞儀して、菓子を頬張った。 甘い。 ボクがもむもむと無表情で菓子を食べているのを、フロムとアドニが微笑ましいと眺めた。 「初めて会った時に比べると、大分、表情が柔らかくなったんじゃないか?」 「あー、そうかもな。だが、まだ、喜怒哀楽が出ないんだ。もうちょっとだと思うんだがな…。」 注目されて、ボクは居心地の悪さを感じた。今まで、他人に興味を持たれたこがなく、どんな風に反応すればいいのか分からない。 とりあえず、もう一個、違う種類の菓子をとり、食べた。この菓子という食べ物は、今まで食べたどんなものよりも、甘くて美味しい。食べているだけで、何だか満ち足りた気分にさせるから不思議だ。 アドニとフロムの他愛ない会話を聞きながら、ボクは、この日々がずっと続けばよいのにと思った。 宝石たちが集まり始めたところで、ボクの心地の良い時間は終わった。 我関せずと視線すら投げてこない者、明らかに敵意を持ってボクを見ている者。ここは蛇の巣だ。ひとたび誤れば、首を噛み切られてしまう。 全員、揃ったところで、玉座の間に入った。 まだ、王は来ておらず、兵士たちが鋭い眼光で宝石を監視していた。皆、気だるそうに王の到着を待つ。ボクは、ぼうっと空を見つめていた。何が起きようとも、些細なことだ。心底、どうでもいい。 兵士に緊張が走った。王が到着したようだ。玉座の後ろの扉が開き、王が姿を現した。 まるで、新しい玩具を手に入れた子どものように、らんらんと瞳を輝かせていた。玉座に腰かけると、声を張り上げた。 「よく来た、宝石たちよ。これから、お前たちに任務を与える。説明は、クモ、お前がしろ。」 「御意のままに。」 いつの間にか、クモがボクたちのすぐそばに立っていた。クモは右手を前に突き出して、小さくうなるように呪文を呟く。すると、大理石の地面から、絵が浮かびあがった。それは、この国の大陸の地図だった。その大陸の中心、大きな湖の下の赤く染まった地点が、今、ボクたちがいる王都だと分かった。 そして、もう一点、黒く色が付いている場所があった。そこは、王都から東に数百キロ離れた砂漠のオアシスだった。 クモが、低い声で説明した。 「我々の密偵が、敵の居場所を特定した。この黒く染まっている場所に、拠点を作り、こちらに攻撃しようと準備を始めている。レイトの長、イズミルもいるようだ。奴らを今ここで叩ければ、次の戦いでの戦況は大きく変わるだろう。」 イズミルの名前で、アドニがぐっと拳を握った。 「そこで、ここに集った宝石7名と精鋭20名で、これより奇襲をかける。異議のある者はいるか?」 クモが皆を見渡す。もちろん、誰も反対する者はいなかった。 王がニヤッと笑い、兵士たちを鼓舞した。 「此度の作戦で、イズミルを殺せたものには、褒美をとらせよう。期待しているぞ。」 わぁっと兵士たちが威勢の良い声を上げる。一方、宝石たちは誰1人何も言わない。 ふと隣のアドニを見上げると、アドニは何だか少し青い顔をしていた。ボクが見ているのに気づき、無理して笑って見せた。 「どうした?不安になったのか?」 「いえ、違います。ボクは戦闘において、負けたことはありませんし、不安はありません。」 「そうかい。それは頼もしいな。だが、無理して人を殺す必要はないんだぜ。動けないようにすればいい。」 「ボクは、無理していません。」 「どうだか。お前自身が気づいていないだけで、お前は人を傷つけることに、罪悪感を覚えるタイプだと、俺は思うぜ。だけど、それを押し殺して、感情を殺さないと生きていけなかったから、今、そんなに感情が希薄になっちまってるんだ。いい加減、お前は、自分の気持ちを大切にしていいと思うんだがな…。こればかりは、自覚しないと難しい。」 アドニが寂しそうに微笑んだ。ボクには、その意味がはっきりとは分からなかったが、それでも、アドニの気持ちに答えたいと思った。 そうすれば、今、アドニに感じている感情をいつか伝えることができるかもしれない。 * フロムが銀色の道を扉に作った。初めて見た時から異様な空間だと思っていたが、フロムの繋げる能力によって、どんな場所にも通じる抜け穴を作ることができる。 人1人は余裕で通ることができるほどの大きさになると、フロムは疲れたと言わんばかりにため息をついた。 「こんなもんでいいか?