マフラーと人間

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 とある火曜日にて。  背広の袖をまくる、腕に巻き付いたアルミ製の時計は午前九時を表しており、俺は意味もなく溜息を吐きトボトボ歩いていた。  今日は曇り、最近ずっと曇りの気がするがお天道は俺の心持ちと同期でもしているのだろうか、灰色がいつもより濃く感じるアスファルトに革靴を当て目的地を目指す。  目的地というのはさして大層なモノではなく、何処にでもありそうな寂れた公園である。最近の公園というのは少子化の影響もあってか人気は皆無だ。いや、少子化ではなく、ただ単にガキどもはゲームやらスマホやらに身をやつしてるやもしれない。  まぁ、俺にとって閑古鳥でも鳴きそうなその公園は都合が良いんだ、だから、別に最近の子供達を一丁前に悪く言う気はさらさら無い。  もうそろそろ、例の公園が見えてくるだろう。ほら、そこにあるのがそれだ。  所々錆びれた鉄柵に囲まれた公園、遊具は滑り台とブランコに砂場、後は屋根付きのベンチがある。  立地は住宅街のど真ん中であり、静かそのものだった。俺はいつもの伽藍堂な公園を見てよそよそとベンチに尻をつける。  一息つくと少しだけ気分が楽になった。  さて、平日の午前中に働き盛りの年齢である、この俺がこんな辺鄙な公園に居る理由を説明でもしようか、いや、勘付いてる者も何人かいるはずだ。  ああ、そうだ、俺は数週間前にリストラを宣告されたのさ、笑えよ。  昨今の日本経済はうだつの上がらないことこの上なく、景気が上昇するのは大企業ばかり、俺が勤めてた三流企業なんざ風前の灯の如くだ。  そんな時分、会社とは至上の利益追求団体であり。費用対効果の悪い社員から切っていくのは理解がいく、しかし、十年近く勤めてきた俺を使い終わったティッシュのように冷淡にもポイは座視できない。  幾ばくかの計らいがあって、当然と思う。俺だって何年も何もやらなかったわけでは無い、何度も修羅場を乗り越えたし、売り上げ一位の月も何度かある。  にもかかわらず、人事部の野郎は難しい言葉を陳列し、半ば強引に俺の退職をすすめやがった、思い出しただけでも腹が立つ。  察しの通り俺には妻子がいる、余りにも残酷で世知辛い世の中だ。んな荒波に呑まれた俺は未だ家内にリストラの旨を伝えられず、今日も出社を装いここに来た。  ネグレクトだというのは重々承知だが、頭が全く持って動かない。職安にでも行くべきなのだろうが、俺は絶望から脱することはできず、見通しをつけるのは至難を極め、悪辣だ。  この公園は俺の安息の地と言っても過言では無い。誰も居ない、エゴイスティックな俗世間とは乖離せしこの地は心落ち着く。  そうして、キオスクで買った昼飯ようアンパンを貪ろうとポケットを漁ると、同時にカッターナイフが落下した。近頃、何かと物騒である、自衛のため一応だ。  その後、無事アンパンを食べ終えた俺は、スマホでダウンロードした映画でも観て終業時間まで過ごした。一時の休息だ。  次の日も俺はその公園へ向かう。  リストラされたその日に、沈鬱な足取りでふらっと立ち寄ったこの公園は、俺にとって運命的なものだ。  して、公園につき、俺はベンチに座すと、豁然と違和感を覚えた。昨日までとの公園とは差異がある、少し目を凝らせば即座に違和感の源である違いを発見した。  丁度、ベンチのある場所は公園全体を見渡せるようになって、俺の視界斜め右に入るブランコの片方の足に鮮やかなライトグリーンのマフラーが巻きついていることに俺は気づいた。  推測するにここに遊びに来た子供が暑がってブランコの足に結びつけたまま忘れて帰ってしまったのだろう。  なんと、可愛そうな。  ブランコの青のポールに大きく括り付けられた、淡い緑のマフラーは微風が吹くたびにフリンジを微かに揺らしながらも、蟠踞としていた。  