枝を手折り雪を払う

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 翌日の昼過ぎ、私は坂の上の道標の前で向かいの山を見入る。昨日まで残っていた赤が一段と減っている。昨日はとても寒かったので、一気に葉が落ちたのだろう。こちらの山も常緑樹以外は落葉し、森の中が随分と見通し良くなっていた。この分だと明日にでも雪が降り始めるかもしれない。  そっと村の方を見て、誰も私を見ていない事を確かめる。エミリーの話を聞いて、そのまま森の中に入るのは軽率であると考えた私は、山々の風景を見に行く振りをして、坂下の村から山に入るところを見られていないか確認することにした。元々友達がいなくて、山を眺めていることが多かったので、こうやってボーッとしていても、不思議がる人はいないだろう。 「今なら大丈夫ね。」  もう少しだけ冬景色になっていく山々を眺めていたかったけれど、のんびりしている訳にもいかない。  私は素早く猟師道へ進み、森の中に姿を消す。落ち葉が砕ける音を響かせながら駆け足であの子の元へ向かう。  いつもの大木の洞に、昨日と同じようにして座っている“それ”を見つけた時、安堵(あんど)から胸を撫で下ろした。 「誰も来なかった?」  周囲を見回しながら“それ”に近付く。この辺りも葉が落ちた木が多く、隠れにくくなってしまった。どんぐりを与え、“それ”が食事をしている間に隠れられる場所を探す。できれば猟師のおじさん達がいつも罠を仕掛けている場所とは反対の方向に見つけておきたい。そうすれば狩猟範囲が変わっても、この子が見つかる可能性を減らせるはずだ。 「崖に近い方が良いのかな・・・・・・。」  私は落ち葉に隠れて見えない地面を注意深く進み、向かいの山が見える切り立った崖の近くまで来た。下には麓の町の一部分だけが見える。雲がないので、視界のほとんどは青空が占めていた。 「うん、景色は良いね。」  この辺りで良さそうな場所がないか、ぐるりと見渡す。ちょうど私が景色を見ていた方向とは逆に、小さな洞の入口が見えた。岩が少なく、常緑樹が密集しているので、私が立っている場所以外からは、ぱっと見では穴を見つけることはできない。洞に近付き、先約がいないか注意しながら中を確かめる。 「入口は小さいけど、中は十分な広さがあるわ・・・・・・。」  熊のような大きな獣が冬眠用に掘った穴なのか、自然に出来たものなのかは分からないけれど、土の湿り気・酸化具合から一年以上前に開いた穴で、尚且つ獣の毛も落ちていないところを見ると、ここは暫く何にも使われず、放置されていたみたいだ。入り口は少し広げれば、あの子でも通れる大きさになるはず。  絶好の隠れ家を見つけ、意気揚々と“それ”の元へ戻ると、何故か“それ”は大木から随分離れた所に立っていた。明るい時間帯だったのと、草木が生い茂っている時期ではなかったため、すぐに見つけることは出来たけれど、何故急にこんなにも移動したのかわからなかった。 「どんぐりでも探しに行こうとしたのかな?」  どんぐりを手渡しながら、もう片方の手を引くと、“それ”は大人しく私の後を付いてきた。そのまま新しい洞へ導こうとするけれど、途中でするりと私の手から離れてしまう。私は再度手を(つな)ぎ歩き始めるが、暫くするとまた手を離してしまう。それでも根気良く手を繋ぎ直し、何とか洞まで“それ”を連れてくることが出来た。  洞の入り口を拾った枝で(つつ)き、この子が入れるほどの大きさに拡張する。後ろに(たたず)んでいた“それ”が新しい隠れ場所だと理解したのか、私が土を取り除いている途中でもう洞の中に入ってしまった。もぞもぞと動き回り、顔だけを外へ出して、私を見る。 「気に入った?」  私は数歩後ろに下がり、様子を見る。上手い具合に木の陰になり、真っ黒い身体の“それ”の姿を隠している。 「これなら大丈夫ね。」  居心地良さそうに腹這(はらば)いになる“それ”を見て、私も洞の中に入りたくなる。 「お邪魔しまーす。」  私は無理矢理“それ”の横に身体を入れ、同じように腹這いになる。“それ”は少しだけ身動(みじろ)ぎし、隙間を作ってくれる。でも、もしかすると、邪魔臭いと思われているかもしれない。そんな事を考えつつ、含み笑いをする。  穴の外へ目を向けると、そこから見える景色は思った以上に絶景だった。赤や黄色の落ち葉の絨毯(じゅうたん)の上に青空が広がり、遠くに見える向かいの山が白く霞んでいる。丸い穴の縁がまるで窓のようにその景色を切り取り、一枚の絵画を見ているようだ。冷たい風は入って来ず、隣にいる“それ”の体温で穴の中は暖かく、身体がポカポカする。  “それ”の頭を撫で、この子がここに慣れたことを確かめる。 「貴方はこんなに温かいのに、なんで悪魔なんて言うんだろうね。」  気持ち良さそうに目を閉じる“それ”に向かって、私は目を細めてお喋りをする。 「ここの景色も綺麗だけれど、坂の上から見る村の景色も綺麗なんだよ。」  “それ”は私の言葉には反応せず、私に撫でられるままになっている。 「秋には赤く色付いた、冬には雪を被った山脈をバックに、村の教会がステンドグラスを輝かせて建っているの。夜になれば月と星が見えて、その下に町の明かりがまるで水面(みなも)に映った星空のように広がっているのは、本当に綺麗よ。観光名所みたいに人が大勢集まる程の絶景ではないかもしれないけれど、私はあの景色が心の底から好きなの。」  手を止め、再び外の景気を見る。空が少し曇ってきたように見える。 「いつか、いつの日か、あの景色を一緒に見られたら良いのにね……。」  私はゆっくりと目を閉じ、坂の上に立つ私と“それ”を想像する。人目を気にせず、そんな事が出来たのならば、どんなに幸せな事だろう。私はそこでふとエミリーの事を思い出す。 「私ね、久しぶりに友達ができたの。エミリーっていう、私とは比べ物にならない程美人な友達が。」  エミリーならきっと“それ”が悪魔のような凶悪な生き物ではなく、人畜無害な優しい子であると分かってくれるはず。 「貴方とエミリーと私で見に行こうね。」  そう約束して、私は洞から出る。空が暗くなり始め、遠くに月が見えていた。
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