全員、あちら側に抜けたら、一旦、閉じるんで、何かあれば呼んでくれ。ただし、簡単に呼ぶんじゃねぇぞ。緊急事態に、素早く動けねぇからよ。」 ぼりぼりと気だるそうに、頭を掻き、忠告したからなと全員を見た。 兵士たちは、ゴクリと唾を飲み、恐る恐る銀色の道に入って行った。その様子を可笑しそうに、宝石たちが眺めていた。 甲冑に身を包み、腰に剣を吊っている兵士たちと比べ、宝石は皆、軽装だ。武器を持っている者さえいない。 ボクは、腰の刀にそっと手を添えた。ボクの武器はこれだけ。だが、この刀一本で、どんな戦場も戦ってきた。ボクは負けたことがない。それが自負であり、弱点でもある。 兵士たちに続き、宝石も銀色の道に入っていった。ボクは、一度、深く息を吐き、それから、銀色の道に足を踏み入れた。 たった一本踏み出しただけで、風景ががらりと変わった。さっきまで、赤い玉座の間にいたのに、今は砂漠の真ん中にポツリと立っている。見上げれば、乾いた冬の青空が広がり、足元には砂が広がっていた。 本当に一瞬で移動してしまった。何度見ても慣れない。 「おっと、ベオ、そんなところで立ち止まるなよ。邪魔になってるぜ。」 後ろから出てきたアドニが、ボクの背中を押した。ボクはコクリと頷き、入口から距離をとった。 全員が砂漠に移動すると、銀色の道が萎んでいき、跡形もなく消え去った。 兵士も宝石も物も言わず、歩き出した。目的のオアシスは、ここから歩いて30分ほどある。出発する前に、作戦は伝えられていたので、個々がそれ通りに動けばよいだけだ。 兵士たちは緊張した面持ちだったが、宝石たちはまるで、遠足にでも来ているかのような表情だ。 アドニは、煙草をくわえて、火をつけると、他の宝石よりも幾分かゆっくり歩いた。ボクも真似して、ほんの少し速度を緩める。徐々に距離をとると、ふうと煙を吐いた。 「面倒な仕事だな。お前は適当に、そこら辺のレイト人を無力化しておけばいい。頭を狩るのは俺たちの仕事だ。」 「…でも、それでは、ボクのいる意味がないです。ボクは人形ですから、どんな仕事でもします。どうぞ、上手に使ってください。」 「お前なぁ。そういうこと、言うなよ…。この世に意味のあるもんなんて、ほとんどないと思うぜ。いつかは死んでいくんだ。意味なんて考えずに、やりたいか、やりたくないか、それだけ考えとけよ。」 ぽんとボクの肩を叩く。ボクは、どうにも返事ができず、黙り込んだ。やりたいことなんて、あるわけがない。この世すべて、やりたくないことばかりだ。 黙々と歩いているうちに、目的地が見え始めた。レイト人が住む街だ。 遠くから偵察する。これから、襲われるというのに、吞気に食事をとっていた。戦えそうな男の姿はなく、老人と女子供ばかりに見えた。 本当にここがレイト人の頭の隠れ家なのか疑ってしまいそうなほど、平和な時間が流れていた。 奇襲の基本は、敵に感づかれないこと。嫌というほど、ボクは知っていた。 全員が無言で頷き、配置についた。街のすべてを殲滅するために、三か所の入り口から一斉に突入し、皆殺しにする。こちら側が圧倒的に有利であるからこその作戦だ。 宝石2名、兵士6名の小隊に分れた。ボクは、アドニと同じ小隊になった。 アドニの力を見るのは、これが始めてだ。炎を操ること以外、ほとんど知らない。宝石の強さを知るには良い機会だ。 全員が配置についた。突入する。 街に一歩、踏み入れた瞬間、どすっと隣の兵士の胸元に矢が突き刺さった。厚い甲冑を容易に貫き、血が噴き出す。兵士は血を吐き、倒れた。 その瞬間、景色が歪み、家々は消え去り、ボクたちは入り組んだ迷路に迷い込んでいた。全員がうろたえる。 「な、何が…。ぎゃっ。」 ボクのすぐ後ろに立っていた兵士の頭に矢が刺さった。見上げれば、何百という矢がボクたちに降り注いでいた。逃げ場はない。誰もが終わったと思った瞬間、ごうっと炎が噴き出して、降り注ぐ矢を一瞬で燃やし尽くした。燃え残った灰が空からパラパラと落ちてきた。 隣を見ると、アドニの身体から炎が噴き出ていた。瞳の色がオレンジと赤を混ぜたような色に変わっていた。 「くそっ!罠だ!やられた!誘い出されたのは、こっちだったんだ!」 兵士たちの顔に絶望が広がった。まんまと策に嵌ってしまったと悟った時には、既に遅かった。どこにも逃げ場がない。