枝を手折り雪を払う

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 教会へ向かって沢山の人が歩いてゆくのが見える。手を繋ぐ親子。杖をつく白髪のお爺さんとお婆さん。雪を丸めて投げつけ合う子供達。お腹の大きい奥さんを気遣い、手を引く男性。老人、子供、男性、女性、様々な人がマフラーや手袋などをして、暖かそうな恰好をしている。自室の窓に寄り掛かりながら、家々の間から垣間見える大通りの様子を眺める。  そういえば、今日は教会で何か催し物をするような話を聞いた気がする。やるべき事が多過ぎて、最近の私は間が抜けていることが多々あった。 「まぁ良いか、参加するつもりもないしね……。」  私は机の上の封筒を横目で見る。あの著者に宛てた手紙を今書き終えた所だった。私の現状を説明するために、いつもの倍以上の紙を使い、また、三日以上も掛けて(したた)めた手紙。後は投函(とうかん)するだけだ。  私が窓の外に視線を戻すのと同時に、階下で扉が開く音がした。 「出掛けてくる。」  伯父の声。今から何処かに出掛けるのだろうか。時計を見ると、午前八時を少し回ったところだ。伯母が何か言っているみたいだけれど、声が小さくて聞き取れない。 「すぐ帰る。」  先程より低いトーンで伯父が言い放つ。そして、ばたんと扉が閉まる大きな音が聞こえた。私が窓越しに家先を見下ろすと、紺のベレー帽を被った伯父が大通りへ向かっていくのが見えた。大通りに出た伯父は、教会へ行く人々とは逆の方向へ歩いていく。私の部屋から見えたのはそこまで。後は通り沿いの家に阻まれて見えなくなってしまった。 「町にでも行くのかな?」  ぽそりと呟き、私は窓から離れた。あの子に会いに行くのなら、伯父がいない今が良いかもしれない。着慣れたベージュのコートを手にし、部屋を出る。階下に下りると、伯母がまだ玄関に立っていた。 「私も出掛けます。」  そう言ってコートを着る。 「待ちなさい。」  伯母は私の手を掴み、リビングまで移動した。何かを取りに一度リビングを離れた伯母を待つ間に、私はさっき着たばかりのコートを脱ぐ。伯父指定のソファの向かいに腰掛け、顔を伏せる。  何故伯母に呼び止められたのか、私には心当たりがなかった。先日の家を出る話に関係するなら、伯母ではなく、伯父に呼び出されるだろう。 「あの人がいない間に渡しておこうと思って……。」  伯母はリビングに戻ってくるなりそう言って、目の前のテーブルに封筒を置いた。そして、私の斜め向かいに座る。 「なんですか、これ?」  封筒を手に取り、中身を(あらた)める。封筒の中には、お札が十数枚と金貨が三枚入っていた。すぐに状況を理解した私は、伯母に封筒を突き返す。「受け取れない」と言う私に対して、伯母は封筒を押し戻す。 「勘違いしないで。あなたに対して、してあげられる事はこれで最後よ。それで家を出て行く準備をしなさい。先立つものがなければ、どうにもならないでしょ。」  伯母の言う通りではあった。お小遣いを貰っていない私に、貯金なんてものは全くない。だから、町へ行く為のお金をどうするべきか悩んでいるのは確かだ。 「普通の子どもなら、もっと玩具やお菓子、洋服や靴なんかを買い与えても良かったはずだもの。これは貴方が十年以上それらを我慢してきた分だと思えば良いのよ。それに――」  伯母は一度言い淀んでから、こう続けた。 「それに、今朝あの人が勝手に大金を持って行ったの。老後の為にって貯めていたのに、何に使うかも言わずに町へ行ってしまったわ。だから、私もそこから貴方に投資することにしたのよ。」  私の手を取り、封筒をしっかりと握らせる。 「貴方が成人したら、母親のことについて話さなければとは思っていたんだけどね、連絡がなくて私もほとんど何も知らないに等しいの。その謝罪も込めてこれを託すわね。」  そこまで話して、伯母はゆっくりと手を引いた。話を聞き終えた私は顔を伏せ、じっと考えた後、封筒を両手で丁寧に持ち直した。伯母の気持ちはわかったし、これで双方の(わだかま)りが少しでも解消されるのであれば、受け取るべきだと考えたから。 「わかりました、このお金は働いて少しずつお返しするようにします。必ず絶対に返します。」  伯母の目を見て、はっきりとそう宣言すると、伯母は微笑み、小さく頷いた。私も頷き返し、伯父が帰ってくる前に封筒を持って二階へ上がる。階段を上がろうとした時、伯母は苦笑しながら私へ言った。 「貴方は母親に似て、本当に強い子ね。」  母親のことをほとんど覚えていない私には、何とも同意しかねる言葉だったので、返事をせずに自室へ戻った。  封筒を引出しに入れ、部屋を出ようとした時、窓の外に白いものがちらつくのが見えた。 「雪……だ。」  一旦止んでいた雪がまた降り始めた。  窓際に行き、天を仰ぐ。雪が降っていると言っても良いものか悩んでしまう程にちらほらではあるものの、灰色の雲から雪がほぼ無風の空の中をゆっくりと真っ直ぐに降りてくる。  私は窓ガラスを白く曇らせる程近づけた顔を、雪を見つめたまま窓から離す。舞い降りてきた雪が窓枠から外れ見えなくなると、私は勢い良く階下まで下り、玄関へ向かった。 「また雪が降ってきたから、気を付けて行きなさい。」  ブーツを履く私に伯母が声を掛ける。伯母から譲り受けたコートを羽織りながら、玄関のドアノブに手を掛けて振り返る。 「ごめんなさい。後、ありがとうございます。」  私の言葉に伯母は首を振る。 「それはお互い様でしょ。」  確かに第三者から見れば、私達家族は本当の親子でもなければ、親子のような関係を築こうともしない、ましてや親類としての意識も薄い歪なものかもしれない。でも、決して憎しみ合うような関係ではなかった。お互いの立場を察していたが故に、却って素直になれなかったのだ。捨てられた私を育てなければいけなかった伯母。何故自分が捨てられたのかもわからずに伯母夫婦のもとへ追いやられた私。互いが互いに、相手に非がないことを理解しつつも、自分が責められないように相手を遠ざけていた。それが今、私が家を出ることで綺麗に終わろうとしている。良い事はなかったけれど、悪い事もなかった。もしかして伯母はこの日を見越して、家族の思い出を作らずにいたのだろうか。そんな考えが頭を過ぎる。
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