わたしには秘密がある

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『わたしには秘密がある』 わたしには秘密がある。 わたしの秘密を誰かに知られたら、わたしは今の生活を送る事ができなくなるだろう。 いや、だろうではなく、確実にできなくなる。 わたしは今の生活に幸せを感じているのだ。 それ故に、わたしの秘密は、誰にも知られてはならない。 わたしには愛する人がいる。 彼もわたしを心の底から愛してくれている。 そうでなければ、わたしのようなデブでブスで地味な女と付き合えるはずがない。 わたしは彼と結婚する事を望んでいる。 彼もそれを望んでくれている。 サプライズ好きな彼の事だから、わたしが驚くようなプロポーズプランを考えている真っ最中なのだろう。 彼はとにかく優しい。 誰に対しても優しい。 その万人に向ける優しさに、わたしは惹かれた。 しかし、万人という事は、その中に万人の女が含まれているという事だ。 わたし以外の女に優しくする彼を見ていると、わたしは普通ではいられなくなる。 言葉にするには難しいが、穏やかな心とは真逆にあるような感覚に陥るのだ。 わたしはそんな自分が嫌いだ。 自分自身に嫌悪感を抱かせる原因である、万人の女達もわたしは嫌いだ。 いや、嫌いという言葉だけでは足りない。 わたしが万人の女どもに向ける感情は、この世の忌まわしい言葉全てを用いても、語り尽くせない。 だから、わたしは 「…りえの友達ですか?」 「たかしの好きなカレー作ってるんだよ」 女はたかしに背を向けたまま、台所でジャガイモを切っている。 たかしは真っ白なセーターを着る女の背中を、怪訝な表情で見詰めた。 「…りえと夕飯作ってくれてるんですね?」 「たかしは人参嫌いだもんね。だから人参入れないよ」 「…りえはどこですか?」 検討違いな答えを返す女に、たかしは不信感を募らせる。 「今日は辛口のカレーだよ。お肉いっぱい入れるからね」 女は一向に質問に答えない。 誰だか分からない女が、自分の家で料理を作っている。 混乱する頭。 たかしの体は恐怖心に包まれていく。 逃げ出したくなる状況。 しかし此処は、自分が愛する者と二人で住む家。 そして何よりも気になる事がある。 「…りえはどこですか?」 「今日は豚肉だよ。本当は牛肉が良かったんだけど、冷蔵庫にそれしかなかったんだ」 たかしに背を向け続ける女は、小気味良いリズムで、包丁で野菜を切っている。 真っ白いセーターが小気味よく揺れている。 一向に振り向かない女の体。 その正体を明確にさせない背中が、たかしの恐怖心をより一層募らせる。 「…おい、りえ…どこにいる?…無事か?」 たかしは女の背中から視線を外さずに、ゆっくりと後退りしながら、呼び掛けた。 「ハチミツ入れると美味しくなるんだよ」 この時間、りえの姿はいつも台所にあった。 しかし今日は、真っ白なセーターを着る、見知らぬ女の背中がそこにあるだけ。 小気味良く動き続ける女の後ろ姿に、たかしの不安は予感めいたものへと変わった。 「…おい!りえ!!」 たかしの叫び声とリンクするように、小気味よく動き続けていた、真っ白なセーターの動きがぴたりと止まった。 「どうしたの急に?」 そう言った女は、相変わらず背中を向け続けている。 「…りえはどこだ?」 「どうしたの、たかし?」 「りえはどこに居るんだ!?」 「りえって、誰?」 「一緒に住んでる俺の彼女だよ!どこにいるんだ!?」 「何言ってんの?たかしの彼女はわたしじゃない」 「お前、何言ってんだ!?りえは無事なんだよな!?」 「心配してるの?」 「おい!りえ!どこだ!?返事してくれ!?」 たかしは振り向かない女の背中から視線を外すと、部屋を飛び出した。 「りえ!無事か!?」 そしてその足は、二人が愛を育んだ寝室へと向かった。 真っ赤に染まった部屋の中。 真っ白になる頭の中。 覚束無いたかしの視線は、床に転がる、赤く濡れる、傷だらけの人の形をした物へと向けられている。 受け入れ難い現実を拒絶する脳は、それが真実なのだとゆっくりと理解し始めた。 「どうしたの、たかし?」 背後から囁かれた声に、たかしの体は咄嗟に振り返った。 そしてたかしは、ようやく女の姿を正面から見る事ができた。 見た事もない顔。 しかしそんな事は、今はどうでもいい。 背中とは反対の女の正面は、部屋と同じように、至る所を真っ赤に染めている。 背中の真っ白なセーターの面影をどこにも残してはいない。 その姿に、たかしは後退りする事も出来ずに、腰が砕けた。 「…た、た、、た、たたた、た、助けて」 がちがちと歯を鳴らすたかしの視線は、女の右手に注がれている。 「見ちゃったの?」 「た、た、た、たた、た、たすけ、てて」 今度はたかしが、女の質問に答えていない。 「秘密なのに」 女はそう言うと、右手を振り上げた。 その手には、先程まで野菜を切っていた、真っ赤に濡れた包丁が握られている。 「また、わたしの秘密が増えちゃうよ」 男の叫び声と共に、愛し合う二人の血が、包丁で混ざり合った。 わたしには秘密がある。 わたしの秘密を誰かに知られたら、わたしは今の生活を送る事ができなくなるだろう。 いや、だろうではなく、確実にできなくなる。 わたしは今の生活に幸せを感じているのだ。 それ故に、わたしの秘密は、誰にも知られてはならない。 誰にもだ 終わり
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