ボクたちは、処刑場に誘い込まれてしまった。 誰もが打ちひしがれている中、アドニはまったく諦めていなかった。 「おいおい、お前ら、こんなところで死ぬつもりか!? 瞬間移動か、はたまた幻覚の類かは分からんが、これだけの術だ。術者の負担も相当なはずだ。長くはもたない。崩壊するまで、足搔き続ければなんとかなる。ほら、顔上げろ。」 兵士たちが驚いて、アドニを見上げた。アドニの表情に嘘はなかった。皆、その言葉に元気づけられて、立ち上がった。 ボクは、アドニの言葉を噓にしたくないと思った。どうしたって絶望的だが、諦めるにはまだ早い。 ボクは、覚悟を決めるとアドニの隣に並んだ。 「ボクは、人よりも敏感に空気を感じ取れます。後ろから付いてきてください。」 ボクがそんなことを言うとは思わなかったのか、アドニが驚いているのが分かった。だが、すぐに嬉しそうに二ッと笑って、ボクの背中をどんっと叩いた。 「…!ああ、頼んだぜ、ベオ!」 ボクが先頭を走り、それにアドニと残った兵士たちが続いた。 ひたすら、迷路を走った。ボクには、ここが何か歪な術がかけられていることが分かった。走れど、おそらく出口は無い。 徐々に後ろの兵士たちが疲れ始め、走る速度が遅くなった。それを狙って、矢が飛んできた。アドニの炎がそれを防ぎ、時には、ボクが矢を切り、懸命に足掻き続けた。 一体、どのくらい走り続けただろうか。ボクは風を感じて、方向を変えた。目の前に出口のような光が見えた。 兵士たちの顔に喜びが浮かぶ。 あと一歩、光の先にたどり着く。その時、四方八方から槍が飛び出して、ボクたちをくし刺しにした。 あっと思った時には遅く、ボクの心臓めがけて槍が飛んできた。だが、ボクの身体に刺さる前に、アドニがボクを突き飛ばし、顔から派手に転び、額を強かに打った。振り返ると兵士と共に、アドニが刺されていた。 身体の血の気が引いて行くのが分かった。一瞬、音が消えて、目の前が真っ白になった。 ボクの喉から悲鳴ともつかない声が出た。 「あああああああ。嘘だ。嘘だ!」 アドニに駆け寄った。アドニはぜいぜいと荒く呼吸をしていた。生きている。だが、刺された場所が悪い。おそらく、内臓をやられている。 周りの兵士は心臓を貫かれて、全員絶命していた。 アドニが苦しそうに呻く。腹部から血がだくだくと流れていた。 血が止まらない…。どうしたら…。 アドニは、参ったなと苦笑いした。 「最後の最後で…。本当についてないぜ、俺…。どうやら、トラップのようだ。2度目は来ない。今のうちに、逃げるんだ…。」 だが、ボクには、到底できなかった。ボクのミスだ。ボクが罠を見ぬけなかった。 ボクは今まで、たくさん殺したが、人を助けたことがない。どうしたらいいのか、まったく分からなかった。 服を裂き、傷に押し当ててみた。しかし、すぐに、布は真っ赤に染まり、ボクの指の間から、血がこぼれていく。 ボクには、どうすることもできない。ただ、アドニが死んでいくのを見ているしかない。 「どうして…、神様は、ボクにこんなに辛く当たるんですか?ボクは確かに、人殺しです。でも、それなら、ボクに罰を下せばいい。こんなの、こんなの、あんまりだ…。」 今まで、自分の中で蓋をしていた感情が溢れ出した。それは、悲しみだった。 瞳からぽたぽたと涙が落ち、アドニの顔を濡らした。アドニは、青白くなった顔で、ボクを見た。 「今日が…俺の…終わりの日なんだよ…。仕方…ない。運命は、そう簡単に変えられない。ベオ…、俺はもう…いいんだ。お前の…泣き顔が見れて、俺は…ちょっと安心したよ…。」 アドニが微笑む。ボクは、その表情を見て、やっと気づいた。 ボクにとって、アドニは… ―何にも代えがたい特別な人だと。 涙が溢れて止まらなかった。その涙がまるで、汚れを落とすように、周りの景色を霞ませていき、ボクたちはいつの間にか、オアシスの一角に座り込んでいた。 丁度、大通りの真ん中で、周りには誰もいない。この街はどうやら、元から廃墟だったようだ。 ボクが呆然と辺りを見まわしていると、民家の上から誰かが地面に降りて、歩いて来た。ボクはアドニを守るように、立ちふさがった。 それは、金髪碧眼の人間だった。
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