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 可愛らしい鳴き声を耳にして振り向くと、柴犬が息を切らしながらこちらへ赤い舌を出していた。  美代子は手の平を差し出して、「お手」とつぶやくが、その犬は飼い主の方へと駆けて行ってしまった。  女性がその子犬を抱えて、ふと「どうも」と言ってきた。  美代子が「こんにちは」と挨拶を返すと、女性は駐車場の方へと歩いていく。そうして美代子が校舎の中へ戻っていこうとした時、階段の暗がりからふと声がした。 「……やあ」  男子生徒が階段から降りてきて、瞳を微笑ませてそう言った。美代子も元気な声で挨拶を返す。二人はそっと歩き出して、どこか歩調が早足になった。 「教室に鞄を置いたままなのか?」 「……見ての通りよ」  そんな会話を交わしながら廊下を曲がり、一番奥の教室へと入った。そしてすぐに鞄を手に取ると、「早く!」と男子生徒が叫び、美代子は「わかってるよ!」と返事をしてその後に続いた。  学校を出ると、バスが停留所に到着したところだった。二人はそのまま乗車口へと飛び移り、中へ踏み込んで周りを見渡した。バスは同校の生徒で溢れ返っていて、運動部員が楽しそうに談話していた。二人は彼らの横で吊り輪につかまり、互いに顔を見合わせた。 「なんとか間に合ったね」  うん、と美代子は頷き、外の景色へと視線を向けたがその時、「あ」と彼が突然身を乗り出して窓の外を見遣った。美代子も彼の視線の先を追った。  先程の女性が歩道を歩いていたが、突然トラックがその背中へと迫った。すぐに彼女は横へ飛び移って逃れたが、しばらく口論になって何かを言い合っているらしかった。  運転手はそのままトラックを走らせていき、その男へ向かって女性は何かを叫んだようだった。  そうしてその姿も遠のいていき、美代子はずっとその背中を視線で追っていた。見えなくなっても、頭の中でそれが浮かび続けた。  彼女は髪をポニーテールにしており、細い体のラインに沿ってそれは下がっていた。半袖シャツから白い肌がのぞき、明るい色のジーンズがすらりと脚を引き立てていた。  美代子はその姿がとても綺麗だと思い、それは美代子にとって魅力的な姿であると、胸の高揚感が語っていた。彼女の顔を自分のものと取り換えてみると、何故だかとても興奮するのだった。  *  女子寮へと帰ってきて、傘を格子引き戸へ立てかけた。すると扉が開き、管理人が「早くお入りよ」と促してきた。美代子はうなずいて中に入り、階段を上がって廊下を進んだ。  そのまま自分の部屋へと戻り、そうして畳の上で仰向けになっていると、その時ドアがノックされた。 「入っていいよ」  そう言うとすぐさま扉が開いて、寮生である里美が中へ入ってきた。  彼女の長い髪はかすかに濡れており、蛍光灯の明かりに光っていた。そうして里美はにっこりと笑って言った。 「帰ってくるの、遅かったね。何してたの?」 「……ちょっとね」  それが意味深な言葉に思えたのか、里美は「何? 彼氏でもできたの?」とすり寄ってくる。美代子ははにかみながら笑った。 「……そうなったら、良いなと思ってね」 「相手決めてるんだ?」 「まあね。……里美は?」 「もちろん、私にもいるよ」  二人は畳の上で横に並んだが、その時、美代子が口を開いた。 「ねえ、ポニーテールにしてみてよ」  その言葉に里美は首を傾げてみせる。 「なんで、また?」 「今日、ポニーテールの綺麗な女の人を見たんだけど、スタイルがすごく良くて、私、見惚れちゃったわ」  美代子はそう言って「実験よ、実験」と自分のスカートからゴムを取り出して、里美の髪に通していった。  里美は訝しげな顔をしていたが、美代子の優しい手つきに頬を緩ませたのだった。  *** 「これで良いかな」  里美は鏡に映った美代子の髪を見つめながらそう言った。  美代子は顔を傾けて確めていたが、「うーん」と唸って首を傾げた。 「……微妙、ねえ」  少し落胆したようにそう言うと、美代子は里美の髪を見遣って言った。 「負けたわね。まあ、仕方ないわ」  美代子はそう言って畳にあぐらをかいた。 「私には、ポニーテールは似合わないわね」  そう言ってそのままゴムに手をかけようとしたが、里美が「待って」とそれを制した。 「このままでいようよ」 「え? 嫌よ、変だもの」  里美は「まあ、いいから」と上機嫌な様子で立ち上がった。 「これから、コンビニに行くの。この髪型のまま、一緒に行こうよ」  美代子は里美の艶やかな黒髪をじっと見つめていたが、「わかったわよ」と立ち上がった。  そうして二人は顔を見合わせて、笑ってみせた。 「あら、お揃いの髪型」  台所から顔を出した管理人がおかしそうに笑いながら言った。  二人は微笑み返して、「行ってきます」と玄関へと向かった。「門限までに帰ってくるのよ」とのんびりとした声がかかった。  そのまま彼女達は線路沿いの道を足早に歩いた。電車が二人のすぐ側を走っていき、二つの髪を逆立てていった。  その風が心地良かった。おそろいの髪がふわりと浮き上がり、そして二人はその優しい感触にうっとりとしていた。  コンビニを見つけて中に入り、まず始めに雑誌コーナーで立ち読みしている男性に目がついた。 「飲み物と、お菓子を」  里美はそう言って奥へと向かっていき、美代子は一瞬迷ったが、その少年に近づいていった。 「金子、君?」  恐る恐る問いかけてみると、その少年が振り向き、それは案の定、金子だった。 「あれ、長谷田?」  彼は目を瞬き、そうしてすぐに笑った。美代子は口元を緩めて言った。 「……放課後は楽しかった。金子君は雑誌の立ち読みかしら?」 「いや、ちょっと……」  彼は雑誌を棚に戻して、そして美代子へと向き直った。こうして見ると、眉がどこか凛々しく見えて、美代子はしばらく彼をじっと見つめてしまった。すると、ふと金子が美代子の髪を食い入るように見つめていることに気付いた。そうして、彼はつぶやく。 「髪型、変えたんだね」  その言葉を聞いた瞬間、美代子の心に衝撃が走った。 「ちょっと試しに」  彼女はどこか緊張しながらそう言った。すると、 「……似合ってるよ」  その言葉に「え」と美代子は声を上げた。 「最初、誰かと思ったよ」  彼は美代子の髪を眺めながら、感心した様子でうなずいた。そこで、里美が近づいてきて、「この人は……」とつぶやいたので、そのまま金子を紹介しようとしたが、 「じゃあ、僕はこれで」  金子はそう言って軽く頭を下げ、店を出て行ってしまった。 「美代ちゃん、もしかしてあの人が……」 「うん。良い人でしょ?」 「なんだか真面目そうな人だね」  里美が会計を済ませている間、美代子は髪を弄んでいた。手の中で、柔らかい房がさらさらと揺れて、その触り心地に笑ってしまう。 「なんだかんだ言って、気に入ってるみたいだね」  里美が戻ってきてそう言った。 「うん、そうみたいだわ」  美代子はそう微笑み返した。そして、「本当に気に入っているみたいね」と言葉を付け足したのだった。
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