兄と旅行編 4 サプライズ

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 いいっすか? 投げられたら、逆らうことなく、その力に身を任せてっすね。そんで、両手を大きく広げて、ビターンとっすね。できるだけ、地面に叩きつけられる面積をでかくしてください。そうすると、衝撃が分散するんで。  ビターンっすよ? 「……ビターン」 「ほえ? びたん?」  慶登がポカンとしてた。  特急の電車に乗って二時間ないくらい。慶登の兄と、その友人、その友人が宿泊先になる旅館を取ってくれたんだけど、その二人とは現地で合流することになっている。住んでる場所のこともあって、一緒に行くよりも現地で、旅館から最寄の駅で集合することになっていた。 「あ、お土産屋さん! 大野先生と、仁科先生には特別枠ってことで買ってきましょうね!」  二人で暮らすことがこんなに楽しいなんて知らなかった。 「やっぱり干物でしょうか……」 「干物なら、明日のほうがいいんじゃない」 「たしかに!」  だから、このあと、ビターンと地面に巴投げで叩きつけられたとしても、慶登とのことをお兄さんには認めてもらおうと思ってる。  ゴリゴリの体育会系で、体育教師で、水泳部の顧問で、巴投げが得意な慶登の兄さんに。 「わぁ……すごいですよ! これ、万華鏡! 保さんがたくさんいます!」 「何? 俺が見えるの?」 「はい。これで覗くと目の前の景色が万華鏡になるそうです。おぉ……保さんが一、二……三、あ、消えた!」  つい、子どもみたいに隠れてしまった。しゃがんだせいで、万華鏡の中から消えてしまった俺に残念そうな声を上げた慶登が、また俺を追いかけて万華鏡越しに探してる。 「いた」 「……」 「えへへ」  頬を染めて、俺を見つけたことに嬉しそうにするところを可愛いと思う。 「そろそろ行こうか?」 「わ! もうそんな時間ですか?」 「着いたって連絡したんでしょ?」 「はいっ」  ただ海沿いの商店街をブラブラするだけでも楽しいよ。 「じゃあ、行きましょうか」  君のことを、好きだなぁって、思うんだ。 「保さん? ……どうかしましたか?」  ぺたぺたと楽しそうな足音を立てて歩いてく慶登が止まったままでいる俺に振り返り、不思議そうに首を傾げた。 「なんでもないよ」 「? そうですか? すごいですね! 海の匂いがしますよー!」  駅を降りるとさすが、夏真っ盛りの海岸沿いだ。海水浴場も近くにあるせいか、駅のロータリーは小さいけれど、人がけっこう行き交っている。  この駅前で巴投げはさすがにないだろう。いや、どうだろう。慶登の兄で、ゴリゴリの体育会系だからな。それこそ、猪突猛進タイプってことも……すごい、ありえる気がしてきた。っていうかそのタイプ以外にない気がしてきた。  とおおおりゃあああ、うちの弟にいいいい、って感じで、投げられそう。 「? あ、郁兄からだ」  ここ、石畳だから、投げられたら痛いだろうなぁ。別の場所でって言って、聞いてもらえるだろうか。慶登に似てるイノシシタイプの、ゴリゴリの。 「ほわ、もう海岸にいるみたいです」  お、そしたら、投げられるのは砂浜かも。そしたらかなりありがたいんだけど。 「あ! こっちに来てくれるそうです!」  え、じゃあ、やっぱり石畳? 頭、カチ割れない? ここ、そんなに滑らかじゃないんだけど。 「あ、あそこのコンビニに来てって」  とりあえず、大野先生に教わったとおりに。 「保さん、信号赤になっちゃいます」  腕をいっぱいに広げて、打ち付けられた時の衝撃が拡散するように。って、打ち付けられたって、単語がすでにすごいよ。 「あ! いた! 郁にいー!」  よし、来い。  両手は大きく。力には逆らわず。 「おーい!」  身を任せてっすよ。 「慶登-!」  イノシシに身を。 「郁兄!」  イノシシ……では、なかった。 「久しぶり、慶登」 「うんっ! 郁兄!」  いや、むしろ、 「ぁ……こんにちは」  慶登がさ、ほわほわマシュマロなら、兄である彼は、そうだな小麦色の肌が健康的で、スラリとした長身に、たしかに柔らかい猫っ毛の、チョコレートのアイスバーって感じ。 「慶登の兄の、郁登です」 「あ、初めまして。慶登さんと」 「こちらが保さんです! 僕が! お付き合いをさせていただいている人です!」  慶登が鼻の穴を大きくしながら、コンビニの駐車場で、声高らかに紹介してくれた。 「お前、めちゃくちゃ鼻の穴でっかいよ」 「だって!」 「あの……お付き合いをさせていただいています。同じ小学校で教諭をしている大須賀保です。今日は、その」  自分からも挨拶をすると、慶登の兄郁登さんがニコリと笑って首を傾げた。その仕草が慶登そっくりだ。 「あー、あんまり緊張しないでください。その」 「いえ……えっと、ご家族としては思うところがあると……」 「思うとこ……あぁ! ないない! 全然ないです! っていうか、全然、ホント」  その郁登さんがチラリと視線を背後に向けた。ガードレールに腰かけていたから、あまりわからなかったけれど、立ち上がると長身の郁登さんより少し背が高いかもしれない。その人が少し長い髪をかき上げて、ペコリと頭を下げた。たぶん、この人が旅館を取ってくれた「友人」なんだろう。 「俺も、ね」 「郁兄?」 「あー、あそこにいる人、と、お付き合いをさせてもらってたりするんだ」  イケメン。でも、体育会系っていうよりも、インテリって感じで、海は海でも、泳ぐんじゃなくて、ビーチでまったりしてそうな。もしくは、そもそもビーチになんていかないような。行くならプールサイドかな、みたいな。 「しかも、面白いことに、俺と健人も同じ高校の教師なんだよ。ちょっと似てるっしょ? 健人!」  あはは、って慶登そっくりに笑って、慶登がシュッとした感じになった兄、郁登と、プールサイドがお似合いなインテリイケメンが並んでる。 「初めまして。そういうわけです」 「………………えええええええ!」  普段はほわほわと柔らかい声の慶登が、低い声で叫んだ瞬間。とても楽しそうに、郁登さんが笑った。 「あはははは、サプライズ大成功」  その笑った顔も首を傾げる仕草も、柔らかい猫っ毛も、慶登にそっくりだ。本当に、この人が慶登の兄なんだと。 「んもー! 郁兄!」  石畳にも、砂浜にも、もちろんコンビニの駐車場でも、俺は巴投げされることなく、慶登の兄、郁登のサプライズ大成功と笑った顔と、マシュマロほっぺたを膨らませたけ慶登の顔を夏の日差しの下眺めていた。
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