たまに袖に刺繍されたゴールドのブランドタグが雲間から刺す陽光によりチカチカ反射する。  最初のうちは余り関心を持たず、スマホで暇をつぶしていたのだが、何日も放置されているマフラーを見ていたがためか、俺はそのマフラーに哀愁と共感を感じ始め、話しかけるようになった。 「よう、今日も回収されねぇな」  と、冗談まじりで言うばかりだったが、何日もその公園に赴きは、マフラーと顔を合わせるので、なんか内容のある話を問いかけるようになる。 「今、どんな気分なんだ?」  とまぁ、こんな感じ。話だけ聞けばトチ狂ったと言われても仕方ないのかもしれない、しかし、その時の俺はストレス社会によりどうにかしていたんだ。  更に、擬人化は進み。俺はそのマフラーを憧憬として奉るようになった。その発端は我慢出来なくなったのかとうとう雨が降った日。  マフラーはいつものように青のポールに縛られており、俺は傘をベンチに引っかけ、雨に打たれ、風にたなびくマフラーをぼんやり眺めていた。  暫く経ち、フッと天啓の如く、マフラーに精魂を感じ取った。その時頭の中で再生されたのが「雨にも負けず、風にも負けず〜」であった。  このマフラーこそが人間の目指すべき境地なのだと俺は悟ったのさ、してからは、俺はマフラーを地元のちょっと怖い先輩のよう扱い、恩師のよう敬うようになった。つまるところ畏敬の念をこさえたんだ。  その日の雨は、今日日たまにあるゲリラ豪雨のようで、ザアザアと屋根があっても横殴ってくる雨に、ヒョウヒョウと吹く北風を耐え忍び、俺もマフラーになろうと邁進する。  その結果、俺は遂にマフラーの声を聴けるようになったのだ、これは素晴らしい快挙である。  そのことに気が付いたのは、マフラーと会ってから一週間が経過した頃、いつもの調子で挨拶を呟くと、何処からともなく「こんにちは、今日も曇りですね」と頭の中に響くよう聴こえたのだ。  俺は息を飲みこう聞いた、 「マフラーさんですか?」  すると、声は、 「ええ、私はマフラーです」  とても柔和そうな声で、まるで仏様もこう言う声なのだろうと邪推が捗る。  俺はずっとしたかった質問を一つ、彼にぶつけてみた。 「俺は……いえ、私はこれからどうすれば良いのでしょうか?」  彼は即座として答えを返さなかった、そうして、悠久の時を感じ、やっと彼は返答した。 「貴方の、貴方の信ずるべき行動をしなさい、さすれば、道は開くでしょう」 「ありがとうございます、そうします!」  俺は答えた、あたりを見渡すとすっかり暗くなっていて、袖をまくり、時計を見ると九時を指している。  俺は無礼と思いつつ、そのマフラーを首に巻いて帰ることにした。結び目に手を入れ、開くといとも簡単にスルッと抜ける。  俺はマフラーの中心を頚椎に当て、喉仏の辺りで硬く縛りつける、して、ハジの方を後ろに回した。  少し首元はチクチクするが、それでもなんとも心地よかった。  俺は剣道部が道場を出る時のよう、公園に一礼し外へ出た。 「よし、明日は職安にでも行くか」  ホカホカ気分で帰路を歩いていると、なんとも解せない光景が目に飛び込んでくる。  カップルが夜道でイチャっいていたのだ、俺の脳漿がグツグツ沸滾る、なんだ! アイツらは、俺はこんなにも不運だと言うのに、アイツらは!  怒りが込み上げる、俺は衝動的にポケットのカッターナイフを手にカップルへ飛びかかり、ナイフを突き出す、しかし、ナイフはカップルの男の首元寸前で止められた。  次の瞬間、辺りは暗くなり、俺は死んだんだ。  俯瞰してみると死因が分かる、マフラーが道へ飛び出た枯れ木に引っかかり、窒息したのだろう。  もっと冷静になるべきだった。愚かだった。
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